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第8話「騎士団長アルヴァとの出会い」
しおりを挟むその噂は、風に乗って王都まで飛んでいった。
――王国の片隅の小さな神殿に、「神さまクラス」の聖女候補がいるらしい。
誰かが色を盛り、誰かが面白がり、誰かが危機感を抱いた。
そうして、いつの間にか「真偽を確かめねばならない案件」として、王宮まで上がってしまったのだ。
結果、ひとりの男が派遣されることになった。
ラグナリア王国騎士団長、アルヴァ・グレンフォード。
若くして騎士団をまとめ上げる、王国最強の剣。
◇ ◇ ◇
その日の朝、地方神殿の前に、見慣れない馬車が止まった。
村に来る馬車といえば、たいてい荷物か、たまの巡回役人くらい。
けれど今日のそれは、どう見てもただ者のいる馬車ではない。
車体の側面には、ラグナリア王国の紋章――翼を広げた獅子と、光を象徴する輪の刻印。
引いている馬は二頭とも良い血統の馬で、筋肉の張りが違う。
神殿の入口で掃除をしていたレアは、箒を握ったままぽかんと固まった。
「……なにあれ」
「王都の紋章付きですね。いやな予感しかしませんね」
隣で水を撒いていたエナが、小声でぼやく。
その顔は半分わくわく、半分めんどくさそうだ。
馬車の扉が開いた。
最初に降りてきたのは、軽装の兵士が二人。
鎧は実用的で、無駄な装飾はない。それでも、王都育ち特有のきちんとした所作が見て取れる。
そして――三人目。
重たい金属の音が、石段に響いた。
黒いマントがふわりと揺れ、長い脚が地面に降り立つ。
男は、無駄のない動きで立ち上がった。
黒髪を短く刈り込んだ頭。
鋭い灰色の瞳。
高い身長と、着慣れた鎧。
胸元には、王国騎士団を統べる者だけに許される紋章。
「……うわ」
エナが、思わず素の声を漏らす。
THE・騎士。
そうとしか言いようのない佇まいだった。
顔立ちは整っている。
けれど、その表情は無愛想の一言に尽きる。
口元に笑みの痕跡はなく、目元の皺も「笑いじわ」ではなく「疲れじわ」っぽい。
彼は神殿を一瞥し、それからきっちりとした動きで一礼した。
「ラグナリア王国騎士団長、アルヴァ・グレンフォードだ。
本日付で、王都より派遣された」
「き、騎士団長……!」
エナが裏返った声を出し、慌ててレアの肩を揺さぶる。
「レア様レア様、騎士団長ですよ! やばくないですか!? めっちゃ偉い人ですよ!」
「え、えっ、やばいの? どのくらいやばいの?」
「“王子より戦場にいる率高いクラス”です!」
「それ、よくわかんないけど、すごそう……」
ガタガタと慌てる二人を横目に、神殿長が奥からゆっくりと姿を現した。
さすがに年の功か、彼はそれなりに落ち着いている。
「これはこれは……わざわざ、こんな辺鄙な神殿へ。
神殿長のハルドと申します。遠路はるばる、ご苦労さまですな」
「こちらこそ、突然の訪問を詫びよう」
アルヴァは短く返し、視線を礼儀正しく神殿長に向ける。
灰色の瞳は鋭いが、礼を欠くわけではない。
「王都にて、お前の神殿に関する報告があがった」
「……報告?」
「『地方神殿に、神級とも言える聖女候補がおる』とな」
神殿長の肩が、ぴくりと跳ねる。
「誰じゃ、その情報を王都に投げたのは……」
「王都に戻った巡礼者や、巡回神官、諸々だ。
噂が膨らんだ部分もあるだろうが――真偽は確認せねばならん」
アルヴァは、そこで一瞬だけ視線を横に滑らせた。
彼の目が向いた先には、箒を持ったまま固まっているレア。
淡い銀色の髪。
氷青の瞳。
まだ十歳前後の少女。
アルヴァの瞳が、一瞬だけ細くなる。
「……あれが、そうか」
「“あれ”じゃなくてレア様ですからね!」
エナが即座に突っ込む。
アルヴァはちらりと彼女を見やるが、特に言い返しはしなかった。
「レア。こちらへ」
神殿長に呼ばれ、レアはびくっとした。
(やだ、逃げたい。無理。こわい)
心の中で全力で後ずさる。
でも、足は素直に前に出る。
神殿長の前で逃げ出す勇気なんて、さすがにない。
レアは箒を端に置き、緊張で固まった笑顔を貼り付けながら近づいた。
「は、はじめまして……っ」
口が乾いている。喉がひゅっと鳴る。
目の前で見るアルヴァは、やっぱり大きかった。
レアの身長はまだ彼の胸にも届かない。見上げる角度がえぐい。
(でか……い。こわ……)
灰色の瞳が、まっすぐに自分を見ている。
睨んでいるわけじゃないのは分かる。それでも、刺さる。
「あ、あのっ」
声を出した瞬間、思ったよりも大きく出てしまって、レア自身がびくっとなった。
「ら、ラグナリア王国しっ……じゃない、こっ、地方神殿の……えっとえっと……レアです!
