平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

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第18話「過去との再会と、選ぶべき場所」

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 その日、王宮の空気は、いつもより少しだけざわついていた。

 地方からの陳情団が来る――それ自体は珍しくない。
 干ばつの嘆き、税の相談、治安の悪化。

 王宮の大広間は、時々「国の痛み」を一気に受け止める場所になる。

 ただ、その日は。

「なんか、胸がざわざわする……」

 ユナ・アークレットは、自分でも説明のつかない違和感に、胸のあたりをそっと押さえていた。

 王家と神殿、両方の庇護下にある“女神の巫女”として、彼女は国王の少し後ろ――王妃や王太子ルシアン、巫女長セラフィナたちと並ぶ位置に控えている。

 王族席の近く。

 かつて「使用人」として大広間の隅っこを走り回っていた自分からしたら、笑ってしまうほどの場所だ。

(慣れないなあ、ほんと……)

 そんなことを考えているうちに、侍従の声が響いた。

「――地方代表、一同、入場!」

 大広間の扉が開く。

 粗末な布の服。
 ひび割れた手。
 日焼けした顔。

 王都の整った服装とは違う、“生きるための暮らし”が染み込んだ人々が、緊張した面持ちで中へ入ってくる。

 ユナの鼻先に、土の匂いが届いた。

 湿った土じゃない。

 畑の土。
 冷えた空気。
 空腹の匂い。

 それらが混ざり合った「地方の生活」の匂いだ。

(……寒そう)

 薄い上着。
 擦り切れた裾。

 この冬が、彼らにとってどれだけ厳しかったか――想像するのは、難しくない。

 その中に。

 ユナは、見つけてしまった。

 見慣れた横顔を。

(……え)

 息が止まる。

 人垣の少し後ろ。

 痩せて、肩をすぼめるように立っている一人の女――

 金だった髪は、くすんだ藁のような色に褪せ。
 頬はこけて、唇の色も悪い。
 けれど、その目だけは、どこか必死に「自分はまだオルフェリア家の令嬢だ」と言い張るような光を宿していた。

 エレナ・オルフェリア。

 かつて、ユナを「不吉なメイド」として追い出した令嬢。
 そして今、地方へと格下げされ、王都を追われた元・侯爵家の娘。

 ボロボロになった服。

 それでも、似合わないぐらいに背筋を伸ばしている姿が、痛々しかった。

 ユナの胸が、ぎゅっと締め付けられる。

(……来たんだ)

 地方での暮らし。

 地位も財産も削られ、王都のような贅沢とは無縁の土地。

 彼らがそこに馴染める可能性が、限りなく低いことは――正直、誰もがうすうす分かっていた。



「遠路よく来た」

 国王の声が、大広間に落ちる。

 陳情団の代表らしき中年の男が一歩前に出て、深く頭を下げた。

「陛下。我らが暮らす北東の辺境は、ここ数年の冷え込みが厳しく……」

 地図には載るけれど、王都の人々の記憶にはあまり残らないような小さな土地。

 与えられた領地。

 けれど、そこでの生活は、彼らにとって罰のように厳しかった。

「畑の収穫が落ち、家畜も痩せて……今年の冬は、飢えに震える者が多うございます。

 前領主……いえ、今の領主も、慣れぬ土地に戸惑っておられ……」

 そこで言葉を濁し、ちらりと視線を後方へ向ける。

 そこに立つ、エレナ。

 その隣には、やつれた父と母――元・侯爵夫妻の姿もあった。

(やっぱり……)

 ユナは、息を詰める。

 侯爵家の威厳は、見る影もない。

 高価なドレスも、宝石もない。

 その代わりにあるのは、地方での生活の厳しさが刻んだ皺と、薄い服。

 寒さに耐えきれず震える体。

「領主が、領民と共にここまで来るのは、本来ならばよしとすべきことではないが……」

 国王は、わずかに眉をひそめる。

「それほどまでに、切羽詰まっているということだろう」

 ルシアンが、静かに目を伏せた。

 ユナは、その横顔から目を離せない。

 ざまあ、と言えばざまあなのかもしれない。

 自分を「不吉」と切り捨てた家が、今度は「不運」によって追い詰められている。

 でも――

 《真実の香》が、鼻先で騒ぎ始めた。

 エレナの周りに漂う匂い。

 それは、これまでで一番複雑だった。

 錆びた鉄。

 嫉妬とプライドが、長い時間をかけて腐った匂い。

 湿った土。

 自分の過ちを認めきれないまま、環境のせいにしたい気持ち。

 そこに、わずかに混ざる――

 しぼんだ花の香り。

(……助けて、って)

