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第11話「奇跡連発! 最強聖女、噂になる」
しおりを挟む時が流れた。
ラグナリアの暦で、幾つもの季節が巡って――
レアは、見た目だけなら、もう誰が見ても「立派な少女」から「一人前の乙女」と呼ばれる年頃になっていた。
白銀の髪は背中の真ん中あたりまで伸び、
昔のふわふわした子どもっぽさから、やわらかく波打つ光のヴェールみたいになった。
氷青の瞳は、相変わらず透き通っている。
けれど、そこにはかつてなかったもの――自分で選んだ意思の光が宿っている。
ただ守られるだけの子どもではなく、
誰かを救うために前へ出る覚悟を持った「聖女候補」としての眼差し。
……そして彼女の生活も、静かな修行の日々から一変していた。
◇ ◇ ◇
「レア様! こちらのテント、重症者が多くて……!」
「分かりました、すぐ行きます」
肺を焼くような薬草の匂いと、汗と血の混じった空気。
ラグナリア北方の小さな村は、今、疫病という形の災厄に飲み込まれていた。
咳。呻き声。
布越しに伝わる熱。
レアは、袖を少しだけ捲り上げて、患者の額に手を置く。
(落ち着いて。焦らない)
十五、十六になった今でも、祈りの始まりは昔と変わらない。
息を整え、胸の奥で光の源に触れる。
じん……と、温かいものが指先に集まってくる。
「聖なる光よ。痛みを和らげ、穢れを祓い、命の流れをまっすぐに」
静かな祈りの言葉が、テントの中に染み込んでいく。
手のひらから、雪解け水みたいな透明な光が滲み出た。
それは患者の体に吸い込まれ、全身をやさしくなぞっていく。
焼けつくようだった熱が、少しずつ下がる。
固く閉じていた眉間のしわが、緩んでいく。
「……あれ、息が……楽に……」
寝台の上の青年が、かすれた声で呟いた。
「無理に起きないでください。
体の中で、病気と戦っている力に、すこし手を貸してるだけですから」
レアは微笑んで、汗を拭う。
次の寝台。
さらに次の寝台。
テントの中をくまなく回って、一人一人に手を伸ばす。
光は、レアの中から途切れることなく湧き続けていた。
以前なら、とうに魔力切れを起こしている量だ。
(前より、ずっと……長く、届くようになった)
それは、鍛錬の成果であり、経験の積み重ねであり、何より――
「救いたい」と願う気持ちが、昔よりもずっと強くなっている証だった。
テントの入口から、鎧のきしむ音が聞こえる。
「レア。そろそろ一度、水分を摂れ」
低く、よく通る声。
振り向かなくても、誰だか分かる。
「アルヴァさん、あと少しだけ……この人と、向こうの列が終わったら」
「さっきも同じことを言ったのを覚えているか」
「うっ」
図星だった。
アルヴァはテント越しの状況にも慣れている。
一歩中に入り、周囲の様子をざっと確認し、邪魔にならない場所に腰を下ろした。
手には、水筒とタオル。
「お前は自分の体力を過信しすぎだ。
誰かが止めねば、朝まででも祈り続ける気だろう」
「だって、まだ動けますし」
「それは“動ける”だけで、“無傷”とは言わん」
淡々とした説教。
何度も聞き慣れたトーンだ。
レアは、患者の額から手を離しながら、ちらりとアルヴァを見る。
灰色の瞳は相変わらず鋭い。
でも、整った顔に刻まれた小さなしわは、昔よりも少しだけ「心配性」に見える気がした。
(最初に会ったときより、表情がわかりやすくなったかも)
慣れ、なのかもしれない。
「……わかりました。水、飲みます」
素直に水筒を受け取ると、アルヴァが少しだけ目を細めた。
「最初からそうしておけ」
「はいはい、団長殿」
「呼び方に含みを感じるな」
小さなやりとり。
そのささやかなやりとりが、緊迫したテントの空気を少しだけ和らげていた。
レアは喉を潤し、深呼吸をしてから、最後の患者に向き直る。
――その夜。
村の外に張られた結界が、疫病の瘴気を押しとどめ、
中にいた患者のほとんどが一晩で危険な状態から脱した。
「聖女様だ……」
「本物の……」
翌朝、村人たちはレアを囲んで口々に言った。
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
泣きながら頭を下げる者。
レアの手を両手で包み込む者。
遠巻きに、ただじっと見つめてくる子どもたち。
レアは、少しだけ照れながら笑った。
「はい。……お大事にしてくださいね。
これからは、ちゃんと水もきれいなものを使って、体を冷やさないようにして」
その言葉に、村の長老が深々と頭を下げた。
「このご恩、一生忘れませぬ」
その笑顔、その涙、その安堵。
それらが、レアの胸の奥で、静かに積み重なっていく。
(わたし……)
馬車に戻る途中、レアは空を見上げた。
まだ完全には消えない、前世の影――
断罪の夜の冷たい視線や、森の孤独。
それらが、すこしずつ薄れていくのを感じる。
(ちゃんと、役に立ててるんだ)
無力感という名の鎖が、一本一本ほどけていくみたいに。
◇ ◇ ◇
疫病だけではない。
あるときは、干ばつに苦しむ南方の村に呼ばれた。
土はひび割れ、家畜の鳴き声もかすれている。
空は雲ひとつなく、太陽だけが無遠慮に照りつけていた。
「雨を……」
村人たちが、祈るような目でレアを見る。
レアは、空を仰いだ。
(ラグナリアは、女神さまがくれた世界。
この空も、この土も、全部)
「水よ、巡れ。
止まってしまった流れを、もう一度この地に届けて」
広場の中央に立ち、両手を高く掲げる。
胸の奥の光を、真上へ向かって放つ。
透明な柱になったそれは、空の高みへと伸びていく。
最初は何も変わらなかった。
でもやがて――
さっきまで一点の曇りもなかった空に、ぽつ、ぽつ、と小さな影が現れた。
「雲……?」
村人が呟く。
雲は次々と増え、あっという間に空の半分を覆った。
風が変わる。
土の上を吹き抜ける空気が、じわりと冷たくなる。
そして――大粒の雨が、落ちてきた。
「――っ!」
最初の一滴が頬を打った瞬間、レアは目を見開いた。
次の瞬間には、それはもう一滴ではなくなっていた。
ざあああああああああっ――!
