69 / 168
再会編
暗鬱な茶会
しおりを挟む
皇都にあるドゥーカス大公爵邸の薔薇園は秋の暖かい日差しに包まれていた。
テーブルの上には薔薇の花を模した装飾が施され、銀のティーセットの上には光がきらめいていた。
さざめく風が薔薇の香りを運び、鳥の囀りが遠くで聞こえる。
美しい──けれど、息苦しいほどの場所だった。
「セラ=ヴァレンティア様ですね、こちらへどうぞ」
使用人に案内され、円卓のひとつに座ると、周囲の令嬢たちの視線が一斉にこちらへ向けられた。
その中にあるのは興味、好奇、そしてわずかな敵意。
私は微笑みを崩さず、静かに会釈を返す。エルダールの英雄として紹介されたが、彼女たちにとって私は“どこの誰とも知れぬ異国の女”に過ぎないのだろう。
「まあ、あなたが――例の“白銀の王子”の隣にいらっしゃた方」
「素敵。エルダールではきっとたくさんの人を救われたのでしょう?」
柔らかい声色で放たれる言葉の裏に、探るような視線が混じる。
私は静かに微笑み、できるだけ穏やかに答えた。
「……いいえ。私はただ、少しお手伝いをしただけです」
「そんな!ご謙遜を!"あの本"は帝国でも人気ですのよ!」
「本日は女性だけの集まりですが、帝国にいらっしゃる間に機会があれば紹介頂きたいわ」
「あら、それなら今度、私の家が主催する夜会に……」
そんな中、ひときわ華やかな笑い声が響いた。
「まあまあ、皆さま。そんなに興味津々で見つめてはセラ様が困ってしまいますわ」
振り返れば、ジェシカがいた。
暁色の髪を上品にまとめ、手に持った白い扇で口元を覆っている。
「まぁ、ジェシカ嬢!本日は素敵なお招きありがとうございます!」
「先日の夜会の衣装、素敵でしたわ!」
「まさかあのアルヴェイン公爵と出席されるとは思いませんでしたわ!」
「本当に!絵になるお二人でした!」
皆が次々にジェシカの喜ぶ言葉をかけた。彼女は完璧に計算された笑みを浮かべ、まるで舞台の主役のようにその場を支配している。
「公爵様はお仕事で、あの日から会えていなくて残念ですけれど……昨夜も『無理をするな、ちゃんと休むように』と手紙を下さいましたの」
「まあ、優しい方なのね」
「ええ、彼は本当に……いつも私を気にかけてくださって」
ジェシカが語る一言一言が、胸に小さな棘のように突き刺さる。
私は静かにティーカップを持ち上げた。
カップの縁が指先に冷たく感じる。
紅茶の香りは素晴らしいのに、喉を通るたびに苦味だけが残った。
「ねえ、セラ様はどう思われます? アルヴェイン公爵は本当に素敵な方でしょう?」
周囲の令嬢たちの目が、一斉に私へ向けられた。
心臓が、ひとつ脈打つ。
何を答えればいいのか分からず、ほんの一瞬、視線が揺れた。
「……とても、立派な方だと思います」
それだけ言うのが精一杯だった。
「まあ、そうでしょう?あの方に並び立てる人なんて、そうそういませんものね」
ジェシカが満足げに微笑む。
その笑顔は完璧だった。どこにも綻びのない、作り上げられた美しさ。
そして、私には眩しすぎた。
「そういえば!今日これからお出しするお茶は公爵様がくださったものですわ。“君の好む茶葉を仕入れておいた”とわざわざ届けてくださって――」
「まあ! 本当にお優しいのね!」
「ええ。お仕事がどれほど忙しくても、必ず毎朝お花をくださるの。あんなにお若いのにお務めも立派にこなして、それでいて私を想ってくださるのですもの……あの方と出会えたことに感謝しかありませんわ」
ジェシカの声音は、まるで愛を語る詩のようだった。
周囲の令嬢たちはうっとりと聞き入り、微笑みを浮かべる。
けれどその輪の外側で、私は紅茶の中の小さな泡ばかりを見つめていた。
まるで自分が別の世界の住人になったような、遠い疎外感。
心臓の奥が、ぎゅっと掴まれたように痛い。
彼女の語る「公爵様」という名が、耳に届くたびに呼吸が浅くなる。
私の知るノアは、そんな派手な愛情表現をする人ではなかった。
でも……五年という時間の中で、人は変わるのだろうか。
彼が誰かを本気で想い、その誰かがジェシカであるのなら――私は、ただ祝福するしかない。
そう頭で分かっていても、心が追いつかなかった。
誰かが唐突に話題を変えた。
「ところで、セラ様はハルシオン殿下とご一緒に滞在されているのでしょう?