 口には出さない言葉が、匂いになって揺れていた。

 けれど、エレナは言わない。

 言えない。

 “完璧な令嬢”として積み上げてきたプライドが、最後の一線を引き戻してしまう。

 国王が、元・侯爵へ視線を向ける。

「オルフェリア伯。お前からも、何か申し開きはあるか」

 伯爵。

 格下げされた現実を突きつけるその呼び方に、元・侯爵はわずかに顔を歪めた。

 それでも、王の前で逆らえる立場ではない。

「……陛下。

 辺境での暮らしは、我らの想像以上に厳しいものでした。

 慣れぬ寒さ、痩せた大地。

 領民も、我らを未だ“追い出された貴族”と見ております。

 その……」

 言い淀む。

 本当に言いたい言葉は、「我々にはふさわしくない土地でした」の一言だろう。

 でもそれを口にすれば、完全に「罰から逃れようとしている」と見なされる。

 国王は、厳しい目で見据えた。

「お前たちの処遇は、国と神殿の協議の末に下されたものだ。

 それが厳しいのは承知の上――それでも、お前たちがしてきたことへの責任だ」

 正論。

 それでも、そこに飢えと寒さが重なると、話は単純ではなくなる。

 ユナの胸がざわつく。

(……どうすればいいんだろう)



 人々の陳情がひと通り終わったあと。

 「最後に」と前置きして、エレナが前へ一歩出た。

 擦り切れた裾を踏みそうになりながらも、必死に姿勢を正す。

 その様子は、かつて大広間で優雅に舞っていた令嬢の面影を、薄く残していた。

「オルフェリア……いいえ、エレナ・オルフェリアと申します」

 自分で“家名の冠”を外したことが、かろうじての誠意なのか、最後の虚勢なのか――判断に迷うところだ。

 エレナの周りには、錆びついた鉄と湿った土が渦巻いている。

 ユナは、それだけで吐き気がしそうだった。

 それでも、目を逸らさなかった。

「陛下。辺境の暮らしは……」

 エレナの声は震えていた。

 でも、その震えは寒さのせいだけではない。

「水は冷たく、冬は長く、畑も痩せていて。

 慣れない仕事ばかりで……屋敷にいた頃のような召使いもおらず、自分で起きて、薪を割り、火を起こし……」

 それは、世界の大半の人間にとっては「当たり前」の生活だ。

 でも、彼女にとっては、初めて触れる現実だった。

「領民は、最初……私たちを信用してくれませんでした。

 “今さら何をしに来た”と。

 冷たい目で見られて……私たちの言葉は、なかなか届かなくて」

 そこまでなら、“自業自得”という言葉で片づけられる。

 けれど――

「この冬は、本当に寒くて……」

 エレナの声が、一瞬途切れた。

「薪も、食べ物も足りなくて。

 領民の子どもたちが、凍えるような目で……“なんで、こんな場所に生まれたんだろう”って言うのを、何度も聞きました」

 その言葉に、ユナの胸がきゅっと縮む。

 自分も、似たことを思ったことがあるから。

 孤児院で、寒い夜。

 「どうして私はここなんだろう」と、知らない「上の世界」をぼんやり想像した夜が、確かにあった。

 エレナは、唇を噛みしめる。

 目元には涙が滲んでいる。

 けれど、その涙は「自分の境遇」に対するものか、「領民の現実」に対するものか、はっきりとは分からない。

「陛下……どうか、その……」

 そこまで言いかけて、言葉が喉で詰まる。

 “助けて”。

 その三文字が、どうしても出てこない。

 プライドの残骸が、最後の一線でそれを止める。

「ど、どうか……

 辺境にも、少しだけでも……王都のような、温かさを……」

 遠回しな言葉。

 誰が聞いても、「助けてと言えない人間」の苦しさが透けて見える。

 ユナの周りの香りは、どんどん濁っていった。

 錆びた鉄。

 湿った土。

 しおれた花。

 全部が混ざり合って、どうしようもなく淀んだ匂いになる。

(しんど……)

 胸の奥が痛い。

 どうしてこの人は、ここまで来てまだ“素直な言葉”を選べないのだろう。

 どうして「ごめんなさい」と「助けて」が、こんなにも遠いのだろう。



(助けるべき……?