よ、よよよよろしくおねがいしま、す!!」
自分でもびっくりするくらい噛んだ。
“よろしくお願いします”を噛みちぎる人間がいるなら、それは今この瞬間のレアだ。
空気が、一瞬だけ固まる。
エナが後ろで小さく顔を覆い、肩を震わせている。
笑いを堪えているのは丸わかりだが、今はそれどころじゃない。
(やった……絶対ヘンな子だと思われた……)
レアの心は、瞬時に自己否定の渦へダイブしようとする。
そこへ、低い声が落ちてきた。
「……ああ」
アルヴァは、ほんの一拍おいて、それだけ言った。
表情はほとんど変わらない。
眉ひとつ動かさず、ただ短く返事をする。
それがむしろ怖い。
(絶対、怒ってる……)
レアは勝手にそう結論づけて、心の中で正座を始めた。
アルヴァは、そんな彼女の動揺を気にした様子もなく、神殿長に向き直る。
「本題に入ろう」
「お、おう」
「俺の任務は、“噂の真偽を確かめること”だ。
この子が、本当に“神級”かどうか――確かめさせてもらいたい」
◇ ◇ ◇
神殿の奥、簡易の医務室。
ベッドが数台並び、棚には薬草や包帯がきっちり整理されている。
窓から差し込む光が、白いシーツを照らしていた。
そこに、一人の兵士が座っている。
鎧は脱いでいるが、動きからして鍛えられているのは明らかだ。
右腕の袖を捲り上げ、その下には、まだ新しい傷が横一文字に走っていた。
「王都からここに来る途中、ちょっとした魔物退治がありましてな」
隣で待機していた若い騎士が説明する。
「こいつが盾になってくれたおかげで、被害はこれだけで済みましたが……」
「大げさだぜ。かすり傷だよ」
兵士は笑ってみせるが、傷はそこそこ深い。
神殿長が一応診たところ、放っておけば数日は痛みが続くレベルだった。
「レア。こやつの傷を、治してやれるか」
神殿長の問いに、レアはこくりと頷いた。
「やってみます」
ベッドのそばに立ち、小さく息を吸う。
兵士の腕には、まだ赤黒い血が固まっている。
痛むのか、ときどき顔がぴくっと歪む。
レアは、その傷にそっと手をかざした。
(いたいの、なくなれ)
胸の奥から、ふんわりしたあたたかさを引き上げる。
それを、掌から少しずつ流し込んでいくイメージ。
光が、レアの手のひらに集まった。
柔らかな白――というより、少し青みがかった透明な光。
それが、霧のように傷に降りていく。
じゅわ、と音がした気がした。
兵士の顔から、少しずつ緊張が抜けていく。
さっきまでこわばっていた肩が、すとんと下りた。
「……あれ?」
レアが手を引くと、そこにあったのは――何もない腕だった。
傷跡すら、残っていない。
皮膚は健康な色をしていて、さっきまであったはずの赤みも消えている。
「うそ、だろ……?」
兵士が目を見開く。
思わず、自分の腕を何度も撫でる。
「痛く、ない……。さっきまで、ズキズキしてたのに」
隣の若い騎士が、ごくりと喉を鳴らした。
「俺の知ってる治癒魔法って……もっとこう、じんわり時間かかるやつなんすけど」
「普通はな」
神殿長が低く呟く。
「傷が完全に塞がるまでに、熟練の神官でもしばらく集中を強いられる。
じゃが今のは……祈り始めて数秒じゃった」
部屋の空気が、変わった。
さっきまでの、日常の延長のような雰囲気は消えている。
皆の視線が、レアの小さな手に集まっていた。
その中でも――アルヴァの視線は、ひときわ鋭かった。
彼は一歩前に出て、レアの前に立つ。
灰色の瞳が、真っ直ぐに彼女を射抜いた。
レアは思わず身を縮める。
(こわ……)
怒られるのかもしれない。
「何をした」と責められるのかもしれない。
レアの脳内は、過去の失敗記憶(大半は自分で勝手に失敗認定しているやつ)で大混乱だった。
けれど、アルヴァはしばらく黙り込み――低く、短く呟いた。
「……規格外だ」
その声には、怒りも非難もなかった。
ただ、純粋な驚きと、評価。
「き、きかくがい……?」
レアは、言葉の意味を理解しながら、びくびくと顔を上げた。
「やっぱり、変ですよね……」
つい、口から出る。
「前から、周りの人たちも“すごい”って言うけど……
普通と違いすぎるって、なんか、こわがられないかなって……」
自分で言いながら、胸が少しきゅっとした。
(変って、悪い意味で使われることも多いから)
前の世界――霧の向こう側の記憶では、「普通から外れること」はたいてい良い結果を生まなかった。
浮いてしまう。
噂される。
目をつけられる。
だから、レアは「すごい」より先に「変」「怖い」という方角を想像してしまう。
アルヴァは、その言葉を聞いて、わずかに眉を動かした。
「変ではない」
彼ははっきりと言った。
いつもの無愛想な顔のまま。
