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神殿編
同じ痛み
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翌日、いつものように朝の祈りを終え、冷めた朝食を食べ終えた頃だった。
部屋の扉を規則正しく叩く音がした。
「迎えに来た」
低く響く冷たい声。
それが誰のものか気づいた瞬間、私は思わず変な声を出してしまった。
「え!?ハ、ハル!?……ちょ、ちょっと待って!」
心臓が跳ね上がる。
なぜか手近にあった皿で顔を隠そうとした自分を、後で冷静に考えれば殴りたい気分だ。
恐る恐る扉の方を見ると、白い衣の青年――ハルが立っていた。
無表情なのに、どこか圧を感じる存在感。
「何をしている?図書館に行きたいんじゃなかったのか?」
淡々とした口調なのに、彼の瞳の奥にほんのわずか光が宿っていた。
それは笑顔と呼ぶには遠いけれど、昨日より確かに“温度”がある。
胸がふわりと緩んだ。
「あ、今……ちょっと笑った?」
そう言った瞬間、ハルは音もなく背を向けた。
「うるさい。早くしないと置いていくぞ」
「えっ、置いていかないで!!」
慌てて追いかける私を横目にもせず、ハルは歩き出した。
―――――――――――
ハニー宮へ向かう回廊を二人で歩く。
昨夜は忍び歩きだった道を、今日は堂々と。
ただ隣にハルがいるだけで、私の存在は違法でも不審でもなくなる。
(す、すごい……。ハルと一緒にいるだけで、“許可されてる人間”みたいになる……)
すれ違う神官たちは一様に、ハルへ深い礼を送った。
白衣の青年はそれを当たり前のように受け止め、まっすぐ歩く。
「ハルって……神殿でかなり重要な立場なの?」
つい気になって尋ねると、彼は歩みを崩さず淡々と答えた。
「重要…と言えば重要か…」
「?」
「象徴が必要なだけだ」
「象徴?」
「今は知らなくていい」
切り捨てるような鋭さに、私は口を閉ざした。
けれど――その冷たさの裏にある“触れてほしくない何か”が、逆に気になってしまう。
やがて、昨夜忍び込んだ場所――ハニー宮の図書館が見えてきた。
ハルが扉を押し開けると、重い空気を破るように軋む音が響いた。
朝の光が高窓から降り注ぎ、空中の埃を金色にきらめかせる。
「……綺麗」
「朝は人が来ない。
今のうちなら、好きに見てもいい」
ハルは指で奥の席を示した。
「あそこが、この部屋で一番静かだ」
「ありがとう……!」
胸の奥がじんわり温かい。
気持ちを抑えて席へ向かうと、木の椅子が優しく軋んだ。
ハルは帰るものと思っていたのに――
隣の席へ、迷いなく腰を下ろした。
「え……一緒に?」
「嫌なら、別で読む」
「嫌じゃない!!」
即答した私に、ハルはわずかに目を瞬いた。
ほんの少しだけ唇が緩んだように見えた。
少しずつ、でも確かに彼の“人間らしさ”が戻ってきている。
「まず、この歴史書を読むわね。
私……昨日気づいたの。エルダールには“違和感”があるって」
「違和感?」
「ええ。豪華な宮殿に粗末な食事。
おかしいでしょう?」
「…………」
ハルの肩がかすかに揺れた。
否定しないどころか、息を呑んだようにも見えた。
私が歴史書を開くと、ハルは棚から別の分厚い本を取って戻ってきた。
ぱら、ぱら、ぱら――
ページをめくる速度が異常に速い。
「ハル……読むの、早くない?」
「普通だ」
「普通じゃないわよ!!」
呆れる私に、ハルは少し困ったように眉を下げた。
「……見たものは、すべて頭に入る」
「全部、覚えられるってこと……?」
「あぁ」
(そんな……才能、普通じゃない)
もし私よりずっと前にここに閉じ込められて育ったのだとしたら、どこでそんな高度な教育を?
