私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

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亡命編

兆動

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 ――ミシミシッ。

 妙に静まり返った室内に、古びた建物が軋む音が響いた。天井から細かな塵がぱらぱらと舞い落ち、誰もが息をひそめる。
 恐怖というより、現実を受け止めきれず動けずにいた――そんな空気の中、沈黙を破ったのはノアだった。

「ウォード伯爵、そこにいますか?」

「はい、公子様」

 ノアは静かにうなずくと、扉を押し開けて入ってきたウォード伯爵に鋭い眼差しを向けた。

「なるべく気取られないように、外の様子を確認してきてください」

「承知いたしました」

 伯爵が足早に部屋を出ていくと、ノアは私たちの方へ向き直り、深く頭を下げた。

「勝手な行動をお許しください。恐らく、この城が砲撃を受けています。安全を確かめるために動きました」

 淡々とした口調に、かえって胸の奥がざわついた。
 母が静かに問いかける。

「わかりました。……公子、あなたはこの状況をどう見ていますか?」

 ノアは一瞬、私とレオンの方を気遣うように目をやってから、慎重に言葉を選ぶように答えた。

「憶測にすぎませんが、あの山道に仕掛けられていた罠、そして敵の動きや装備を考えると――山賊のような衝動的な襲撃ではなく、計画的な犯行かと思われます」

 わずか十四歳の少年とは思えないほど、彼の声はこの状況下でも落ち着いていた。
 その冷静さが、逆に恐怖を現実として突きつける。

 計画的――。つまり、私たち皇族を狙った襲撃。
 頭では理解していたのに、実際に命を狙われていると思うと、足元が震えた。

「そうですか……」

 母は小さく息をつき、しかしすぐに表情を引き締めて続けた。

「計画的な動きなら、この廃城に逃げ込むのも敵の想定内ということですね」

「はい。ですので、早いうちにここから脱出した方がよろしいでしょう」

「分かりました。戦う術を持たない者たちは城外へ避難させます。……そして、公子、あなたは帝都へ向かい、現状を伝えなさい」

 母らしい判断だった。
 しかし、ノアはその言葉を受けても、すぐには動かなかった。

「……できません」

 静かな拒絶だった。
 母も私も、一瞬、息をのんだ。

「公子、これは命令です」

 母の声には皇太子妃としての威厳が宿る。
 けれどノアは、怯むことなくその瞳を真正面から見返した。

「承知しています。ですが――父上より、“皇子殿下と皇女殿下を命にかえても守れ”と命じられています。私が離れるわけにはいきません」

 その瞬間、まだ少年の顔に宿った強い決意に、私は息を呑んだ。
 母も少しだけ目を細めて、やがて静かにうなずいた。

「……分かりました」

 短い沈黙のあと、母は私とレオンの方へ向き直る。

「エリー、レオン。話は聞いていましたね。――すぐに出発します」

 けれど、母の足元にしがみついたレオンが、震える声で言った。

「……行きたくない」

 母は一度だけ目を閉じ、そしてその小さな手を優しく引き離した。

「レオン・ヴァル・セレスティア!あなたは我がセレスティア帝国の皇子です。幼くとも、その血を継ぐ者。……皆の手本となりなさい」

 レオンは唇を噛み、涙をこらえながらもまっすぐに母を見上げ――小さく、けれど確かにうなずいた。
 その姿は、確かに“皇子”だった。

 私は駆け寄りたい衝動を押さえ、ただ祈るように両手を握りしめる。

 母がエントランスに立つと、ざわついていた従者たちが一斉に彼女を見た。
 母は二度、手を叩いて静寂を取り戻す。

「応援を呼びに向かわれた皇太子殿下、城を守るアルヴェイン公爵には申し訳ありませんが――私たちがこの場に留まっても足手まといになるだけです。戦えぬ者は城を離れなさい。若い女性から順に」

 冷静な判断だったが、その裏にある母の意図もすぐに理解できた。
 敵の手に落ちたとき、最も傷つけられるのは女子供だということを、母はよく知っている。
 帝都では想像もできないような惨劇が、まだこの大陸のどこかで起きているからだ。

 母の声が再び響く。

「狙われているのは――私たち皇族です。戦う術のない者は別の道を通り、必ず帝都へ戻りなさい。生きて帰るのです。それが、あなたたちの“戦い”です」

 従者たちは一様に俯き、やがて母の願いを受け入れるように頷いた。
 涙をこらえながら、彼らはそれぞれの道を選び始める。
 その背を見つめながら、私は胸の奥でひとつの予感を覚えていた。

 ――この夜を境に、もう二度と同じ日々には戻れないのだと。
 
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