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第10話「前世の影と、未来への小さな誓い」
しおりを挟む王都大神殿での生活は、思っていた以上に、忙しくて濃かった。
朝の祈り。
聖属性の制御訓練。
魔力の座学。
歴代聖女に関する歴史の授業。
ときどき、貴族や王族のための特別儀式の補助。
レアの一日は、びっしりと予定で埋まっていった。
「レア、次は第二礼拝堂での儀式補佐だ」
「はい、すぐ行きます!」
神官見習いの少年に呼ばれて、レアは慌てて書き物を片づける。
机の上には、聖語で書かれた分厚い祈りの書。
昔のレアなら「絶対むり」と投げ出していたであろう文字の量だ。
でも今は、途中で投げ出す気はない。
(ちゃんと、覚えないと)
自分の力任せの“なんとなくの祈り”に頼ってばかりいられない。
それは、地方神殿時代の神殿長にも、ここに来てからの神官長にも、何度も言われたことだ。
「力が強い者ほど、基礎を大事にしろ」
その言葉は、アルヴァにも何度か繰り返された。
(強い力は、間違えたときの被害も大きい)
それを、レアもなんとなく肌で感じていた。
だから――今日もちゃんと祈る。
◇ ◇ ◇
第二礼拝堂には、王都の人々が並んでいた。
商人、兵士、貴族の奥方、街の子どもたち。
それぞれが、それぞれの事情を抱えて、ここに祈りを捧げに来る。
レアは、前に立つ神官の少し後ろに位置し、両手を胸の前で組んだ。
儀式は、神官の先導で行われる。
レアはあくまで“補助”だ。
(息を整えて)
吸って、吐いて。
胸の中で、祈りの言葉を静かに並べていく。
目を閉じると、聖堂の空気が変わるのを感じた。
人々の祈りが、目に見えない糸になって、レアの方へ伸びてくる。
それら一つひとつに触れながら、自分の中の光を、少しずつ、その糸に沿って流していく。
誰かの頭痛。
誰かの古傷。
誰かの胸のざわつき。
全部を一度に癒やすことはできなくても、少しだけ軽くすることはできる。
光が、堂内にふわりと広がった。
ステンドグラス越しに差し込む陽光と混ざり合って、色とりどりの輝きになる。
「……っ」
前列に座っていた老女が、胸に手を当てて驚いたような顔をする。
「さっきまで苦しかったのに……」
「腰の痛みが……少し楽に……」
小さな声が、ここかしこから漏れる。
神官は、表面上は冷静なままだったけれど、その瞳には驚きと感嘆が浮かんでいた。
儀式が終わり、人々が順番に礼拝堂を出ていく。
その背に、レアはそっと会釈した。
「レア、さっきの祈り……」
神官の一人が、廊下で声をかけてくる。
「失礼ながら……あれほど広範囲に癒しの効果を行き渡らせた例は、私の知る限りほとんどありません」
「あ……」
褒められているのは分かる。
でも、レアはどこか落ち着かない。
「ありがとうございます……」
とりあえず、教えられたとおりの言葉で返す。
神官は満足げに頷いた。
「これからの成長が楽しみだな。さすが“国の聖女候補”だ」
その言葉に、周囲の聖職者たちも頷いた。
「さっきも、祈りの最中に空気がふわっと軽くなって……」
「まるで、本当に神々が降りてきたみたいだった」
「将来は、歴代でも指折りの聖女になるやもしれん」
レアは、少しだけ目を伏せた。
(期待されてる)
それが、分かるからこそ、同時に――胸の奥で、小さな影が揺れた。
力を使うたびに、期待されるほどに。
――あの夜の光景が、ふ、と脳裏をかすめる。
◇ ◇ ◇
石造りの広場。
夜なのに明るすぎる光。
列をなして並ぶ燭台。
そこに立たされる、ひとりの少女。
金髪。
深紅の瞳。
完璧なドレス。
群衆の視線は冷たくて。
王子の声は、凍るように固くて。
『公爵令嬢リオネッタ・フェルディア。
君は聖女エミリアに対して、到底許されざる罪を――』
「……っ」
胸が、ズキンと痛んだ。
レアは思わず、胸の前でぎゅっと服を握りしめる。
視界の端が、少し揺れた。
「レア?」
背後から、神官の声が飛んでくる。
「あ、す、すみません。ちょっと、めまいが……」