乾いた大地を叩く音。
屋根を鳴らす音。
何ヶ月ぶりかの本当の雨の匂い。
「雨だ!」
「……雨だぁああああ!!」
村人たちが、一斉に歓声をあげる。
子どもたちは裸足で外に飛び出し、雨の中ではしゃぎ回った。
大人たちは空に向かって手を伸ばし、涙と雨水で顔をぐしゃぐしゃにしながら笑っている。
レアは、振り注ぐ雨の中でゆっくりと手を下ろした。
ずぶ濡れになった髪が、背中に張り付く。
衣服も重くなっていく。
それでも――胸の中は、軽かった。
(できた)
前世では、何ひとつ変えられなかった。
誰かの判断に逆らうこともできず、ただ断罪の台に立たされていた。
今は――この手で、空にだって触れられる。
雨に濡れながら微笑むレアを、少し離れた場所からアルヴァが見ていた。
彼もまた、鎧ごとずぶ濡れだ。
「お前というやつは……」
ぼそっと呟く。
「何度見ても、規格外だな」
けれど、その口調には、若干の呆れと同じくらい、誇りが混じっていた。
◇ ◇ ◇
またあるときは、国境付近の砦。
魔物の群れが押し寄せ、防衛線がじりじりと押されていた。
夜。
血と泥に塗れた城壁の上で、兵士たちの顔は暗い。
「持って……あと一刻か……?」
「矢も、油も、もう……」
そんな絶望の淵に、銀色の髪の少女と、黒髪の騎士が現れた。
「レア、行けるか」
「もちろんです」
風が、彼女のマントをはためかせる。
砦の前には、黒い影の群れ。
咆哮。唸り声。
牙の光。
(ここは……絶対、通さない)
レアは、城壁の上に両足を踏ん張る。
「光よ。
この地を喰らおうとする闇から、人々を守る壁になって」
祈りとともに、光が溢れた。
砦の前、一帯をぐるりと囲むように――眩い光の壁が立ち上がる。
魔物たちが突っ込む。
牙を剥き、爪を振るう。
が、そのすべてが「見えない何か」に阻まれて弾き飛ばされる。
「な、なんだあれは……!」
「光の……防壁……!」
兵士たちが、呆然と呟いた。
光の壁は、たんに物理的な攻撃を遮るだけではない。
内側の空気を浄化し、外から流れ込んでくる瘴気を分解していく。
兵士たちの呼吸が、少しずつ楽になるのが分かった。
レアは、額に汗を滲ませながらも、表情を崩さない。
(大丈夫。わたし一人じゃない)
背中を守るように立つ、黒髪の騎士の気配。
アルヴァは、光の壁の少し内側に位置し、万が一の突破や飛び道具に備えていた。
彼は、光壁の向こうで暴れる魔物たちを睨みつける。
(こいつが倒れる可能性は、ここにはない)
自分の剣一振りで防げる危機なら、いくらでも立ち向かう。
それが、自分に課された役目だ。
だが――この国に“神級”とまで言われる聖女を擁する以上、その身を守る責任は、いっそう重い。
(誰にとっても希望であるやつが、自分で自分を削りきって倒れるなど、笑えん)
レアの光は強い。
だからこそ、燃え尽きる可能性もある。
彼は、レアの横顔をちらりと見た。
真剣な瞳。
固く結ばれた唇。
──そして、自分が思っている以上に、まだ若い少女の輪郭。
(無茶をしがちな子どもを、見張る大人の気分だな)
心の中で苦く笑う。
だが、その「大人」は、ただ見張っているだけではない。
この身が盾になるなら、喜んでそうする覚悟は、ずっと前から固めていた。
「アルヴァさん、もう少しです。……少し、力を足しても?」
レアが、息を切らしながら問う。
「あまり出しすぎるな。引き際は俺が判断する」
「アルヴァさんに任せるのも、ちょっと怖いです」
「なぜだ」
「止め時、絶対ギリギリまで待つでしょ」
「……否定はせん」
そんなやり取りをしながらも、光の壁は揺るがない。
やがて、魔物の群れは光に阻まれ、数を減らし、
騎士団と砦兵の反撃によって、完全に退けられた。
戦いのあと。
砦の中庭で、兵士たちはレアとアルヴァの前に整列した。
「聖女殿、そして騎士団長殿……命を救っていただき、感謝します!」
誰かがそう叫び、ほかの者たちも声を合わせて礼を言う。
レアは、うまく言葉を返せなくて、でも必死に口を開いた。