でも、その声にはぶれがない。
「お前の力は、確かに“普通ではない”」
「ですよね……」
「だが、それを“変”と呼ぶのは違う」
アルヴァは、ほんの少しだけ視線を柔らかくした気がした。
「俺は王都で、何人もの癒やし手や聖女候補を見てきた。
優秀な者も、大したことのない者も。
だが――今のは、そのどれとも違う」
言葉を選ぶように、一拍置く。
「王都にとって、この国にとって、お前は“希望”になり得る」
希望――。
その単語が、レアの耳の奥でゆっくりと反響した。
きれいな言葉だ。
明るくて、前向きで、人を照らす響き。
でも、それ以上に。
(聞いたこと……ない)
自分に向けられた言葉としては。
前世の霧の中。
金髪の少女は、「公爵家の義務」「王太子妃候補」「期待」として語られることはあっても、
「希望」と言われた記憶はなかった。
むしろ最後は、「厄介者」「悪役」「邪魔者」として切り捨てられた。
その空白を埋めるみたいに、今のアルヴァの言葉がすとんと胸に落ちてくる。
「き、ぼう……」
レアは、自分の口の中でその音を転がした。
「わたしが、ですか……?」
「ああ」
アルヴァはためらいなく頷く。
「お前の力があれば、救える命が増える。
守り切れる村が増える。
戦場から戻れる兵も、きっと今より多くなる」
淡々とした口調なのに、その一つ一つが重い。
「それを希望と呼ばずして、何と呼ぶ」
「……」
胸の奥で、なにかがじん、と熱くなった。
(こんなふうに、言ってもらったの、はじめてだ)
「役に立ちたい」と願っていた。
誰かの役に立てる自分になりたいと、ずっと思っていた。
でもそれは、「家のため」「立場のため」という枠から出たことはなかった。
今の言葉は、それよりもっと広い場所から降ってきたみたいだ。
(わたしが誰かを助けたら、その先にまた誰かの笑顔がつながるかもしれない)
そんなイメージが、ふっと浮かぶ。
うまく言葉にならない感情が、胸の奥でぐるぐる回る。
気づけば、視界が少し滲んでいた。
「……っ」
慌てて瞬きをする。
涙をこぼすなんて、恥ずかしい。
でも、こぼれてしまうものは止められなかった。
一粒、二粒。
氷青の瞳から、透明な涙が頬を滑り落ちる。
「レア?」
神殿長が驚いたように声をかける。
レアは自分でも理由が分からなくて、あたふたと手の甲で目元をこすった。
「ご、ごめんなさい、なんか、その……
変なこと、言われたわけじゃないのに……」
むしろ、嬉しいことを言われたのだ。
なのに涙が出るなんて、どうかしている。
アルヴァは、その様子を黙って見ていた。
慰めの言葉も、過剰な心配も口にしない。
ただ、少しだけ声を低くして言う。
「泣いていい」
「……え?」
「泣いて構わん。
それで誰かが困るわけでもない」
その言い方があまりに当然で、レアは一瞬ぽかんとする。
「ただ、一つだけ覚えておけ」
アルヴァは、まっすぐに言葉を重ねた。
「お前の力は、誰かを脅かすためのものじゃない。
誰かを救うためにある。
それを“変だから”と縮こまらせるのは、もったいない」
もったいない――。
自分のことをそう評されたのも、多分初めてだ。
レアの胸の奥で、きゅっと縮こまっていた何かが、ほんの少しだけ伸びをした。
「……はい」
かすれた声で、それでもちゃんと返事をする。
「わたし、がんばります。
こわがられないように、ちゃんと気をつけながら……でも、いままでみたいに、誰かの“いたいの”を減らせるように」
それは、彼女なりの決意表明だった。
アルヴァは、それを聞いて小さく頷く。
「それでいい」
表情はほとんど変わらないのに、ほんのわずか。
口元の硬さが、柔らかくなった気がした。
エナが後ろで、レアの背中をこっそり押す。
「レア様、今の、めちゃくちゃ褒められてますからね。多分。騎士団長さんなりの限界値で」
「そう、なのかな……?」
「そうですよ。あれで全力です、ああいう人は」
エナの吹き出しそうな声に、レアもぷっと笑いそうになった。
涙の味と、一緒に混じる、ほんの少し甘いもの。
(わたし……)
心の中で、そっと自分に問いかける。
(ほんとうに、“希望”になれるのかな)
まだ自信はない。
でも、さっきまでよりも少しだけ、自分を信じてみてもいい気がした。
前世で一度も向けられなかった言葉が、今、確かに自分に向けられた。
――希望。
そのたった二文字が、レアの中の何かを、静かに、でも確実に変え始めていた。
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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