 それとも、ここで突き放すべき……?)

 ユナの心の中で、ふたつの声がぶつかり合う。

 ざまあ、と言いたい自分。

 あの日の中庭。

 雨の夜。

 「不吉」と決めつけられて、荷物一つで追い出された自分。

 それを思い出したら、「自分でまいた種でしょ」と突き放したくなる。

 でも同時に――

 エレナの言葉の中に、確かに混ざっている「子どもたちの凍える目」の記憶が、胸を締め付ける。

 罰を受けるべきはオルフェリア家であっても、その土地で生きる人々は、また別だ。

(私の感情だけで、“あの子たち”まで巻き込みたくない)

 ユナは、ぐっと拳を握った。

 迷いの中で、胸の奥が静かに震える。

 女神エリュシアの気配。

(エリュシア様……)

 心の中で呼びかけると、すぐに返事が返ってきた。

 声というより、感覚に近い。

 泉の水面に、小さな石を落としたときの波紋みたいな。

『迷ってるわね』

 どこからともなく、女神の声が響く。

 優しく、でも甘やかしすぎないトーンで。

『助けたいの? 助けたくないの?』

「……両方です」

 ユナは、心の中で正直に答えた。

「正直、ざまあって思う自分もいるし。

 同時に、飢えてる人たちのことを考えると、何もしないのも嫌で……」

『うん、それでいい』

 エリュシアの声は、あっさりしていた。

『人間なんだから、きれいな動機だけで動けるわけがないわ。

 “ざまあ”と“かわいそう”が一緒にあるのが普通よ』

「じゃあ、私はどうしたら……」

『助けたいと思うなら助ければいい』

 女神は、静かに告げる。

『それは“甘さ”じゃない。

 “あなたの選択”よ』

 甘さかどうかを決めるのは、他人じゃない。

 もちろん、女神でもない。

『あなたは、もう“誰かのせい”で動く子じゃなくていい。

 恨みでも、罪悪感でもなく。

 “自分がこうしたいからこうする”って、決めていいの』

 ユナは、ぎゅっと目を閉じた。

(私が、したいこと……)

 ざまあ、と思う。

 でも同時に――

(それでも、飢えてる人がいるって想像すると……見捨てられない)

