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亡命編
一瞬の安息
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「はぁ……はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、私たちは廃城のエントランスを駆け抜けた。
崩れかけた外壁とは裏腹に、中は驚くほど整っている。まるで、つい最近まで誰かがここで暮らしていたかのようだった。
奥へ進むと、ノアが壁際に膝をつき、腕の中のレオンをそっと降ろす。
「おふたりとも……お怪我はありませんか?」
私とレオンがうなずくと、ノアは安堵の息を吐き、わずかに笑みを浮かべた。
周囲には、逃げ延びてきた従者たちが次々と集まっていた。誰もが息を荒げ、顔を青ざめさせている。
石畳の上に響く足音と、廃城の冷たい空気が、恐怖をそのまま閉じ込めているようだった。
「ノア!」
そのとき、重い声が廊下に響いた。
アルヴェイン公爵が、血に汚れたマントを翻してこちらへ歩み寄ってくる。
「皇女様、皇子様――緊急事態ゆえ、どうかご無礼をお許しください」
公爵は短く礼をし、ノアの肩に手を置いた。
「……言ったこと、覚えているな?
お前はお前の役目を果たせ。分かったな」
その言葉は重く、まるで別れのように響いた。
普段は朗らかな公爵の顔に、滲むような悲壮さが見える。
ノアは唇を噛みしめ、ほんの一瞬、涙を堪えるように目を伏せた。
「……はい、父上」
その返事をしたときには、もう公爵の背は遠ざかっていた。
「ノア……?」
名を呼ぶと、ノアは小さく肩を震わせ、我に返ったように私を見た。
「申し訳ございません。皇太子妃様のもとへご案内いたします」
そう言って、ノアは私の伸ばしかけた手の前をすり抜けて歩き出した。
「お姉様、早く行こう!」
レオンの声に、私ははっとして小走りにその背を追った。
――そして私たちは、廃城の奥、かつての主が応接室として使っていたであろう広間の前へとたどり着いた。
扉の前には、いつも公爵の傍に立っていたロイヤルガード――ウォード伯爵の姿があった。
「殿下、皇女様と皇子様をお連れしました」
ノアの声に、扉が勢いよく開く。
「エリー!! レオン!!!」
母が駆け寄り、両腕で私たちを抱きしめた。
完璧な淑女である母が、こんなにも乱れた姿を見せるのは初めてだった。
その温もりに包まれた途端、緊張がふっとほどけ、私は思わず笑ってしまった。
「お母様……お父様は?」
問いかけると、母は私の肩を抱いたまま、真っ直ぐに目を見つめ返した。
「殿下は、援軍を呼ぶため離宮へ向かわれました」
言葉が胸の奥に重く沈む。
敵の標的が誰よりも父であることは、子どもでもわかる。
喉の奥までこみ上げた不安を、私は必死に飲み込んだ。
そんな私の心を見透かしたように、母は柔らかく微笑む。
「大丈夫。あなたたちの父上は、天才と呼ばれた剣士よ。誰にも負けはしないわ」
そして頬にそっと口づけた。
懐かしい香油の匂いが鼻をくすぐる。
同じ香りのはずなのに、なぜか今は胸が締めつけられるほど遠く感じた。
「ずるい! お姉様だけ!」
レオンが不満げに声を上げる。
「はいはい」
母は笑いながら、今度はレオンの額にもキスを落とした。
その瞬間、レオンの表情がふっと和らぐ。
――やっぱり、お母様はすごい。
ようやく私も、心の底から息をつけた気がした。
早く、帝都に帰りたい。
お父様とお母様と、レオンとノアと――何気ない日常に戻って、レオンの誕生日をやり直したい。
そう願った、その時。
――ドォォォンッ。
腹の底を震わせるような轟音が、廃城全体を揺るがした。
空気が裂けるような爆音。
灯りが揺れ、窓の外が赤く染まる。
何かが、始まってしまった。
肩で息をしながら、私たちは廃城のエントランスを駆け抜けた。
崩れかけた外壁とは裏腹に、中は驚くほど整っている。まるで、つい最近まで誰かがここで暮らしていたかのようだった。
奥へ進むと、ノアが壁際に膝をつき、腕の中のレオンをそっと降ろす。
「おふたりとも……お怪我はありませんか?」
私とレオンがうなずくと、ノアは安堵の息を吐き、わずかに笑みを浮かべた。
周囲には、逃げ延びてきた従者たちが次々と集まっていた。誰もが息を荒げ、顔を青ざめさせている。
石畳の上に響く足音と、廃城の冷たい空気が、恐怖をそのまま閉じ込めているようだった。
「ノア!」
そのとき、重い声が廊下に響いた。
アルヴェイン公爵が、血に汚れたマントを翻してこちらへ歩み寄ってくる。
「皇女様、皇子様――緊急事態ゆえ、どうかご無礼をお許しください」
公爵は短く礼をし、ノアの肩に手を置いた。
「……言ったこと、覚えているな?
