花札賭博伝説 今宵にきみ、思ふ

SHUN

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山形闘花編

一 早春

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闘花…それは、花札で激突する者達が頂点を奪い合う事である。

 1998年3月10日 山形県山形市栄原

 3月に入り雪が溶けてきた山形市では、春の幕開けに相応しい絶景となっていた。朝から降りかかる日差しが点々と照りつけ、徐々に桜の木々もまるで慌ただしいサラリーマンのように満開へと準備を着々に進めているのが蕾を見るとよく感じられる。
 何故人はこんなに季節の変わり目を目で見て、心で感じられる事が出来るのだろうか。人によってそれは楽しみでもあり、逆にそれが悲しみにもつながる。
 例えば春になったとして、子供からすれば、雪が降っている間使えなかった公園などでサッカーボールを蹴ったりして遊ぶ事や鬼ごっこ、遊具の死角を使ってのかくれんぼが出来るから楽しみだとか、大人からすれば、初春に亡くなった両親や親友が居たとしてそれを走馬灯の如く思い出すとか。
 そんな日本とは気候帯の違う海外では味わうことの出来ないこの四季の風情こそが日本独特の文化なのだろうと、津田(つだ)は自部屋の中の冷えた窓ガラスのそばで住宅街の景色を見ながらぼんやりとそう感じていた。
「春か…社会人に向けての準備も進めねぇとな。」
 津田は3年前に県立高校の卒業式を10日に終え、社会人生活3年目を迎え、4年目に向けての準備を始めていた。
 津田はふと自分の机の上に玩具のように転がっていた書類に目がつき、それを意味もなくガサガサと触り始めた。それはかつて就職活動に向けて取り組んだ対策問題のプリントや参考書が埋め尽くすように所狭しと散らばっていた。津田の机はあの時のままだった。
「これ全部、貰いもんなんだよね。」
 津田は独り言のようにそう言っていたが、津田は勉強しなくても毎回あったテストでも並の点数を取れるほどであった為勉強の必要性が皆無だった。
 暇があれば取り組んだというだけで、その勉強の日々の多くの余暇を花札の練習として取り組んでいた。
 津田にとって花札の対局に向けての練習は受検勉強と同じであり、対局が試験であった。本命の勉強など二の次というレベルでもなく、津田にとってみれば屁のような存在だった。屁のように放たれて忘れ去られるように消えていくのだ。
「まぁいいや。さて、今日は散歩にでも行ってみるか。」
 津田は気分転換にまだ早い朝の時間帯に散歩をしようと考えていた。花札の練習は良いのか?と漫画や小説作品の読者の如く誰しも思っているだろうが、それには理由があった。
「明日は対局だしな。」
 一つ目の理由は、練習が終わったその前日つまり17日の午後の練習が終わったその時から自信に満ち溢れている事。
「気休めに。」
 二つ目の理由は、練習でプレッシャーをかけないためにわざと練習をサボる事。
 津田にとって散歩の一環でも花札の勝利に繋がると確信していた。一時(いっとき)も乱れないその彼の心拍が証拠の一つだった。

 外へとNIKEの黒カラーの靴を履いて津田は出て行った。朝の情景に相応しい小鳥の囀りや霜がかった地面がまた良い。津田は家から出て数十歩歩くと小鳥を発見した。そしてその瞬間に閃いたように声を上げた。
「鶯…か。」
 それは花札の10点札の一つでもあるタネ(種)の鶯である。満開の梅の木が周囲に描かれている中央で緑と黄色の色合いが見事な赤眼の鶯だ。
 津田はただの雀を鶯と捉えた。それぐらい彼の頭の中は花札で散りばめられているようなものだ。政治問題を麻雀やチェスで表現するのと同じだと考えた方が良い。まぁ、もっとも花札で表現する人はあまり居ないかもしれないが。
「寒ィな。」
 津田は初春の朝を酷く寒いと感じた。思わず身震いし、歯と歯同士がガチガチと鳴った。まるで人形劇に出てくる喋るたびに歯をカチカチカチと噛み鳴らす人形のようだ。
 しかし、津田はこれでも十分と言っても良いほど厚着しており、五感がそう呼ぶのだろうか、最寄りの自販機でホットコーヒーを買う。津田は特にコーヒーの中でもUCCが好きだったためそれを選んだ。ガタン!と勢いのある音とともに降りてきた200mlのコーヒー缶は霜焼けした手にまさに“熱く”応えてくれた。
「あったけぇ…」
 ホッカイロにもなり、飲料にもなり一石二鳥だった。ホッカイロとしての役目を味わった後、カシュ!とプルタブを開けてグビグビと飲み干す。
「あぁうめぇ…ペットボトルの500mlのコーヒーとかあれば良いのによ。」
 津田はまだ令和になった今、500mlのコーヒーがコンビニや自販機で手軽に買えるようになるという未来の出来事はまだ知ってはいなかった。
 それはまた別の話。口の中がまだコーヒーの匂いで残っている。満足した上でハァ…と息を吐くと景色に色づくように薄白い蒸気が上空へと昇って1秒もしないうちに消えた。
「たまには、こういうのも良いもんだな。」
津田はどこまでも広がっている快晴の空の下を点々と歩き、家へと戻っていった。
 氷の様に冷えた玄関のドアを悴んだ手で開けた所、朝食の準備をしている間にドアの音に気づいた津田の母が上着のエプロンに黒のニットズボンという出で立ちで津田を出迎える。
「あら、早かったわね。散歩に行ってたの?」
 津田の母は濡れた両手をタオルで拭きながらにこやかに言う。
「まぁね。少し早かったけど戻ってきた。」
「4月からは就職活動なんだからね。それに花札にハマりすぎるのも程々にした方が良いわよ。」
 津田の母はちょっとばかり怪訝そうな顔つきをするも、津田の母は心から津田を信用していたためすぐににこやかな表情に戻った。津田は幼い頃から母に嘘をついた事があまり無く、そういう理由からも津田の母は津田が悪いことをしない善人だと思われており、大切に育てられた。
「解ってるよ。」
 津田もまたにこやかな表情をしながら朝食のベーコンエッグ、キャベツサラダを食した。
「じゃあ俺は部屋で読書するよ。」
「ゆっくりしてね。」
 津田は朝食を済ませると、玄関近くのキッチンを出てから右手にある階段を上って行き、自室に入っていった。
「ふぅ…」
 津田は一息溜息をした。

