私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

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建国祭編

星月夜

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 しばらく、何も考えずにぼんやりと過ごしたあと、私は簡単に湯浴みを済ませた。
 ハルに付き添っている間、サーシャには意図的に暇を与えていたから、今夜の部屋には私ひとりしかいない。

 ふと気づいて窓の外を見ると、今宵は月の姿がなかった。
 雲ひとつないはずの夜空は、星明かりさえ頼りなく、まるで底の見えない水底のように暗い。

 私は慌てて燭台に火を灯す。
 小さな炎が揺れ、壁に不格好な影を落とした。

 ――暗闇が、怖い。

 そんなことを思う自分が、ひどく情けなく感じられた。
 けれど最近は、暗闇そのものよりも、暗闇に飲み込まれそうになる自分自身が怖かった。

 灯りが消えたらどうしよう。
 街の明かりがすべて落ちて、音も気配もなくなったら。

 胸の奥がざわめき、呼吸が浅くなる。
 このままでは、また――。

 事情を話して、ハルの部屋にいさせてもらおうか。
 そう思い、軽い上着を羽織ってドアノブに手をかけた、その瞬間だった。

「セラ様、お届け物でーす!」

 軽やかなノックと、明るすぎる声。
 扉の向こうに立っていたのはキースだった。

 差し出された封書を見て、私はすぐに察する。
 皇太后からのものだ。茶会の詳細が、簡潔な文字で淡々と記されている。

 言われた通り、読み終えた手紙に火をつけると、紙が火を吸い、ゆっくりと形を失っていく。

 その様子を、私はただ、ぼんやりと見つめていた。

 燃え尽きた紙の残骸を眺めながら、脳裏に浮かんだのは、夕焼けに染まったあの森だった。

 狩猟祭の終わり、血と風の匂いが混じる中で、ノアが差し出してくれた獲物。

 ――あれから、彼とは会えていない。

 せっかく捧げてくれたのに、きちんとお礼も伝えられないまま、時間だけが過ぎてしまった。

 嬉しかった。胸がいっぱいになるほど。

 なのに、その気持ちを渡す場所を、私は失ってしまった。

「……アルヴェイン公爵様は、お変わりありませんか?」

 部屋を出ようとしていたキースを呼び止めると、彼は少し驚いた顔で振り返り、それからすぐに笑った。

「ノア様ですか? 相変わらず働き詰めですよ」

「そう……」

 彼はもう、帝国の公爵だ。
 最近たまたま距離が近かっただけで、本来、簡単に会える立場ではない。

「何かありました?」

 首を傾げるキースが、いつもより少し大人びて見えた。

 何か用がないと会えない関係。
 幼い頃は、何も無くてもノアとは毎日ように会えていたから、伝えたいことも思ったこともすぐに言えていた。

 当たり前だけど、今は話がしたくても、伝えたいことがあっても簡単には会えない。


「ただ……少し、話がしたくて……」

 そう言うと、キースは迷わず頷いた。

「分かりました! 少し遅くなるかもしれませんが、来ていただけるよう伝えますね!」

 彼はそれだけ言って、夜風のように去っていった。

 ――――――――――

 夜はすっかり更け、空には静かな星々が瞬いていた。
 ソファに腰を下ろし、私は何度目か分からない深呼吸をする。

 不安と期待が、半分ずつ胸に満ちていく。

 そのとき――
 コンコン、と窓を叩く柔らかな音がした。

 慌ててカーテンを引き、窓を開ける。
 バルコニーに立っていたのは、深い青を纏ったノアだった。

 窓を開けると、彼の柔らかな髪が頬へ流れ、透き通る青い瞳が静かにこちらを見つめる。
 その眼差しは湖面のように深く、どこか儚い。

「夜分に失礼します。表は人目が多くて……」

 低く落ち着いた声が、胸の奥に直接触れてくる。

「……来てくださって、ありがとうございます」

「エリシア様が呼んでくださったのなら、いつでも」

 彼は自然に微笑んだ。

 名前を呼ばれただけで、心が一気に過去へ引き戻される。
 目の奥が、じんわりと熱くなった。

「キースから伺いました。話があると」

「はい……狩猟祭のお礼を、ちゃんと伝えたくて」

 その瞬間、ノアの表情にわずかな影が落ちる。

「いえ、こちらこそ。ハンカチをありがとうございました」

 微笑んでいるのに、その言葉はどこか形式的で、ノアとの間に温度の差を感じる。

 ――もしかして、迷惑だったかな?
 私は思い違いをしていたのかもしれない。

 キースはノアがハンカチを受け取ったことは無いと言っていた。もしかしたら、私が皇女だから無理に受け取ってくれたのかもしれない。

 そう思った途端に心が冷えるのを感じた。

「私……勝手なことをして、ごめんなさい」

 ノアは目を瞬かせ、すぐに首を振った。

「勝手なことだなんて、違います。
 ガーデニアの刺繍が懐かしくて……本当に嬉しかったです」

「覚えていてくれたんですね」

「もちろんです。
 今年は秋にも皇太子宮のガーデニアが花をつけました。
 まるでエリシア様の帰還を祝福するように」

「見てみたかったです」

 セラである私には、さすがに皇太子宮に立ち入ることは許されない。

 だけど、あの場所に思い出のものが残っていると思うだけで心が温かくなる。

「良かったら、切り花を持ってきます」

「ありがとうございます」

 穏やかな会話なのに、心は落ち着かない。

 ノアとの会話は、ゆったりしていて温かいのにソワソワして落ち着かない。

「あの……ノア。
 私も獲物を捧げてくれて嬉しかったです。
 なのに、立ち去ってしまって、ごめんなさい」

「いえ、退院されたと聞きましたが、ハルシオン殿下は大丈夫でしたか?」

「はい。肩を脱臼したので生活は不自由そうですが、元気です!」

「そうですか……。良かったです」

 その言葉の奥に滲む感情を、私はまだ、正しく掬い取れずにいた。
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