お前はお前の役目を果たせ。分かったな」
その言葉は重く、まるで別れのように響いた。
普段は朗らかな公爵の顔に、滲むような悲壮さが見える。
ノアは唇を噛みしめ、ほんの一瞬、涙を堪えるように目を伏せた。
「……はい、父上」
その返事をしたときには、もう公爵の背は遠ざかっていた。
「ノア……?」
名を呼ぶと、ノアは小さく肩を震わせ、我に返ったように私を見た。
「申し訳ございません。皇太子妃様のもとへご案内いたします」
そう言って、ノアは私の伸ばしかけた手の前をすり抜けて歩き出した。
「お姉様、早く行こう!」
レオンの声に、私ははっとして小走りにその背を追った。
――そして私たちは、廃城の奥、かつての主が応接室として使っていたであろう広間の前へとたどり着いた。
扉の前には、いつも公爵の傍に立っていたロイヤルガード――ウォード伯爵の姿があった。
「殿下、皇女様と皇子様をお連れしました」
ノアの声に、扉が勢いよく開く。
「エリー!! レオン!!!」
母が駆け寄り、両腕で私たちを抱きしめた。
完璧な淑女である母が、こんなにも乱れた姿を見せるのは初めてだった。
その温もりに包まれた途端、緊張がふっとほどけ、私は思わず笑ってしまった。
「お母様……お父様は?」
問いかけると、母は私の肩を抱いたまま、真っ直ぐに目を見つめ返した。
「殿下は、援軍を呼ぶため離宮へ向かわれました」
言葉が胸の奥に重く沈む。
敵の標的が誰よりも父であることは、子どもでもわかる。
喉の奥までこみ上げた不安を、私は必死に飲み込んだ。
そんな私の心を見透かしたように、母は柔らかく微笑む。
「大丈夫。あなたたちの父上は、天才と呼ばれた剣士よ。誰にも負けはしないわ」
そして頬にそっと口づけた。
懐かしい香油の匂いが鼻をくすぐる。
同じ香りのはずなのに、なぜか今は胸が締めつけられるほど遠く感じた。
「ずるい! お姉様だけ!」
レオンが不満げに声を上げる。
「はいはい」
母は笑いながら、今度はレオンの額にもキスを落とした。
その瞬間、レオンの表情がふっと和らぐ。
――やっぱり、お母様はすごい。
ようやく私も、心の底から息をつけた気がした。
早く、帝都に帰りたい。
お父様とお母様と、レオンとノアと――何気ない日常に戻って、レオンの誕生日をやり直したい。
そう願った、その時。
――ドォォォンッ。
腹の底を震わせるような轟音が、廃城全体を揺るがした。
空気が裂けるような爆音。
灯りが揺れ、窓の外が赤く染まる。
何かが、始まってしまった。
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