「母さん…俺嘘つくよ。花札で賭博、してくるよ。」

 それは賭博伝説が誕生する瞬間であった。

「いらっしゃい。」
 全体的に暗い店と思わしき店内の中に、デニムシャツを身に纏った一人の若い男性が入ってきた。その店内には4台ほどのテーブルが狭しく配置されてあり、一対一で向かい合って赤いカードのような物を持って対局をしていた。
 そう、ここは山形の外れにある花札の賭博所であった。煙草の煙が薄く色づき、古臭い雰囲気がまた良い。賭博所の店員を含む白髪交じりの男達の中で一際目立つ黒髪の若い男性。その光景はまさに“異端”だった。
「なんだニイちゃんか。高校生か?」
 店員がその男性が若い面識をしているのには入り口の扉から入った時には気づいていたが流石に強引で追い出すのはタチが悪いと思い、店員は立ち去るようそっと言いながらも賭博としてのルーティンを知らしめさせた。
 しかし、店員の予測は違った。このままスッと諦め顔をしながら去るのかと思いきや、身分証明書を提示させたのだった。その若い男性は自分を舐め切っている店員に対して目を細めて逆に自分が威厳な表情を見せた。
「これでも、成年は越えているんだが。舐められたもんだな。言いたいことあんなら言ってみろよ。」
 店員は少々怯えながらもすぐに先程の様な表情を戻し、“昭和52年2月24日 津田 将輝”と書かれた文字と顔写真を見て津田という男に返した。
「いやいや、失礼しやした!」
 その一連の行動を見ていた対局中の男性、及び観戦していた男性達は上目遣いや横目で津田をクスクスと笑い出す。
『今年はやりがいがありそうだな。』
『ああ。なにせ、賭博の定義も知らないようなあんなガキは叩きのめされるだけだからな。』
 津田には聞こえないかすかな声と共に男達は笑っていた。そんな中で一人、津田に速攻で声を掛けた男がいた。

 毒島 照人(ぶすじま しょうと)、年齢は40代ほどで、まだまだ昭和の若い男性としての色を残しつつも大人らしいクールで俳優の原田龍二氏に近い顔つきの男だった。この賭博所を含め、山形の花札界では知らない人は居ない花札の玄人(ばいにん)だった。
「毒島さん!そいつと対局をするのか…?」
「んだ。試してぇんだ。見ねぇ顔だなおめ。こごは初めでが?」
 観戦席から立ち上がり山形弁で話し出す毒島。外見がクールな上、見た目にも対応するかの如く声もハンサムでキレがあった。
「初めてとでも?さっきのあいつとの会話を見て。」
「フッ…どうもおめさんの面識が答えてくれそうになんねがらよ。」
 目を閉じて顔を背けながら毒島は答えた。
「裏を返せば、それ程若くて羨ましいって事か。」
「そだな事は思ってね。随分と若いのが入ってきたから驚いただけさ。」
「そうか。」
 津田はポケットからわかばの箱を取り出しマッチで点火して吸いはじめた。
「一服か。おっがねぇのか?」
「何がだ。」
「負けるの、怖いんだべ?」
「怖いならそう思っても構わねぇが。勝ち負けと煙草、関係あるか?」
「あると思ったから聞いたんだ。別におめが教えないんなら対局するべ。」
「望む所だ。俺は今日この為にここへ来たんだ。始めようぜ。」
「ルールは3月戦。対局形式はこいこい。月見・花見酒有り、7点倍有り、こいこい倍有りで良いか?」
「良いだろう。」
 毒島はニッとした後、空席に座り込み未開封の花札のケースを開けた。津田も座り込み、その花札のケースが未開封で細工がされていない事を確認した。
「勝負はこうでなけりゃおもしゃくねぇ。なぁ津田さん。」
「ああ。真剣勝負だ。」
 観客が見守る無音の最中、手札が津田と毒島の元にそれぞれ8枚ずつ配られ、対局がスタートした。
 場に札が配られた後、二枚の札を出してその内の一つの札で先攻・後攻を決める。結果は津田が梅(2月)、毒島が桐(12月)となり津田が先攻となった。