先日の夜会で初めてお見かけしましたけれど……まあ、なんてお美しい方かしら!」
「そうそう!まるで神話に出てくる神様のようでしたわね」
「お二人の距離感は恋仲のように見えましたわ」
「ええ。お二人はとてもお似合いでしたわ。
ねえ、実際のところはどうなの?」
え……。
ティーカップを持つ手が、わずかに震えた。
予想もしなかった方向に視線が集まる。
笑って答えなければ、と分かっているのに、喉の奥が乾いて言葉が出ない。
「……殿下は、私を救ってくださった恩人です。とても、尊敬しています」
なんとか絞り出した声に、令嬢たちの間から甘いざわめきが起こる。
「まあ、尊敬だなんて……そんな遠慮をなさらなくても。お二人の物語は皆知っていますわ」
「あのような経験をされれば惹かれ合うのも当然です」
「王子殿下が帝国の催しに貴女を連れて歩かれるなんて、もしや既に婚約されているのでは?」
「ということは、セラ様は王太子妃になられるのかしら?」
──ぱん、と乾いた音がした。
扇を閉じたのはジェシカだった。
笑顔のまま、だがその瞳は冷たい光を帯びている。
「皆さま、少し落ち着いて。セラ様を困らせてはいけませんわ」
そう言いながら、まるで慈悲を施すように私へ向き直る。
「けれど……“王国の英雄”とはいえ、帝国の建国祭は特別ですの。身分の確かな方でないと本来はご招待できないのですけれど……殿下のご厚意なのでしょうね」
笑みの奥に、確かな棘。
「私たちのような貴族社会では、身の丈に合わない行動は誤解を生むこともございますわ。お気をつけになって」
胸の奥で何かがひび割れたような気がした。
何も言い返せなかった。
気付けば、周囲の令嬢たちがジェシカに同調するように静かに頷いていた。
誰も悪意を表に出さない。
だからこそ、その場が何よりも苦しかった。
テーブルの上には薔薇の花を模した装飾が施され、銀のティーセットの上には光がきらめいていた。
さざめく風が薔薇の香りを運び、鳥の囀りが遠くで聞こえる。
美しい──けれど、息苦しいほどの場所だった。
「セラ=ヴァレンティア様ですね、こちらへどうぞ」
使用人に案内され、円卓のひとつに座ると、周囲の令嬢たちの視線が一斉にこちらへ向けられた。
その中にあるのは興味、好奇、そしてわずかな敵意。
私は微笑みを崩さず、静かに会釈を返す。エルダールの英雄として紹介されたが、彼女たちにとって私は“どこの誰とも知れぬ異国の女”に過ぎないのだろう。
「まあ、あなたが――例の“白銀の王子”の隣にいらっしゃた方」
「素敵。エルダールではきっとたくさんの人を救われたのでしょう?」
柔らかい声色で放たれる言葉の裏に、探るような視線が混じる。
私は静かに微笑み、できるだけ穏やかに答えた。
「……いいえ。私はただ、少しお手伝いをしただけです」
「そんな!ご謙遜を!"あの本"は帝国でも人気ですのよ!」
「本日は女性だけの集まりですが、帝国にいらっしゃる間に機会があれば紹介頂きたいわ」
「あら、それなら今度、私の家が主催する夜会に……」
そんな中、ひときわ華やかな笑い声が響いた。
「まあまあ、皆さま。そんなに興味津々で見つめてはセラ様が困ってしまいますわ」
振り返れば、ジェシカがいた。
暁色の髪を上品にまとめ、手に持った白い扇で口元を覆っている。
「まぁ、ジェシカ嬢!本日は素敵なお招きありがとうございます!」
「先日の夜会の衣装、素敵でしたわ!」
「まさかあのアルヴェイン公爵と出席されるとは思いませんでしたわ!」
「本当に!絵になるお二人でした!」
皆が次々にジェシカの喜ぶ言葉をかけた。彼女は完璧に計算された笑みを浮かべ、まるで舞台の主役のようにその場を支配している。
「公爵様はお仕事で、あの日から会えていなくて残念ですけれど……昨夜も『無理をするな、ちゃんと休むように』と手紙を下さいましたの」
「まあ、優しい方なのね」
「ええ、彼は本当に……いつも私を気にかけてくださって」
ジェシカが語る一言一言が、胸に小さな棘のように突き刺さる。
私は静かにティーカップを持ち上げた。
カップの縁が指先に冷たく感じる。
紅茶の香りは素晴らしいのに、喉を通るたびに苦味だけが残った。
「ねえ、セラ様はどう思われます? アルヴェイン公爵は本当に素敵な方でしょう?」
周囲の令嬢たちの目が、一斉に私へ向けられた。
心臓が、ひとつ脈打つ。
何を答えればいいのか分からず、ほんの一瞬、視線が揺れた。
「……とても、立派な方だと思います」
それだけ言うのが精一杯だった。
「まあ、そうでしょう?あの方に並び立てる人なんて、そうそういませんものね」
ジェシカが満足げに微笑む。
その笑顔は完璧だった。どこにも綻びのない、作り上げられた美しさ。
