私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約してました~

marumi

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亡命編

安全な場所

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   「——王妃殿下がお待ちです。お入りください」
 扉の向こうから声がした。

     てっきり謁見の場ではノア達も合流すると思っていた私は少し動揺したが、ここまで来て弱音を吐く訳にもいかない。
 言われるがままに扉の奥へと歩みを進めた。
 
 広間の奥、透き通るような天蓋の下に王妃がいた。歳を感じさせぬ白い肌に白い髪。その瞳は氷のように冷たくも、底に柔らかな光を宿している。

「遠路遥々、よく来られましたね。エリシア皇女」
 声は穏やかだが、揺るぎない威厳を帯びていた。

 私は膝を折り、深く頭を下げた。
「……殿下の慈悲に感謝いたします」

 侍女から受け取ったベネット侯爵の書簡を読み終えた王妃は、しばし目を閉じてから静かに言う。

「貴女の曾祖母様の導きで、私はかつて帝国の学び舎におりました。それに息子と皇太子夫妻は学友でとても良くして頂きました。
 恩を忘れることはありません。あなたの身は、我が“水晶宮”において保護いたしましょう」

 王妃は続けた。

「ここは神の光の下ですので安心してお過ごしください。ですが、外では帝国の影が動いています。
 しばらくは水晶宮内で静かに過ごされるとよいでしょう」

 エリシアは深く頭を下げた。
「恐れ入ります……ありがとうございます」

 安堵の言葉を返したはずなのに、何故か声が震えた。ここが安全であることは分かっている。けれど——なぜだろう。光が強ければ強いほど、影は深く見えた。


 ――――――――――

 その後、私は与えられた部屋へと案内された。
     ノア達に会わせて欲しいと侍女にお願いしたが、「もう遅いですから」と、首を振るだけだった。

     部屋にひとりきり。
 水晶の壁が月光を透かし、室内が淡い銀に染まっている。天蓋つきの寝台に腰を下ろすと、香草の香りがふわりと立った。

 贅沢なはずなのに、どこか寂しい。

 ノア達は隣の棟に部屋を与えられた。いつもすぐそばにいた声が、もう届かない。夕食の時も、視線が何度も扉の方へ向いてしまった。

 ——これが、普通なのだと分かっているのに。
 何かを失ったような空虚が、胸の奥を満たしていた。

 窓から外を見ると、遠くの塔に淡い光が揺れている。その下で、ノアも同じ空を見つめているだろうか。

 「……おやすみなさい、ノア」
 誰にも届かぬ声で呟き、灯を落とす。瞼の裏に、あの夜の温もりが浮かんだ。

 命の危機は去ったはずなのに、何故だろう。
    心にぽっかりと穴が空いたような喪失感に襲われて、眠りに落ちる瞬間、ほんのわずかに涙が頬を伝った。


 ――――――――――

 翌朝、目を覚ますと、部屋の前に王妃付きの侍女たちが静かに控えていた。その姿はまるで何かの儀式の列のようで、言葉を交わす前から胸がざわめく。

「王妃殿下のご命令です。殿下には本日より、神殿棟でお過ごしいただきます」

 神殿棟——“聖域”と呼ばれる場所。
 エルダールの信徒でも限られた者しか足を踏み入れられないと聞いていたのに…一体何故。

 しかし今の私は亡命中の身だ。
 郷に入っては郷に従え。私は導かれるままに歩いた。
 
 回廊の壁は白い石でできていて、どこまでも静かだった。

 鳥の声ひとつせず、空気は澄みきって冷たい。
 窓から差し込む光が床に模様を描き、その上を足が通るたびにまるで神に見られているような錯覚がする。

 (ここが……聖域……?)

 侍女が扉を開けた。
 中は清らかで、美しい——だが、どこか息苦しいほど整っていた。

 淡い香草の香りと、祈りの歌のような小声。
 そこでは修女のような服に身を包んだ女性たちが無言で動いている。

「この方々が、これより貴女のお世話を致します」

 “お世話を”という響きが、なぜか牢の鍵音のように聞こえた。部屋の扉が閉じられると、外の気配は完全に途絶えた。

    ここが王妃の言う神の光の下、安全な場所なのだろう。

 「いつ出られるのかな…」
 
 かすれた呟きは天井の高みに吸い込まれ、誰の耳にも届かない。

    胸の奥に、言葉にならない不安が沈殿していく。ただ、足音だけが冷たい石の床に響いた。
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