 ただそれだけのことだった。

 復讐よりも先に、飢えと寒さが刺さってくる。

 その感受性を、「甘い」と笑う人もいるだろう。

 でも、女神は言った。

『“あなたの選択”なら、私はそれを祝福するわ』

 胸の中で、祝福の光が静かに揺れた。



 ユナは、一歩前に出た。

 大広間の視線が、一斉に彼女へ向かう。

 ルシアンが、ちらりと隣を見る。

 その目には、「決めたんだな」という理解の色があった。

「陛下」

 ユナは、国王に向かって頭を下げた。

「女神の器として……ひとつ、お願いがあります」

 国王は、じっとユナを見つめる。

 その瞳には、すでに彼女を「ただの娘」とは見ない、重さが宿っていた。

「言ってみよ」

「オルフェリア伯爵領――

 いえ、辺境のあの土地で暮らす人たちに」

 言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。

「最低限の衣と食べ物と……冬を越えるための仕事を、斡旋していただけないでしょうか」

 ざわ、とざわめきが走る。

「仕事?」

「はい」

 ユナは頷いた。

「ただ施しを与えるだけではなく、

 彼らが自分たちの手で立ち上がるための“きっかけ”になるものを――」

 目の端で、エレナの表情が揺れる。

「もちろん、オルフェリア家を“特別扱い”する必要はありません」

 ユナは、はっきりと言った。

「爵位の格下げや、財産の没収は……彼らがしてきたことの結果です。

 それが消えるとは、私も思っていません」

 エレナの周りの錆びた鉄が、ぴりっと反応する。

 プライドが、まだ完全には折れていない証拠。

 でも、それでいい。

「ただ――

 そこに生まれて、そこに暮らしている人たちが、これ以上、理不尽に飢えなくて済むように。

 女神の加護を預かる者として、願いたいのです」

 それは、エレナを救うための言葉ではない。

 あの土地=あの罰の中に巻き込まれている、関係のない人たちのための願いだった。

 国王は、しばらく目を閉じた。

 周囲の重臣たちが、ざわざわと囁き合う。

 セラフィナは、静かに目を伏せている。

 ルシアンだけが、まっすぐユナを見ていた。

「女神の器の願いとして、か」

 国王は、ゆっくりと息を吐いた。

「分かった。

 オルフェリア伯爵領――辺境のその地に、王家から援助隊を送ろう」

 援助。

 それは、ただの施しではない。

「余剰の穀物と、冬物の衣類を。

 それから……そこに作業場を設ける。

 木工でも織物でもよい。

 “働けば食べられる”場を作るのが、最も健全だろう」

 重臣の一人が慌てて口を挟む。

「しかし陛下、それではオルフェリア家を間接的に――」

「間違えるな」

 国王の声が、鋭く空気を断ち切った。

「援助するのは“領地”であって、“オルフェリア家”ではない」

 その一言に、重臣は黙り込む。

 セラフィナが、静かに微笑んだ。

「王家と神殿、そして女神の器。

 それぞれの視点から見た結果が、“ここ”に落ち着いたのだと思います」

 ルシアンも、隣で小さく頷く。

「ユナの提案なら、俺は支持する」



 決定が下されたあと。

 視線が、ゆっくりとエレナに集まる。

 彼女は何も言わなかった。

 感謝の言葉も、悔しさも。

 唇を噛んだまま、顔を上げられずにいる。

 その背中は――

 ユナが知っている“完璧な令嬢”の姿では、もうなかった。

 細くて、頼りなくて、どこかしぼんでいる。

 でもそれは、“折れた”というより、“ちゃんと弱さが露出した”という感じに近かった。

(ありがとう、って言わないんだ)

 ユナは、少しだけ笑ってしまいそうになる。

 エレナらしい。

 最期の最期まで、プライドと素直さのバランスを取り損ねている。

 それでも――

 彼女の周りの香りは、ほんの少しだけ変わっていた。

 錆びた鉄と湿った土の中。

 かすかに、ほんとうにかすかに。

 新しい花の芽のような香りが、微かに混ざっている。

(いつか、自分で“助けて”って言える日が来たらいいな)

 それは、ユナの勝手な願いだ。

 叶うかどうかも分からない。

 でも、その未来を完全に捨てることは、どうしてもできなかった。



 陳情団が退出していく。

 背中を丸めた男たち。
 疲れきった女たち。

 その中に、さっきよりさらに小さく見えるエレナの背中があった。

 ユナは、追いかけなかった。

 名前も呼ばない。

 抱きしめもしない。

 謝りもしない。

 ただ、静かに見送る。

 距離はある。

 触れればまた、互いの傷を抉り合うかもしれない。

 だから、決別はしないけれど、甘い和解もしない。

 “距離を置いたまま、手を離さない”。

 そんな不器用な在り方を、自分で選んだのだ。

(これが、私の答え)

 恨みと優しさのどちらか一方じゃなくて。

 その両方を抱えたまま、選んだ中途半端な場所。

 けれど、女神は言った。

『それは“甘さ”じゃない。

 “あなたの選択”よ』

 ユナは、小さく息を吐いた。

 大広間の隅に、僅かな花の香りが残っている。

 それは、彼女が“もう黙って飲み込むだけのメイドではない”証拠。

 過去と完全に決別するでもなく。

 過去に縛られたままでもなく。

 自分の場所を、自分で選んで立つ。

 その感覚が、少しだけ心地よく感じられた。

「……ユナ」

 隣から、ルシアンの声。

「はい?」

「よくやった」

 短い言葉。

 でも、それだけで十分だった。

 ユナは、ほんの少しだけ笑って頷く。

「私、これでよかったんでしょうか」

「“よかったかどうか”は、きっと何年か経ってからしか分からない。

 でも、“君が選んだから”――少なくとも俺は、それを信じる」

 その言葉に、胸の奥の光が、静かに強くなる。

 女神の娘として。

 ユナ・アークレットとして。

 今日の選択を、きちんと自分の中で抱きしめたまま――

 彼女は、また新しい一歩を踏み出していくのだった。
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