6 / 168
亡命編
兆動
しおりを挟む
――ミシミシッ。
妙に静まり返った室内に、古びた建物が軋む音が響いた。天井から細かな塵がぱらぱらと舞い落ち、誰もが息をひそめる。
恐怖というより、現実を受け止めきれず動けずにいた――そんな空気の中、沈黙を破ったのはノアだった。
「ウォード伯爵、そこにいますか?」
「はい、公子様」
ノアは静かにうなずくと、扉を押し開けて入ってきたウォード伯爵に鋭い眼差しを向けた。
「なるべく気取られないように、外の様子を確認してきてください」
「承知いたしました」
伯爵が足早に部屋を出ていくと、ノアは私たちの方へ向き直り、深く頭を下げた。
「勝手な行動をお許しください。恐らく、この城が砲撃を受けています。安全を確かめるために動きました」
淡々とした口調に、かえって胸の奥がざわついた。
母が静かに問いかける。
「わかりました。……公子、あなたはこの状況をどう見ていますか?」
ノアは一瞬、私とレオンの方を気遣うように目をやってから、慎重に言葉を選ぶように答えた。
「憶測にすぎませんが、あの山道に仕掛けられていた罠、そして敵の動きや装備を考えると――山賊のような衝動的な襲撃ではなく、計画的な犯行かと思われます」
わずか十四歳の少年とは思えないほど、彼の声はこの状況下でも落ち着いていた。
その冷静さが、逆に恐怖を現実として突きつける。
計画的――。つまり、私たち皇族を狙った襲撃。
頭では理解していたのに、実際に命を狙われていると思うと、足元が震えた。
「そうですか……」
母は小さく息をつき、しかしすぐに表情を引き締めて続けた。
「計画的な動きなら、この廃城に逃げ込むのも敵の想定内ということですね」
「はい。ですので、早いうちにここから脱出した方がよろしいでしょう」
「分かりました。戦う術を持たない者たちは城外へ避難させます。……そして、公子、あなたは帝都へ向かい、現状を伝えなさい」
母らしい判断だった。
しかし、ノアはその言葉を受けても、すぐには動かなかった。
「……できません」
静かな拒絶だった。
母も私も、一瞬、息をのんだ。
「公子、これは命令です」
母の声には皇太子妃としての威厳が宿る。
けれどノアは、怯むことなくその瞳を真正面から見返した。
「承知しています。ですが――父上より、“皇子殿下と皇女殿下を命にかえても守れ”と命じられています。私が離れるわけにはいきません」
その瞬間、まだ少年の顔に宿った強い決意に、私は息を呑んだ。
母も少しだけ目を細めて、やがて静かにうなずいた。
「……分かりました」
短い沈黙のあと、母は私とレオンの方へ向き直る。
「エリー、レオン。話は聞いていましたね。――すぐに出発します」
けれど、母の足元にしがみついたレオンが、震える声で言った。
「……行きたくない」
母は一度だけ目を閉じ、そしてその小さな手を優しく引き離した。
「レオン・ヴァル・セレスティア!あなたは我がセレスティア帝国の皇子です。幼くとも、その血を継ぐ者。……皆の手本となりなさい」
レオンは唇を噛み、涙をこらえながらもまっすぐに母を見上げ――小さく、けれど確かにうなずいた。
その姿は、確かに“皇子”だった。
私は駆け寄りたい衝動を押さえ、ただ祈るように両手を握りしめる。
母がエントランスに立つと、ざわついていた従者たちが一斉に彼女を見た。
母は二度、手を叩いて静寂を取り戻す。
「応援を呼びに向かわれた皇太子殿下、城を守るアルヴェイン公爵には申し訳ありませんが――私たちがこの場に留まっても足手まといになるだけです。戦えぬ者は城を離れなさい。若い女性から順に」
冷静な判断だったが、その裏にある母の意図もすぐに理解できた。
敵の手に落ちたとき、最も傷つけられるのは女子供だということを、母はよく知っている。
帝都では想像もできないような惨劇が、まだこの大陸のどこかで起きているからだ。
母の声が再び響く。
「狙われているのは――私たち皇族です。戦う術のない者は別の道を通り、必ず帝都へ戻りなさい。生きて帰るのです。それが、あなたたちの“戦い”です」
従者たちは一様に俯き、やがて母の願いを受け入れるように頷いた。
涙をこらえながら、彼らはそれぞれの道を選び始める。
その背を見つめながら、私は胸の奥でひとつの予感を覚えていた。
――この夜を境に、もう二度と同じ日々には戻れないのだと。
妙に静まり返った室内に、古びた建物が軋む音が響いた。天井から細かな塵がぱらぱらと舞い落ち、誰もが息をひそめる。
恐怖というより、現実を受け止めきれず動けずにいた――そんな空気の中、沈黙を破ったのはノアだった。
「ウォード伯爵、そこにいますか?」
「はい、公子様」
ノアは静かにうなずくと、扉を押し開けて入ってきたウォード伯爵に鋭い眼差しを向けた。
「なるべく気取られないように、外の様子を確認してきてください」
「承知いたしました」
伯爵が足早に部屋を出ていくと、ノアは私たちの方へ向き直り、深く頭を下げた。
「勝手な行動をお許しください。恐らく、この城が砲撃を受けています。安全を確かめるために動きました」
淡々とした口調に、かえって胸の奥がざわついた。
