私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

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亡命編

水晶宮

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 鳥の声が遠くで響く。
 薄明かりがカーテンの隙間から差し込み、夜の終わりを告げていた。

 まぶたを震わせ、ゆっくりと目を開けた。
 肌から感じる温もりと、柔らかな鼓動。
 視線を上げると、すぐそこにノアの胸。
 彼の腕が、自分を包み込むように回っていた。

 ――え……?

 瞬間、全身が熱くなった。
 慌てて身を起こそうとしたが、ノアの腕に軽く引き留められる。
 彼も目を覚ましていた。

「……おはようございます、エリー」

 低く、掠れた声。
 寝起きの声に不意打ちをされて余計に心臓が跳ねた。

「お、おはようございます……ノア」

 顔を逸らしながら答えた。
 頬がじんじんと熱い。
 昨夜のことを思い出すたびに、胸の奥がくすぐったくて苦しい。

 ノアはすぐに腕を解き、体を離した。
 距離ができた瞬間、かえって寂しさが胸を刺す。
 けれどそれを言葉にすることはできない。
 ノアの方も、どこか居心地悪そうに視線を伏せた。

「……お休みのところ、失礼しました」
「い、いえ! わ、私こそ……!」

 ふたりの間を、鳥のさえずりが通り抜けていった。

 ノアが口を開く。

「今日には、エルダール王都に入れるでしょう」

「はい……」

 それだけのやりとりなのに、どちらも妙に声が上ずっていた。

 結局、部屋を出るまで目を合わせられないまま。

 外に出ると、馬車のそばで支度を整えていた伯爵が、にやりと口角を上げた。

「お、やっとお目覚めか。ずいぶんとゆっくりだったじゃないか、若い二人さん?」
 
「っ!?」

 顔が一気に赤く染まるのが分かる。
 ノアも咳払いをして表情を引き締めたが、耳の先がほんのり赤い。

「い、いえ。エリスが体調を崩さぬよう、見張りを兼ねていただけです」

「見張りねぇ……ずいぶんと近い距離で?」

 伯爵はわざとらしく眉を上げ、からかうように笑った。

「伯爵!」

 ノアの声が思わず上ずる。
 その反応が面白いのか、伯爵は肩をすくめた。

「はは、冗談だよ。
 だがまあ……気を抜くな。国境を越えたからって安全とは限らん」

 軽く背中を叩き、馬車に乗り込んだ。

 朝靄の中、ふたりの間にはまだ微妙な沈黙が漂っていた。けれど――昨夜のあのぬくもりだけは、どちらの胸にも確かに残っていた。

 ――――――――

 昼を少し過ぎたころ、馬車は王都ルーメンの城門をくぐった。
 
 エルダール王国の中心——“白の都”。
 石畳の街路がどこまでもまっすぐに延び、建物のすべてが石造りでできている。
 陽光を反射して、まるで街そのものが光を放っているようだった。

「……まるで神話の街みたい」
 小さく呟くとノアが隣で「そうですね」とうなずいた。

 門を抜けるとすぐ、白銀の馬車が待っていた。

 馬のたてがみにまで編み込まれた飾り紐が揺れ、その前に立つ女官が一礼する。

「光冠神に祝福を。王妃陛下の御命により、ベネット伯爵一行をお迎えに参りました」

 王妃——。
 エルダールの“白い薔薇”。
 高潔で慈愛深いと噂される女性。

 私は一瞬ためらったが、伯爵が軽く顎を引いた。

「父上が王妃殿下に文を出してくれたのであろう」

 案内役の白銀の馬車の後をついて馬車を走らせると、王都の中心に近付くにつれて街並みは徐々に透明さを増していった。
 
 たどり着いたのは“水晶宮”——王妃の居所であり、神殿と王宮を結ぶ場所だ。
 その配置からも王妃が信仰に熱心なことが窺える。

 水晶宮は名の通り、外壁は透明な鉱石のように輝き、陽光を受けて七色の光を散らしている。まるで大きな宝石が空から落ちてきたようだ。

 ―そういえば、少し前にノアがそういう風に説明してくれていた気がする。

 馬車が止まり、門が音もなく開く。
 中庭には花びらのような光が舞い、噴水の水が静かに弧を描く。
 帝国にはなかった、静謐と神聖の気配だ。

 私たちが馬車から下りると、出迎えたのは真っ白のドレスを身にまとった侍女達であった。

「王妃殿下との謁見前にお身体をお清めいたします」 

 先頭にいた侍女長らしき人物が恭しく頭を下げる。侍女長と言っても三十代くらいの比較的若い女性だ。
 
 "身を清める"とは馴染みのない言葉ではあるが、神聖国であれば日常的な響きなのだろう。

「護衛をつけさせてください」

 ノアの言葉に侍女長らしき女性は黙って首を横に振る。

「女人が身を清める場に男性は立ち入れません」

「しかし、彼女を一人にする訳には…」

 ノアの反論を伯爵が手で制する。

「ここはエルダールのしきたりに従うしかあるまい」

 ノアは納得のいかない様子だったが、ここで事を荒立ててもいいことはない。

「ノア、私は大丈夫です」

 そう伝えると、彼は渋々うなずいた。

「ご理解に感謝します」

 侍女はそう言うと、私を連れて光の回廊を抜けて奥へと進んだ。

 そこには円形の湯殿があり、一面に水晶が敷き詰められていた。

 辺りに淡い香草の香りが立ち昇る。
 
 湯は青く光り、肌に触れるとまるで微かな電流のように震える。神聖水——神殿でのみ使われる浄化の泉だという。

 髪を洗われ、肌に花蜜の油を塗られ、薄い香りが漂う。水面に映る自分の顔が、どこか別人のように見えた。

 侍女が香油を垂らしながら静かに言う。
 「ルクシオンの光が、あなたを照らしますように」

 ——光冠の神、ルクシオン。
 エルダールの人々は、その名をまるで息をするように口にする。

 仕上げに金の糸を織り込んだ服が差し出される。胸元には光冠の紋章、腰には銀の細帯。まるで光そのものを身にまとったような衣装だった。

 鏡の前で髪を結い上げられると、そこにはもう「逃亡の少女」ではなく、「異国の姫君」がいた。
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