そう言うと、神官は「あまり無理はしないように」と心配そうに眉を寄せた。
レアは笑って見せる。
「大丈夫です。少し休めば」
その笑顔は、完璧じゃない。
でも、神官はそれ以上追及しなかった。
彼らには見えないから。
レアの中で、何度も何度も再生される「前世の断罪の影」は。
◇ ◇ ◇
自室に戻ったレアは、ベッドの端に座り込んだ。
胸の辺りを押さえると、まだ少し痛みが残っている気がする。
もちろん、実際に傷があるわけではない。
(ここじゃない、“どこか”が、ずっと痛い)
そう形容するしかない感覚。
力を使うほど、それは頻繁に顔を出してくる。
(わたし……前にも、誰かに……すごく、すごく嫌われたことがある)
そんな、ぼんやりとした確信。
名前も、顔も、ほとんど思い出せないのに。
そのとき浴びた視線と、言葉の冷たさだけが、やたらとリアルだ。
(わたしのせいで、誰かが泣いて……)
(誰かの“希望”を、奪ったことがあって……)
かすれて途切れた記憶が、胸の奥でひどく重くのしかかる。
――コンコン。
ノックの音がした。
「レア。入っていいか」
低く落ち着いた声。
アルヴァだと、すぐ分かった。
「……どうぞ」
扉が開く。
アルヴァが中に入り、軽く部屋を見回した。
視線はすぐにレアの胸元へ向かう。
彼女がそこを押さえているのを見て、わずかに眉をひそめた。
「体調が悪いのか」
「えっと……」
レアは一瞬迷って――とりあえず一番無難な答えを選ぶ。
「だいじょうぶです。少し疲れただけで」
笑顔を添えてみる。
自分では自然だと思ったその笑みに、アルヴァは一秒でツッコミを入れた。
「……嘘が下手だな、お前は」
「っ」
図星すぎて、肩がびくっと跳ねる。
「そ、そんなことないです。わたし、けっこう上手に――」
「今の笑顔は、目が笑っていなかった。
口元だけ形を作って、視線が揺れている」
淡々と指摘されて、レアは完全に言葉を失った。
(この人、こわ……観察力エグい……)
逃げようとしても、ちゃんと見抜かれている。
それが分かって、逆に観念した。
「……すこし、胸が痛くて」
ぽつりと、正直に言う。
「さっき祈りのとき、また変な……“昔の”みたいな光景が浮かんできて。
人がいっぱいこっちを見てて、誰もわたしの味方じゃなくて……
なんか、すごく冷たい声で、断罪されて……」
そこまで話して、レアは言葉を途切れさせた。
アルヴァは静かに聞いている。
口を挟まず、ただ耳を傾ける。
「なんでそんな夢を見るのか、よく分からなくて。
でも、“夢”って言い切るには、ちょっと……リアルで」
喉の奥に、ひっかかるものがあった。
「わたし、前にも……誰かを傷つけて、誰かにひどく嫌われて、
すごく、悪いことをしたんじゃないかって、最近よく思うんです」
それを口に出した瞬間、胸の重さがほんの少しだけ形を持った。
ぼんやりしていた罪悪感に、輪郭がつく。
「でも、誰を傷つけたのかも、何をしたのかも、ぜんぜん思い出せなくて。
だから余計に、こわくて……」
誰かを想って泣いているのに、その「誰か」が分からない。
それは、かなりしんどい。
レアは、膝の上で拳を握った。
「このまま、また同じことをしちゃうんじゃないかって。
知らないうちに、誰かのことを踏みにじって……
あとで、『実は前にも同じことをしてましたよ』って言われたらどうしようって」
自分でも、そんな極端な想像だと思う。
でも、脳が勝手に最悪パターンを生成してしまう。
「“希望”って言ってもらって、うれしかったんです。
ちゃんと誰かの役に立てたらいいなって、本気で思えるようになって……」
アルヴァの言葉。
神殿長の言葉。
地方神殿のみんなの笑顔。
それらを思い出すと、胸が少し温かくなる。
「でも、どこかでいつも、“そんな資格ないよ”って自分で自分に言ってる感じがして……
それが、多分、いちばん苦しいです」
言葉を吐き出してみて、ようやく自分の苦しさの正体が、少し見えた気がした。
アルヴァは、レアの話が終わるまで黙って聞いていた。
彼は長い溜息をつくでもなく、情けをかけるような顔で見下ろすでもなく、
