私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

文字の大きさ
80 / 168
建国祭編

陰湿な令嬢

しおりを挟む
「お時間よろしいですかな?王太子殿下」

 声をかけてきたのは、エルダールの東に位置するノルディア王国の王弟だった。

 ノルディアは、エルダールが干ばつに苦しんだ際、惜しみなく穀物を援助してくれた国だ。エルダールの王太子としては交友関係を結んでおくべき相手だ。

 ハルは私の方を気遣うような素ぶりを見せたが、私はそっと彼の手を離した。ハルも私の意図を汲んだようで、二人はサロンの方へと歩いて行った。

 一人になった途端、夜会のざわめきが急に遠くなった気がした。
 どこへ向かうべきか分からないまま、私は立ち尽くしていた時だった。

「ごきげんよう、セラ様」

 完璧に整った声。
 振り向くと、ジェシカがそこに立っていた。

 暁色の髪に薔薇色のドレス。
 宝石は控えめだが、その分、視線を独占する自信に満ちている。

「建国祭はいかがでした?」
「とても……素晴らしい一日でした」

 型通りの応答。
 それだけで終わると思っていたが、彼女は私を離してはくれなかった。

「帝国の民も、随分と熱狂していましたわね」
 彼女はくすりと笑う。
 言葉とは裏腹にその笑みに私への尊重は微塵も感じられない。

「“自国の聖女”でもない方に、あそこまで心を寄せるなんて」

 胸の奥が、ひやりと冷えた。
 けれど、私は先に口を開いた。

「……光栄なことだと思っています」
「ええ、そうでしょうとも」

 ジェシカはにこやかにうなずき、それから、ふと声を落とした。

「でも――少し、心配ですの」
「……?」
「エルダールで信仰を壊されたように、帝国で民を惑わし、皇族への忠誠を壊してしまうのでは無いかと……」

 その言葉が、ゆっくりと沈んでいく。

「どこの出身かも分からない存在が、
 あたかも“神聖なもの”のように扱われるのは……ねぇ」

 周囲の会話が、わずかに静まる。
 好奇心を含んだ空気が、肌にまとわりつく。

「それに……」

 ジェシカは視線を、わざとらしくハルへと向けた。

「先日の夜会でもお茶会でも殿方に連れ出されて……
 ご自身をか弱く見せるのがお好きなのかしら?
 まるで一人では何も出来ない子どものようでしたわ。
 そんな醜態をさらして恥ずかしくないのかしら」

 笑みは柔らかい。
 けれど、その奥には確かな悪意があった。

「まるで、聖女というよりは、はしたない娼婦のようですわ」

 その言葉に胸の中の空気が急に重くなり、呼吸ができなくなった。

 どうして、ここまで言われないといけないのだろう。
 私は、この方に何かしただろうか。
 
 ジェシカは、私の返答を待たずにグラスを傾けた。
 その仕草はあまりに優雅で、言葉の棘を覆い隠してしまうほどだった。

「両親を亡くされている、と伺いましたわ」

 ――その一言で、時間が止まる。

 周囲の貴族たちは、聞こえていないふりをしている。
 けれど誰もが、聞き耳を立てているのが分かった。

「お気の毒でしたわね。
 若くしてお二人とも亡くされるなんて」

 同情。
 それを装った、決定的な一撃。

 ジェシカは、ほんの少しだけ首を傾げる。

「だからこそ、今のお立場に“しがみついてしまう”お気持ちも、分からなくはありません」

(違う)

 しがみついてなんかいない。
 私は、ただ帝国に、自分の祖国に帰って来ただけ。
 そこで、家族のお墓に手を合わせたかった。
 ノアともう一度だけ、話をしたかった――ただ、それだけ。

 だけど、一言もこの場で出していい言葉が無い。

 私が言い返さないのをいいことに、ジェシカは調子よく言葉を続けた。

「愛情を受けずに育った方ほど
 殿方に依存しやすいと聞きますもの」

 心臓が、ぎゅっと掴まれたように痛む。

 反論したくても、できない。
 だって、それは――半分、事実だから。

 父と母は確かに私に愛情を込めて育ててくれた。
 だけど、それと同時に――
 この五年間、愛情を受けていないと言われれば嘘ではない。

 (だって仕方がないじゃない)
 
 父と母はもうこの世にはいないのだから。
 それを愛情を受けて育っていないと言われれば、
 何も言い返せない……。

「……ジェシカ様」

 やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど静かだった。

「私は、帝国に害をなすつもりはございません」

「ええ、存じておりますわ」

 ジェシカは、満足そうに微笑む。

「だからこそ、なおさらです」

 その声は、優しく、柔らかく、逃げ場がなかった。

「“何も持たない人”が、
 ここに居場所を求めるのがおかしくなくて?」

 確かに、今の私は本当の名すら名乗れない。
 自分の家族を家族とも呼べない。
 最後の希望だったノアの隣も、この人のもの。
 居場所なんて、もうどこにも無い。

 その事実が、言葉にならないまま喉を塞ぐ。
 胸の奥に、冷たいものが落ちていく。

 だけど、このままじゃいけない! 
 
 私は茶会の時にハルに言われた言葉を思い出す。
 最初は誰かの真似でいい。
 私が今、思い描く理想の姿を演じればいい。

「――随分と、好き勝手に言ってくれますのね。
 平民とはいえ、今の私はエルダールの使節です。
 私への無礼はエルダールへの侮辱ととってよろしいのでしょうか」

 場の空気が、ぴんと張り詰める。

 ジェシカは一瞬だけ目を見開き、すぐに微笑みを取り戻した。

「あら、申し訳ありません。
 ただ、帝国の未来を案じただけですの」

「でしたら、なおのこと貴女たった一人の振舞いで帝国の印象を落とされることがありませんよう、お気をつけください」

 母のように気高く、凛とした女性を演じた。
 だけど、本当の私はもう、その場に立っているだけが必死だった。

「……まあまあ、皆さま」

 その時、穏やかな声が割って入った。

「せっかくの建国祭の夜ですもの。
 こんなところで立ち話では、もったいないですわ」

 振り向くと、確か中立派の有力貴族の夫人がにこやかに微笑んでいた。

 (……助かった)

 私がホッと一息つくと、夫人はジェシカのほうに話しかけた。
 
「ドゥーカス家の姫君も、あちらにアルヴェイン公爵がいらしてましたよ」
「あら、公爵様が?」

 ジェシカは私のほうを一瞥し、夫人に言われるがまま、取り巻きと共にその場を後にする。

 気づけば、周囲の輪は自然とほどけていた。

 華やかな音楽。
 笑い声。
 祝祭の夜。

 ――少し、頭を冷やしたい。

 私はバルコニーへ足を向けた。
 
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……? ※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。

あなたが遺した花の名は

きまま
恋愛
——どうか、お幸せに。 ※拙い文章です。読みにくい箇所があるかもしれません。 ※作者都合の解釈や設定などがあります。ご容赦ください。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...