「ねぇ、これなんて読むの?」
私はページにあった難しい単語を指すと、ハルはこちらに歩み寄り、本を覗く。そして、すぐに答えた。
「……附款だ」
顔を上げた彼と目が合い、息が触れそうな距離に胸が跳ねる。
「あ、ありがとう……」
視線をそらして本を持ち上げたが、さっきの疑問がどうしても消えなかった。
こんな単語、普通に生活していて覚えるようなものじゃない。私は疑問に思ったことをそのまま口に出していた。
「ハルって……なんでそんなに賢いの?」
「昔、教育を受けていた」
「どこで?」
「ここで」
「どうして?」
数秒の沈黙。
「……一応、王子だからな。この国の」
「え?!!なんで!!!どうして?って、待って!ということは…王妃は自分の子どもをこんな所に閉じ込めているわけ?」
「子どもじゃない。あの女は父の母だ」
つまり王妃はハルの祖母ということだ。
そういえば、この国の王太子とは面会していない。国王もだけれども…。
ベネット侯爵は父上と王太子の仲が良かったから私を匿ってくれると言っていたのに…。王太子はどうしているんだろう…。
いや、そんなこと、今はいい。
どちらにしろ、自分の家族をこんな所に閉じ込めるなんてどうかしている。
「どっちでも同じだよ!ハルの父上と母上は?こんな所にあなたを閉じ込めて…どうして…」
「父と母は死んだ」
その呟きは、とても静かで、悲しいほど弱かった。
その苦しさは痛いほどよく分かる。
知らなかったとはいえ、土足で踏み込んでいい話ではない。
「……ごめん…なさい」
「もう十年も前のことだ。顔すら覚えていない」
どんなに愛しい相手でも大好きだった人でも、時間の経過とは残酷にその記憶を奪っていくものだ。覚えていないことが、傷つかないということではない。
「覚えていなくても…貴方の過去に土足で踏み込んだ」
(ハルの過去…きっとそこに彼から感情を奪った何かがある…)
本当はもっと聞きたい。
だけど、今はこれ以上は踏み込んではいけないと分かっている。
それでも――
知らなければ、彼を救うことはできない。
部屋の扉を規則正しく叩く音がした。
「迎えに来た」
低く響く冷たい声。
それが誰のものか気づいた瞬間、私は思わず変な声を出してしまった。
「え!?ハ、ハル!?……ちょ、ちょっと待って!」
心臓が跳ね上がる。
なぜか手近にあった皿で顔を隠そうとした自分を、後で冷静に考えれば殴りたい気分だ。
恐る恐る扉の方を見ると、白い衣の青年――ハルが立っていた。
無表情なのに、どこか圧を感じる存在感。
「何をしている?図書館に行きたいんじゃなかったのか?」
淡々とした口調なのに、彼の瞳の奥にほんのわずか光が宿っていた。
それは笑顔と呼ぶには遠いけれど、昨日より確かに“温度”がある。
胸がふわりと緩んだ。
「あ、今……ちょっと笑った?」
そう言った瞬間、ハルは音もなく背を向けた。
「うるさい。早くしないと置いていくぞ」
「えっ、置いていかないで!!」
慌てて追いかける私を横目にもせず、ハルは歩き出した。
―――――――――――
ハニー宮へ向かう回廊を二人で歩く。
昨夜は忍び歩きだった道を、今日は堂々と。
ただ隣にハルがいるだけで、私の存在は違法でも不審でもなくなる。
(す、すごい……。ハルと一緒にいるだけで、“許可されてる人間”みたいになる……)
すれ違う神官たちは一様に、ハルへ深い礼を送った。
白衣の青年はそれを当たり前のように受け止め、まっすぐ歩く。
「ハルって……神殿でかなり重要な立場なの?」
つい気になって尋ねると、彼は歩みを崩さず淡々と答えた。
「重要…と言えば重要か…」
「?」
「象徴が必要なだけだ」
「象徴?」
「今は知らなくていい」
切り捨てるような鋭さに、私は口を閉ざした。
けれど――その冷たさの裏にある“触れてほしくない何か”が、逆に気になってしまう。