ただ、じっとレアを見ていた。
「……お前は、“前の自分”を怖がっているのか」
ぽつりと、そんな言葉を落とす。
レアは驚いて顔を上げた。
アルヴァの灰色の瞳は、まっすぐだった。
「名前も、顔も思い出せない、“誰か”としての自分だ」
「……はい」
そう言われて、レアはゆっくり頷いた。
「その人が、本当にあったのかどうかも分からないのに。
でも、あった気がして。
その人がしたことが、いまのわたしにくっついてきてる気がして」
「なるほどな」
アルヴァは、腕を組んだ。
ほんの少しだけ眉間に皺を寄せて、何かを考える。
言葉を選んでいるのが分かる。
「……俺は、神でも賢者でもない」
「いきなりどうしたんですか」
「前世だの転生だの、“そういう話”を理屈で説明することはできん」
そう言って、肩をすくめる。
「だが――」
そこで、彼はレアから視線を逸らさずに続けた。
「少なくとも俺は、“今ここにいるお前”を見ている」
短い言葉。
でも、その一つ一つがやけに重く響いた。
「今ここで、人を癒そうとしているお前を見ている。
痛みに顔を歪めている人を前にして、真っ先に『大丈夫ですか』って言うお前を知っている。
目の前の誰かを踏みにじって喜ぶタイプには、まったく見えん」
「……」
「過去に何をしたかも、前世でどうだったかも、俺にはどうでもいい」
アルヴァの声が、少しだけ低くなる。
「俺は、“今のお前”が何をするかを見ている。
そして、同じように“今のお前”を見ている人間は、ここに他にもいる」
神殿長。
エナ。
大神殿の神官長。
今日、レアの祈りで楽になった人たち。
彼らの顔が、次々と浮かんでくる。
「過去がどうであれ、今のお前を見て評価する人間は、確かにいる。
それが、今ここに生きているお前の“証人”だ」
アルヴァの言葉は、不器用なくらいまっすぐだった。
飾っていない。
慰めというより、事実として告げているだけ。
だからこそ――レアの胸に、深く刺さった。
(“今のわたし”を見ている人が、いる)
その当たり前のことを、ちゃんと自覚したのは、もしかすると初めてかもしれない。
前世では、「公爵令嬢」としての自分しか見てもらえなかった。
「王太子妃候補」としてのスペックだけで判断されていた。
今、ここでは。
神殿で箒を持っているときも。
裏庭で子どもたちと走り回っているときも。
誰かの手を取って祈っているときも。
「レア」としての自分を見てくれる人たちが、確かにいる。
「……アルヴァさん」
レアは、胸の奥がじんと熱くなるのを感じながら、口を開いた。
「わたし、まだ全然勇気なくて、すぐ過去のことばっかり考えちゃうんですけど……」
それでも、と続ける。
「今度こそ、誰かを傷つけるんじゃなくて。
誰かを、ちゃんと救えるわたしになりたいです」
言葉にするのは、少し怖かった。
「できるのか」と問われたら、自信はない。
でも、「そうなりたい」と願うことくらいは、してもいいと思えた。
「前のわたしがどんな人だったのかは、いつか思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれないけど……
“今のレア”として、目の前の人を泣かせないで済むように、生きたいです」
それは、まだ輪郭のぼやけた誓い。
でも、“自分の意思”で生きたいという、確かな一歩。
アルヴァは、しばらくレアを見つめていた。
その瞳の奥で、何かがかすかに揺れた気がする。
「……それでいい」
短く、それでも力のこもった声。
「過去を気にするなとは言わん。
気にするなと言っても、気になるものは気になるだろう」
「……はい」
「だが、その過去を理由に、“今できるはずのこと”まで止めるな」
レアは息を呑んだ。
「お前が誰かを救える力を持っているのなら、その力を封じることこそ、罪だと俺は思う」
静かな断言。
その言葉に、レアは目を見開いた。
(わたしが、なにもしないことが……罪)
今までとは、逆だ。
自分が動いたことで誰かが傷つくのが怖くて、できるだけ「無難に」「目立たないように」生きようとしてきた。