母が静かに問いかける。
「わかりました。……公子、あなたはこの状況をどう見ていますか?」
ノアは一瞬、私とレオンの方を気遣うように目をやってから、慎重に言葉を選ぶように答えた。
「憶測にすぎませんが、あの山道に仕掛けられていた罠、そして敵の動きや装備を考えると――山賊のような衝動的な襲撃ではなく、計画的な犯行かと思われます」
わずか十四歳の少年とは思えないほど、彼の声はこの状況下でも落ち着いていた。
その冷静さが、逆に恐怖を現実として突きつける。
計画的――。つまり、私たち皇族を狙った襲撃。
頭では理解していたのに、実際に命を狙われていると思うと、足元が震えた。
「そうですか……」
母は小さく息をつき、しかしすぐに表情を引き締めて続けた。
「計画的な動きなら、この廃城に逃げ込むのも敵の想定内ということですね」
「はい。ですので、早いうちにここから脱出した方がよろしいでしょう」
「分かりました。戦う術を持たない者たちは城外へ避難させます。……そして、公子、あなたは帝都へ向かい、現状を伝えなさい」
母らしい判断だった。
しかし、ノアはその言葉を受けても、すぐには動かなかった。
「……できません」
静かな拒絶だった。
母も私も、一瞬、息をのんだ。
「公子、これは命令です」
母の声には皇太子妃としての威厳が宿る。
けれどノアは、怯むことなくその瞳を真正面から見返した。
「承知しています。ですが――父上より、“皇子殿下と皇女殿下を命にかえても守れ”と命じられています。私が離れるわけにはいきません」
その瞬間、まだ少年の顔に宿った強い決意に、私は息を呑んだ。
母も少しだけ目を細めて、やがて静かにうなずいた。
「……分かりました」
短い沈黙のあと、母は私とレオンの方へ向き直る。
「エリー、レオン。話は聞いていましたね。――すぐに出発します」
けれど、母の足元にしがみついたレオンが、震える声で言った。
「……行きたくない」
母は一度だけ目を閉じ、そしてその小さな手を優しく引き離した。
「レオン・ヴァル・セレスティア!あなたは我がセレスティア帝国の皇子です。幼くとも、その血を継ぐ者。……皆の手本となりなさい」
レオンは唇を噛み、涙をこらえながらもまっすぐに母を見上げ――小さく、けれど確かにうなずいた。
その姿は、確かに“皇子”だった。
私は駆け寄りたい衝動を押さえ、ただ祈るように両手を握りしめる。
母がエントランスに立つと、ざわついていた従者たちが一斉に彼女を見た。
母は二度、手を叩いて静寂を取り戻す。
「応援を呼びに向かわれた皇太子殿下、城を守るアルヴェイン公爵には申し訳ありませんが――私たちがこの場に留まっても足手まといになるだけです。戦えぬ者は城を離れなさい。若い女性から順に」
冷静な判断だったが、その裏にある母の意図もすぐに理解できた。
敵の手に落ちたとき、最も傷つけられるのは女子供だということを、母はよく知っている。
帝都では想像もできないような惨劇が、まだこの大陸のどこかで起きているからだ。
母の声が再び響く。
「狙われているのは――私たち皇族です。戦う術のない者は別の道を通り、必ず帝都へ戻りなさい。生きて帰るのです。それが、あなたたちの“戦い”です」
従者たちは一様に俯き、やがて母の願いを受け入れるように頷いた。
涙をこらえながら、彼らはそれぞれの道を選び始める。
その背を見つめながら、私は胸の奥でひとつの予感を覚えていた。
――この夜を境に、もう二度と同じ日々には戻れないのだと。
26
あなたにおすすめの小説
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
【完結】どうか私を思い出さないで
miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。
一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。
ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。
コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。
「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」
それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。
「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」
[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜
h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」
二人は再び手を取り合うことができるのか……。
全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる