私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

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探訪編

護身術

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 ノアの背中を見送ったあとも、胸の奥はしばらく熱を帯びたままだった。

 夕暮れの部屋に残されたのは、沈みきらない光と、言葉にしてしまった決意だけ。

 ――隣に立ちたい。

 皇女として、ではなく、守られるだけの存在としてでもなく。

 だけど、帝国に来てから何度も思い知らされる。
 あの人の横に立つには、私はあまりにも何も知らなさすぎると。

 翌朝、私は日が昇るより早く身支度を整え、皇宮図書館へ向かった。

 いつもは夜に訪れるこの場所を明け方に訪れる。
 重厚な扉を開けると、昨日までと同様にひんやりとした空気と、紙と革の匂いが迎えてくれる。
 だけど、今日手にするのは後ろめたい資料ではなくノアと共に歩むためのもの。

「……まずは、ここから」

 選んだ書物を執務室に持ち帰り、公務が始まる時間まで読んだ。

 帝国を支える主要貴族家の記録。
 公爵家、侯爵家、伯爵家――名簿、婚姻関係、過去の功績や各領地の特産品や役割。

 これまでも、主要な家門は覚えていた。
 けれど、帝国全体を見て、その先まで見据えるのであればもっと広く深く知らなければならない。

 ページをめくるたび、思い知らされる。
 ノアは、このすべてを把握した上で判断し、指示を出し、時には矢面に立っているのだと。

「……大変、なんて言葉じゃ足りないわ」

 ひとりで呟く声は、静かな執務室に溶けた。

 公務が始まる時間になり、伸びをしていると、侍女が温かい茶を差し出す。

「根を詰め過ぎですよ、殿下」

 話しかけてきたのは、アルヴェイン公爵家から派遣された侍女、ルーナだ。
 だけど、侍女というより護衛のような存在、いわゆる公爵家の影と呼ばれる人の一人だ。

「ううん、ありがとう。でも……」

 視線を再び書簡へ戻す。

「これを知らずに、ノアの隣に立ちたいなんて言えないもの」

 自分で言って、少しだけ笑った。
 逃げ道を塞ぐみたいな言い方だと分かっていたけれど、不思議と後悔はなかった。

 朝の勉強が日課になった頃、ルーナがふと思い出したように口を開いた。

「そういえば殿下、近衛兵の訓練をご覧になったことはありますか?」

「訓練?」

「ええ。
 たまには外に出て、日に当たってください!
 それに!屈強な騎士たちの姿を見れば少しは年頃の令嬢のようにキャピキャピされるでしょうに」

「キャピキャピ?」

「そうですよ!
 皇女殿下は今が花盛りだというのに……。
 執務室か図書館に籠られてばかり。
 それじゃあ、誰もお嫁に貰ってくれませんよ」

(あれ?もしかして私ってそんなに女の子らしくないのかしら……)

 正確には私は嫁ぐというより、婿を迎えないといけない立場になるのだけど、細かいところは良いとしよう。

「それに!本日の訓練にはアルヴェイン公爵様も出られるそうですよ」

 ノアの名を聞いただけで、胸が小さく跳ねる。

「……見てみたい」

 答えは、ほとんど反射だった。

 ルーナに案内されるがままに、訓練場に向かう。
 足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 乾いた剣戟の音。
 踏みしめられる土。
 張り詰めた緊張と、鍛え抜かれた動き。

 その中心に、ノアがいた。

「そこ、重心が高い。
 もう一歩、踏み込んで」
 
「間合いが甘い」

 低く、よく通る声。

 剣を手にしたノアは、いつもの穏やかな執務時とはまるで別人だった。
 動きは無駄がなく、鋭く、それでいて兵を追い詰めることはしない。

 剣を弾き、受け流し、瞬時に間合いを詰める。

 一太刀ごとに、兵の癖を見抜き、正確に指摘する。
 
「……すごい」

 思わずこぼれた声に、自分で驚いた。

 知らなかった。
 こんなノアの姿を。

「かっこいい……」

 胸が、じんわりと温かくなる。
 同時に、少しだけ悔しかった。

 ――私は、ノアのこと全然知らない。

 訓練が終わる頃、キースが静かに声をかけてきた。

「殿下じゃないですか~!
 もしかして、ノア様を見に来たんですか~?」

「ち、違います!これはただ、その!
 兵を鼓舞しに来たのです!」

「はは、エリシア様、顔が真っ赤ですよ~
 ノア様をお呼びしましょうか?」

「それは大丈夫です。
 ノアの邪魔をしたくないので」

「え~!そんなことないと思いますよ?
 きっとノア様はお喜びに……」
 
「キース!あんたさっきから皇女様に向かってどんな口をきいているの?」

 どうやらキースはルーナの後輩に当たるらしく、彼女に叱られている。

「私も強くなりたいです」

 ふと、そう呟くとふたりが揃ってこちらを見た。

「皇女様が強くなられる必要はないですよ!」
「そうです!こういうのは俺たちの仕事です!」

 そうかもしれないけど、少しでも変わりたい……。

「私に護身術とか、教えてもらえませんか?」

 キースとルーナは目を合わせると首を振る。

「ノア様に許可をとりましょう」
 
「ノアに知られたくないもの」

 ノアの知らないところで成長したい。
 それに、彼の足を引っ張りたくなかった。

「そう……ですね。
 確かに旅に出られる前に護身術を覚えておけば、いざという時に役に立つかもしれません……」

「私は表向きはあくまでも侍女ですから……不本意ですが、キースでしたら……」

「え!俺ですか?」

「彼はこんなんですが、腕は近衛の中でも随一です」

「……お願いします。キース」

 その言葉に、彼は一瞬迷ったような顔を見せたが、しばらくしてうなずいてくれた。

 夕暮れ、動きやすい服に着替えた後、私は訓練場に向かった。

「まずは人の弱点をお教えします!!
 もし狙えそうなら、体の固い部分でそこを狙います!」
 
「弱点?頭とかお腹とか?」

「目・喉・みぞおち・脛とかですね!
 後、男なら金的!」

 その言葉に私は思わず赤面してしまう。

「あ!その!
 皇女殿下に向かって、すみません……」

「いえ!大丈夫です!」

 キースはやってしまったとばかりに頭をかいた。

「ですが、無理に力で対抗しようとしないでください」

「はい……」

 キースは意外にも真面目で丁寧に教えてくれる。

「口で言うより実践ですね!
 まずは手首を取られた時の外し方から」

 キースが私の手首を掴む。
 いつも飄々としている彼だが、いざ掴まれるとその力は強く、ビクともしない。

「……こう、ですか?」

「まずは無理に動かさず、手を開きます」

 私は言われた通りに手を開く。

「親指が相手の手のひら側に来るように回転させてください」

 すると、意図も簡単にキースの手が外れる。

「そうです!外れたらすぐに身を引いて!
 距離をとります!」

「こう?」

「はい!お上手です!」

「次は壁に押し付けられた時!」

「はい!」

 返事をすると、キースは私を壁際まで追いやって、胸ぐらを掴んだ。

 その時――。

「何をしている」

 低い声が、空気を切った。
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