(場札)
牡丹(カス) 藤(カス) 菖蒲(八橋) 萩(猪)
芒(月) 柳(カス) 紅葉(短) 松(カス)

(津田)
松(カス)、牡丹(カス)、藤(短)、桐(カス)、萩(カス)、梅(鶯)、芒(カス)、柳(小野)

『ここは一旦、藤(短)を出して、タン狙いで行った方が鮮明か…それとも、芒(月)を取るのがベターなやり方か…』
 津田は迷う事なく、芒(カス)を場に出し芒(月)を取得した。そして津田は山札をめくる。
『ここで萩(カス)が出れば猪鹿蝶を狙えるチャンスがある。こちらには牡丹(カス)を持っているから山札から出るとすれば十分だ。それでなくても手持ちのカス札を活かして適当に一文でも得点を取ればベストな状態で二回戦を迎える事も可能だ。』
 山札から出た札は牡丹(蝶)だった。萩(猪)では無く惜しかったにせよ、順調な結果である。

(場札)
藤(カス) 菖蒲(八橋) 萩(猪) 牡丹(蝶)
柳(カス) 紅葉(短) 松(カス) 

(津田)
松(カス)、牡丹(カス)、藤(短)、桐(カス)、萩(カス)、梅(鶯)、柳(小野)

(役)芒(月)、芒(カス)

「どれ、俺の番か。」 
 毒島の表情は相変わらず、相手への不安・緊張を伝わらせないほどプレッシャーに強い顔を見せていた。それはまるで数々の修羅場を潜り抜けて来たかの如くとでも言うべきものであった。
「いただくぜ。」
「?」
 津田は、突然の毒島の言葉に疑問符を投げかけた。“いただく”…ようやく津田は2秒ほど経ってそれを理解したのだ。
「欲しいんだべ?蝶々さんがよ。」
「なに!?」
 毒島は牡丹(蝶)を出した。そして毒島が山札から一枚引くと、牡丹(短)が場札となり牡丹二枚が毒島の役となった。これで猪鹿蝶の見込みは無くなった。

(毒島役)牡丹(蝶)、牡丹(短)

(場札)
藤(カス) 菖蒲(八橋) 萩(猪) 
柳(カス) 紅葉(短) 松(カス)

(津田)
松(カス)、牡丹(カス)、藤(短)、桐(カス)、萩(カス)、梅(鶯)、柳(小野)

(津田役)芒(月)、芒(カス)

『まぁ、勝負はこれからさ。今から役を揃えられるとしたら月見酒が妥当だろう。しかし、こちらには菊の札が無い上にあいつに桜(幕)が手持ちになったらかなり厄介だ。』
 じっくりと考えている津田に、毒島は声を掛ける。賭博において相手を待たせるというのは危険な事だ。
「おめ、何すったんだ?」
「いや、ちょっと考え事さ。」
 津田はニヤリとした。それはこの賭博所で見せる初めての笑顔だった。
「それに、変に緊張した面持ちになるとあれだろ?気まずいっていうんだかなんだか。」
「んだら良いんだ。何事もおもしゃいのが一番だ。」
 津田が賭けた金額は3月戦で手持の10万円。対して毒島が負けると津田に対して20万円の支払いとなる。こういった場面では表情一つ変えられず真剣な勝負が必要なのは津田も毒島も承知していた。しかし、両者はあえてこの場を“お遊び”として捉えていた。将棋や麻雀のように読みさえ解れば攻略出来るのと違い、花札は攻略不可能。つまり、運次第で役が狙えるかが変わるのだ。ただ一つ言えることは、先ほどの親決めが勝負の後先を握る糧にもなる。すなわち、花札で勝負が決まるのは親決めもその一つとなるのだ。
『柳で通らせる!』
 津田は手持の柳(小野)を場の柳(カス)に出し取得する。そして山札から出たのは松(鶴)だった。
「あの兄ちゃん!」
「一気に二枚も!」
 津田の対局を見ていた観客が津田の運の良さに驚愕していた。
『一気に20点札を二枚だとッ!?馬鹿な!』
「毒島、やけに汗が出てるな。」
「へへっ…なんでもねぇさ。」

(毒島役)牡丹(蝶)、牡丹(短)

(場札)
藤(カス) 菖蒲(八橋) 萩(猪) 
紅葉(短) 

(津田)
松(カス)、牡丹(カス)、藤(短)、桐(カス)、萩(カス)、梅(鶯)

(津田役)芒(月)、柳(小野)、松(鶴)、芒(カス)

津田:雨四光リーチ

「ならこのまま勝負をつけてやる。行くぜ!」
 津田は勢いのある面持ちで対局を楽しんでいった。
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