やがて、昨夜忍び込んだ場所――ハニー宮の図書館が見えてきた。
ハルが扉を押し開けると、重い空気を破るように軋む音が響いた。
朝の光が高窓から降り注ぎ、空中の埃を金色にきらめかせる。
「……綺麗」
「朝は人が来ない。
今のうちなら、好きに見てもいい」
ハルは指で奥の席を示した。
「あそこが、この部屋で一番静かだ」
「ありがとう……!」
胸の奥がじんわり温かい。
気持ちを抑えて席へ向かうと、木の椅子が優しく軋んだ。
ハルは帰るものと思っていたのに――
隣の席へ、迷いなく腰を下ろした。
「え……一緒に?」
「嫌なら、別で読む」
「嫌じゃない!!」
即答した私に、ハルはわずかに目を瞬いた。
ほんの少しだけ唇が緩んだように見えた。
少しずつ、でも確かに彼の“人間らしさ”が戻ってきている。
「まず、この歴史書を読むわね。
私……昨日気づいたの。エルダールには“違和感”があるって」
「違和感?」
「ええ。豪華な宮殿に粗末な食事。
おかしいでしょう?」
「…………」
ハルの肩がかすかに揺れた。
否定しないどころか、息を呑んだようにも見えた。
私が歴史書を開くと、ハルは棚から別の分厚い本を取って戻ってきた。
ぱら、ぱら、ぱら――
ページをめくる速度が異常に速い。
「ハル……読むの、早くない?」
「普通だ」
「普通じゃないわよ!!」
呆れる私に、ハルは少し困ったように眉を下げた。
「……見たものは、すべて頭に入る」
「全部、覚えられるってこと……?」
「あぁ」
(そんな……才能、普通じゃない)
もし私よりずっと前にここに閉じ込められて育ったのだとしたら、どこでそんな高度な教育を?
「ねぇ、これなんて読むの?」
私はページにあった難しい単語を指すと、ハルはこちらに歩み寄り、本を覗く。そして、すぐに答えた。
「……附款だ」
顔を上げた彼と目が合い、息が触れそうな距離に胸が跳ねる。
「あ、ありがとう……」
視線をそらして本を持ち上げたが、さっきの疑問がどうしても消えなかった。
こんな単語、普通に生活していて覚えるようなものじゃない。私は疑問に思ったことをそのまま口に出していた。
「ハルって……なんでそんなに賢いの?」
「昔、教育を受けていた」
「どこで?」
「ここで」
「どうして?」
数秒の沈黙。
「……一応、王子だからな。この国の」
「え?!!なんで!!!どうして?って、待って!ということは…王妃は自分の子どもをこんな所に閉じ込めているわけ?」
「子どもじゃない。あの女は父の母だ」
つまり王妃はハルの祖母ということだ。
そういえば、この国の王太子とは面会していない。国王もだけれども…。
ベネット侯爵は父上と王太子の仲が良かったから私を匿ってくれると言っていたのに…。王太子はどうしているんだろう…。
いや、そんなこと、今はいい。
どちらにしろ、自分の家族をこんな所に閉じ込めるなんてどうかしている。
「どっちでも同じだよ!ハルの父上と母上は?こんな所にあなたを閉じ込めて…どうして…」
「父と母は死んだ」
その呟きは、とても静かで、悲しいほど弱かった。
その苦しさは痛いほどよく分かる。
知らなかったとはいえ、土足で踏み込んでいい話ではない。
「……ごめん…なさい」
「もう十年も前のことだ。顔すら覚えていない」
どんなに愛しい相手でも大好きだった人でも、時間の経過とは残酷にその記憶を奪っていくものだ。覚えていないことが、傷つかないということではない。
「覚えていなくても…貴方の過去に土足で踏み込んだ」
(ハルの過去…きっとそこに彼から感情を奪った何かがある…)
本当はもっと聞きたい。
だけど、今はこれ以上は踏み込んではいけないと分かっている。
それでも――
知らなければ、彼を救うことはできない。
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