私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

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探訪編

希望のカケラ

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 ノアがスープを飲み終えるのを見届けると、ハルとキースは気を利かせたのか、そそくさと部屋を出て行った。

「片付けてきますんで」
 
「病人が無理しないように見張っててくれ」

 二人がそう言い残して、扉が静かに閉まる。

 部屋には、私とノアだけが残った。
 窓から差し込む午後の光が、白いシーツの上に柔らかく落ちている。

「……嬉しいです」

 ノアが先に口を開いた。

「良かったです」

 だけど、ふと私の手元に視線を落としたノアは表情を硬くした。

「もしかして、料理で怪我をされたのですか?」

「ち、違います!」

 思わず強い口調になってしまい、はっとして言葉を和らげる。

「いえ、これはその……恥ずかしいので見ないでください」

 ノアは小さく息を吐いて、私の手をガラス細工に触れるようにそっと自分に寄せた。

「私なんかの為に、怪我をしないでください」

 ノアは自嘲気味の笑みを浮かべる。
 さっきスープを飲んでいた時の無防備さは、もうそこにはない。

 私は、その変化が、少しだけ悲しかった。

「ノア」

 名前を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを向いた。

「どうして……そんなふうに、自分を後回しにするんですか」

 問いかけた瞬間、胸が締め付けられる。
 本当は、聞く資格なんてないのかもしれない。

 ノアはしばらく黙っていた。
 やがて、視線を落としたまま、低く答えた。

「……守ると決めたからです」

「それは……誰を?」

「エリシア様を」

 迷いのない答えだった。

「五年前も、今も」

 その言葉が、静かに胸に落ちる。

「私は……」

 ノアは続けようとして、言葉を切った。

「いいえ。今は、これ以上話すべきではありませんね」

 また、壁を作った。
 そう感じて、私は思わず拳を握った。

「私は、あなたに救われてきました」

 顔を上げた。

「何度も。何度も」

 その青い瞳が、わずかに揺れた。

「だから……次は、私があなたを――」

 言いかけて、言葉を飲み込んだ。
 今、ここで言ってしまえば、彼はきっと受け取らない。

 だから、私は微笑んだ。

「ノア、大事な話があります」

 ノアが私の方を不安げに見つめた。

「あなたには静養が必要です」

「私は大丈夫です」

 その声には力が無い。
 なのに、いつものように笑おうとする。

「ただの立ちくらみで――」

「違います」

 遮るように、私は言った。

「ノアは私たちの前で倒れました。
 それは“大丈夫”ではありません」

「それにこれは命令です!
 ノアは帝国の公爵で、皇族の盾です。
 あなたが倒れることは、帝国の不利益になります」

 できるだけ、感情を切り離して。
 わざと理路整然とした言い方をした。

 ノアは反論しかけて、口を閉じる。
 その表情に、戸惑いが滲んだ。

 “命令”という形を借りなければ、彼を止めることは出来なかった。

「……エリシア様」

 私の言葉にノアは少し傷ついたような顔をしてから、何かを考え込むように俯いた。

「私はもう……必要ありませんか?」

 ノアは絞り出すような声でそう尋ねた。

 思いもよらない問いかけに私は瞬きすることも忘れた。

 ノアが必要じゃないなんて、あり得ない。
 だけど、彼は自分の存在価値をその程度だと思っているんだ。

 私は、彼の目を真っ直ぐに見た。

「そんなことあるわけない!
 ノアは、私の大切な人です。
 ……世界で一番大事なの。
 だから、大切にさせて……お願い」

 まるで告白のような台詞だ。
 だけど、言葉一つで彼を繋ぎ止めることができるなら、何度だって思いを口にする。

 ノアは私の言葉に息を呑み、固まって動かない。

 しばらくの沈黙後に、小さく口を開く。

「……ですが、その間にエリシア様にもしもの事があれば、私は――」

「大丈夫です。
 ノアが鍛えた公爵家の人々や近衛兵が守ってくれますから」
  
「……分かりました」

 短い沈黙の後、ノアはそう言った。

「一度、公爵領に戻ってください。
 療養を兼ねて。
 私も会いに行きます」

 その瞬間、ノアの目が揺れた。

「……待ってます」

 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 これが、私の選んだ答えだ。
 彼を守るために、距離を取る。
 本当は離れたくないし、そばにいて欲しい。

 だけど、彼には元気でいて欲しい。

 しばらくして、私はキースを呼ぶために静かに部屋を出た。

 翌朝、公爵邸から迎えが来た。

 私はキースとハル共にエルダールへ向かい、公になっている通り、使節に合流する。
 ノアは公爵家の馬車で領地に帰る。
 次に会えるのは、二週間後か一月後か、あるいは来春になるかもしれない。

 私はもう一度、ノアの部屋の前に立った。
 扉から中を覗くと、ノアはまた眠っていた。

 医師から処方された睡眠薬がよく効いているみたいだ。

 会えば、きっと、名残惜しく感じてしまう。
 触れれば、きっと、縋ってしまう。

 だから、後は公爵邸の者たちに任せて、私は朝のうちに発つことにした。

 私は、彼の隣に居ていい人間なのか。
 彼を守ると言いながら、彼を壊してきたのは、私ではないのか。

 答えは、出ない。

 ただ一つ確かなのは――
 今、一緒にいればお互いが駄目になってしまうということ。 

 私は静かに部屋を後にした。
 階下ではハルが待っている。

「良いのか?声をかけなくて」

「うん」

 ハルは納得のいかない様子だったけど、私の意志を尊重してそれ以上は何も言わなかった。

 外に出ようとしたところで、医師に声をかけられる。

「あの……あなたはエリー様ですか?」

 その問いに私は慌てて振り返る。
 私のことを"エリー"と呼ぶ人はもうこの世には居ない。
 あまりの驚きに鋭く睨んでしまっていたようで、医師は一歩、後退る。

「あ、すみません!そうです」

「……実は昨夜、手紙を預かりまして……
 金髪に黄緑色の瞳をしたエリーという女性に渡して欲しいと」

 その言葉を聞いた途端、ハルが私の前に一歩出た。

「俺が確認する」

 ハルが医師から手紙を受け取る。
 封蠟もなく、差出人もない封筒の中には一枚の紙が入っていた。

 その筆跡は、あの禁書庫で見つけた紙切れと同じ。

『姉様の誕生日に皇太子宮の仲直り広場で』

 そんなはずがない。
 生きているなんて、
 そんなはず……。

 なのに、胸の奥で、
 もう呼ぶことはないと思っていた名前が、静かに息をする。

 "仲直り広場"は、私とレオンが姉弟喧嘩をして、仲直りしたい時に行く大きな楓の木の下だ。

 これは、私たち家族とノアしか知らない。

「レオン……?」

 期待をしすぎるのは良くないと、分かっている。

 だけど、もし、弟が生きているのなら……。

 気付けば一筋の涙が頬を伝った。
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