「こちらこそ……みんなが、最後まで諦めなかったから、守れました。
わたし一人じゃ、ここまでできませんでした」
それは、本心からの言葉だった。
光だけでは、世界は守れない。
剣だけでも、救えない命がある。
(みんなで、守ってるんだ)
レアの胸に、その実感が刻まれていく。
◇ ◇ ◇
――そんな日々が、続いた。
北の疫病の鎮静。
南の干ばつの救済。
東での魔物侵攻の防衛。
西方での地割れ地帯の封印。
レアの出向先は、ラグナリア全土に及んだ。
出向と言いつつ、呼ばれているのはほとんど「最後の切り札」としてだ。
どうにもならないとき、最終的に頼られる存在。
人々は、彼女を畏怖と敬意を込めて、こう呼び始めた。
――「ラグナリアの最強聖女」。
本人は「そんな大げさな」と両手を振るけれど。
彼女の通ったあとに残る「奇跡」の爪痕は、どうしてもその呼び名を加速させてしまう。
噂は、王都から地方へ。
地方から、近隣諸国へ。
そして――国境を越え、「別の世界」にまで、じわじわと染み出していった。
◇ ◇ ◇
「聞いたか?」
「何をだ」
「“向こう側の世界”に、神級の聖女が現れたそうだ」
薄暗い部屋。
壁には古い魔法陣が刻まれ、机の上には無数の魔道具が転がっている。
空中に浮かぶ球体――魔道通信具。
そこから、くぐもった声が聞こえてくる。
応じる声は、別の場所、別の世界から。
「向こう側、というと……ラグナリアか?」
「そうさ。あの世界樹の枝葉に連なる世界線の一つ。
最近、あそこからの魔力波が異常に強くなっていてな。調べてみたら、“聖女候補”とやらが、とんでもないことをしでかしているらしい」
「とんでもない、とは?」
「疫病の村を一晩で癒やし、干ばつ地帯に雨を降らせ、魔物の大軍を光の壁で押し返した――と、向こうの記録にはある」
「誇張ではないのか」
「多少の脚色はあるだろうが、“別世界全体の気配”が変わっているのは事実だ。
ラグナリアの聖属性の流れが、ここ数年で急激に活性化している」
魔道具越しの声は、楽しげでもあり、どこか危険な興味を帯びてもいる。
「おまけにだ。その聖女は、“魂の質”がやけに特異でな。
うちの宗派の古文書と照らし合わせた結果、“異世界からの転生者”である可能性が高いと出た」
「異世界転生者、か……」
もう一人の声が、興味深げに呟く。
「それで、“別世界の聖女”というわけか」
「ああ。こことは違う世界から流れついた魂。
“門”さえ開ければ、接触は不可能ではない」
薄暗い部屋の隅で、誰かが笑った。
「ラグナリアの女神は、魂の運用が甘いからな。
こっちの手の届くところまで、わざわざ“宝石”を放り投げてくれたようなものだ」
「その宝石を、どうするつもりだ」
「まだ決めてはいないさ。
ただ――可能性としては、利用できる」
魔道具に映る魔法陣が、じわりと赤く輝いた。
「世界と世界を繋ぐ“門”を開ければ、聖女に直接干渉できる。
あるいは、その力だけを引き出して、こちらの世界に持ち込むことも」
「危険ではないか?」
「危険だからこそ、価値がある。
異世界の聖女。
門を開ければ接触可能な、“神級”の魂」
声の主は、愉悦を含んだ笑みを浮かべる。
「その存在――放っておくには、あまりにも惜しいと思わないか?」
◇ ◇ ◇
ラグナリアの空の下。
レアは、そんな会話が別の世界で交わされていることなど知る由もなく、
今日もどこかの誰かの「痛いの」を少しでも減らそうと、両手を伸ばしていた。
彼女の背はまだ細く、肩も決して広くはない。
けれど、その背に、知らないところでかかり始めた「異世界の視線」の重さは――
ゆっくりと、確実に、彼女の運命を次の段階へと押し出そうとしていた。
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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