でも、その生き方が、本当に正しいとは限らない。
誰も助けないまま、自分だけ安全な場所にいることが、
むしろ誰かの悲しみを長引かせる原因になるかもしれない。
「……むずかしいこと言いますね」
レアは、笑いながら言う。
「そんなにかっこいいこと言われちゃうと、がんばるしかないじゃないですか」
涙混じりの笑み。
さっきまで張り付けていたぎこちない笑いとは違う、ちゃんと心からの笑顔。
アルヴァはそれを見て、わずかに表情を緩めた。
「元からそのつもりだったろう」
「バレてた」
「嘘が下手だと言った」
「そこ、根に持ちますね?」
軽口を叩けるくらいには、胸の痛みは和らいでいた。
レアは、深く息を吸う。
(そうだ。わたしはもう、“あのときのわたし”じゃない)
断罪された悪役令嬢。
森で一人死んでいった少女。
その記憶は、いつかきっと全部戻ってくるだろう。
それは避けられない予感があった。
でも、そのとき――今のわたしが胸を張っていられるように。
「アルヴァさん」
「なんだ」
「見ててくださいね。ちゃんと。
わたしが、“今のレア”として、どこまでやれるか」
少しだけ、挑むように。
アルヴァは、ほんのわずか、目を見開いた。
そして、一度だけ小さく頷く。
「ああ。見届けよう」
それは、無骨な誓いだった。
でも、レアにとっては、それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
その夜。
レアは、大神殿の屋上にいた。
夜風が、淡い銀色の髪を揺らす。
少し冷たいけれど、嫌な冷たさではない。
屋上から見下ろす王都は、昼間とは違う表情をしていた。
灯りが点々と散らばり、星のように瞬いている。
遠くの方で、酒場の笑い声がかすかに聞こえた。
空を見上げる。
星も、本物の星も、そこにあった。
地方の村で見上げた星空より、少しだけ数が少ない気もする。
でも、それでも十分、きれいだった。
(女神さま)
レアは、心の中でそっと呼びかける。
白い神殿。
柔らかな光。
「転生の女神」と名乗ったあの人の顔。
あの日の光景は、前世の記憶よりもずっと鮮明に残っていた。
(あなたは、“今度こそ、自分のために生きていい”って言ってくれた)
その言葉に、どれだけ救われたか分からない。
(わたし、まだうまくできてないです。
すぐ誰かの目を気にして、過去の影に引きずられて、うじうじして)
自分で自分にツッコミを入れる。
(でも、それでも――)
レアは、ぐっと拳を握った。
「今度こそ、ちゃんと誰かを救える私になります」
夜空に向かって、小さな声で誓う。
「誰かを傷つけるんじゃなくて。
“あなたがいてよかった”って、誰かに言ってもらえるように」
それは、世界中の誰の願いでもない。
前世の名前も肩書きも関係ない――レア自身の願い。
そう思うと、胸の奥でなにかが静かに灯った。
(私の物語は)
夜空の星を見上げながら、レアは心の中で呟く。
(ここから始まる)
断罪の広場でもなく。
国境の森の冷たい土の上でもなく。
王都大神殿の屋上で。
自分の意思で立って、自分の口で誓いを立てた、この瞬間から。
風が、優しく彼女の頬を撫でた。
その風はどこか、最初に自分を送り出してくれた女神の手つきに似ている気がして――
レアは、そっと目を閉じた。
遠くで、夜の巡回を続ける騎士の足音が聞こえる。
その音に安心しながら、彼女は新しい一歩を、胸の中で静かに踏み出していた。
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(追記2018.07.02)
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(追記2018.07.24)
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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