そして、私には眩しすぎた。
「そういえば!今日これからお出しするお茶は公爵様がくださったものですわ。“君の好む茶葉を仕入れておいた”とわざわざ届けてくださって――」
「まあ! 本当にお優しいのね!」
「ええ。お仕事がどれほど忙しくても、必ず毎朝お花をくださるの。あんなにお若いのにお務めも立派にこなして、それでいて私を想ってくださるのですもの……あの方と出会えたことに感謝しかありませんわ」
ジェシカの声音は、まるで愛を語る詩のようだった。
周囲の令嬢たちはうっとりと聞き入り、微笑みを浮かべる。
けれどその輪の外側で、私は紅茶の中の小さな泡ばかりを見つめていた。
まるで自分が別の世界の住人になったような、遠い疎外感。
心臓の奥が、ぎゅっと掴まれたように痛い。
彼女の語る「公爵様」という名が、耳に届くたびに呼吸が浅くなる。
私の知るノアは、そんな派手な愛情表現をする人ではなかった。
でも……五年という時間の中で、人は変わるのだろうか。
彼が誰かを本気で想い、その誰かがジェシカであるのなら――私は、ただ祝福するしかない。
そう頭で分かっていても、心が追いつかなかった。
誰かが唐突に話題を変えた。
「ところで、セラ様はハルシオン殿下とご一緒に滞在されているのでしょう?
先日の夜会で初めてお見かけしましたけれど……まあ、なんてお美しい方かしら!」
「そうそう!まるで神話に出てくる神様のようでしたわね」
「お二人の距離感は恋仲のように見えましたわ」
「ええ。お二人はとてもお似合いでしたわ。
ねえ、実際のところはどうなの?」
え……。
ティーカップを持つ手が、わずかに震えた。
予想もしなかった方向に視線が集まる。
笑って答えなければ、と分かっているのに、喉の奥が乾いて言葉が出ない。
「……殿下は、私を救ってくださった恩人です。とても、尊敬しています」
なんとか絞り出した声に、令嬢たちの間から甘いざわめきが起こる。
「まあ、尊敬だなんて……そんな遠慮をなさらなくても。お二人の物語は皆知っていますわ」
「あのような経験をされれば惹かれ合うのも当然です」
「王子殿下が帝国の催しに貴女を連れて歩かれるなんて、もしや既に婚約されているのでは?」
「ということは、セラ様は王太子妃になられるのかしら?」
──ぱん、と乾いた音がした。
扇を閉じたのはジェシカだった。
笑顔のまま、だがその瞳は冷たい光を帯びている。
「皆さま、少し落ち着いて。セラ様を困らせてはいけませんわ」
そう言いながら、まるで慈悲を施すように私へ向き直る。
「けれど……“王国の英雄”とはいえ、帝国の建国祭は特別ですの。身分の確かな方でないと本来はご招待できないのですけれど……殿下のご厚意なのでしょうね」
笑みの奥に、確かな棘。
「私たちのような貴族社会では、身の丈に合わない行動は誤解を生むこともございますわ。お気をつけになって」
胸の奥で何かがひび割れたような気がした。
何も言い返せなかった。
気付けば、周囲の令嬢たちがジェシカに同調するように静かに頷いていた。
誰も悪意を表に出さない。
だからこそ、その場が何よりも苦しかった。
25
あなたにおすすめの小説
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
【完結】どうか私を思い出さないで
miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。
一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。
ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。
コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。
「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」
それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。
「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」
[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜
h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」
二人は再び手を取り合うことができるのか……。
全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる