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海の秘宝
しおりを挟むゆらゆらと波に揺れる小船。
無造作に錨を投げ入れて、固定する。
日に焼けた髪は、色素が薄くなりぱさぱさする。
伸びてきた髪をかきあげてウェットスーツのジッパーを引き上げた。
水中メガネとヒレをつけて準備は終わる。
簡単なものだ。
座った船縁からのけ反るようにして海へと飛沫をあげる。
一瞬の泡の幕が晴れると、見慣れた碧い世界が待っている。差し込む光が金色の柱になり、海底へと向かっている。
見上げる海面は絶えまなく揺れて表情を変える。
どんな教会よりも自然の造りだす厳かな空間だ。
光に満ちた世界を後にして海底へと向かう。
腕の気圧計に目を落とす。
普段潜る深さならなんら問題はないが、素潜りで鼓膜が破れたら方向を失ってしまう。
昇っているつもりで、潜ってしまうことがある。
深く潜る。
その過程で生死をわける、ちいさなお守りだった。
やっと光の届く明るさ
探していた難破船でなく
海底に眠る財宝でなく
気がついたら
惹かれていた
今にも海溝に転げ落ちそうな危うげな岩場に
隠れるように
君はいた
大理石の腕は空に伸び
整った顔にはうっすらと笑みを浮かべて
君は待っていてくれた
完璧なプロポーション
鎖骨から胸の膨らみまでの滑らかな曲線
捻ることで際立つ腰のくびれ
安定感があり官能的な尻
身につけた薄い布のしたにはしなやかな脚を隠している。
半歩踏み出した脚
かわいらしい踵を地につける前に
時が止まっている。
ここで君はずっと僕を待っていてくれる。
華奢な腕は左腕の上腕から欠けていた。
右腕も肘より先が欠けていた。
そんな欠損もなんら君の美しさを損ねることはない。
僕がそばにいくと見えない腕を伸ばして抱きしめてくれる。
海そのもののような
ふかい安らぎ
僕ほど君を愛している者はいないだろう
そして君ほど僕を愛してくれる者もいないだろう
回遊する熱帯魚のように
僕は愛の対象をあらゆる角度から鑑賞する
息の続くかぎり
目を閉じても君を思い描けるほど
息をつぐ
その行為がもどかしい。急激な水圧の変化は肺に心臓に負担をもたらす。
負担にならない速度で上昇をはじめる
ゆらゆらと下に君を見ながら水面に向かい浮上する
空に昇るようだ
君を残して
君はこの碧い神殿で
ずっと僕を待つのだろう
陸に上がれば、なんら変わらないつまらない男でしかない。
日に焼けて、風にさらされた海の男だ。
「レオン」
声に振り向くと幼なじみのマリカだった。
「どう?何か見つけた」
左手で波をつくり、右手がその波をきり、すっと潜る動作をした。
「財宝なんてそうあるものじゃない」
頭に浮かんだのは彼女だ。彼女こそ財宝だった。離れていても心の半分は彼女のところにあるようだった。
離れ離れになるのが信じられなかった。
食事をして眠るために仕方なく陸にあがる。
朝になればすぐにも海に出かける。
「なんだか痩せたね。無理して潜らなくてもレオンならいい働き口があるのに」
日にやけた腕で髪を掻きむしる。ウエーブのかかった髪がくしゃくしゃになる。
「マリカの紹介は面倒な所ばっかじゃないか」
きっと見据る目が吊り上がっている。
「なんでもっと上手くやんないのよ。お客におあいそ言うのも仕事よ。そこにいるだけで人目を引くのにもったいない」
ホテルの受付、バーテンダー、ブランドショップの店員。
なぜか接客業ばかりだ。
そして女性客絡みのトラブルで辞めることになるのも同じだった。
どちらが先に僕といたか。
どちらがより多くの金額を僕のために使ったのか。
そんなことばかりだ。
海にでれば風と波しかない。
気楽でいい。
食べていくだけの魚と沖に出るだけのガソリンさえあれはいい。
生活のための僅かな金があればよかった。
ただ彼女に焦がれてから、ずっと一緒にいる方法はないものかずっと考えていた。
彼女を陸へ連れてくる。
甘い夢のような時間。
そのためには現金が必要だった。陸でのトラブルに目を潰って耐えるのか、誰も見たことのない宝を見つけるしかなかった。
彼女が一番の宝だったが、手放す気のない宝を知らせても誰も手を貸してくれないだろう。
音がくぐもる。
海水に抱かれると安心するのは、母親の子宮を思いだすからだろうか。
潜ってゆく速度は自分できめる。
案内のシンカーに捕まることは許されない。
その場所へは自分でたどり着かなければいけない。
人間は月へと飛びたったが、この海溝の底にたどり着いてはいない。
月よりも遠い場所だ。
そこに潜降していく。
人間の体がどれだけ耐えられるのか。
無理だと言われた60メートルを越え、記録は100メートルを越えた。
選ばれた者しか味わえない世界。
自分はどれだけ潜れるのか。
自信はあった。彼女に会うために特化された感覚。
負ける気はなかった。
フリーダイビングの大会で優勝すれば、賞金がもらえる。
彼女と一緒にいられるようになる。
浮上をかける。
ゆらゆらした揺れがある。
頭も心臓も自分のものでないような感覚がある。
きっと優勝できる。
確信が胸にある。
賞金が手に入ったら、引き揚げ船を頼もう。
いつものジイさん。
この海のことなら、潮の流れや海底の様子まで知っている。
きっとびっくりするだろう。
こんな美人そうはいないさ。
船上のクレーンに動力がはいる。
エンジンの駆動音。ガリガリ音をたてて鎖が下ろされる。
「ほぉどんな別嬪さんか楽しみじゃわい」
「宿酔で操作を誤るなよ、ジイさん」
「バカぬかすな。昨日の差し入れは、い~い酒じゃ。滑らかに動くわい」
丸い浮きの浮くポイントに停泊、これから彼女に鎖をつけなければ。
水の世界にいこう
深く潜ると静寂があたりを包む。賑やかな上層に比べて魚も少ない。
ゆらゆらとプランクトンが降りてくる。
温かいここでは、雪は降らない。見たことのない雪を見ているようだ。
プランクトンの死骸はさらに深い闇のような深海へ降りてゆく。
どこかに降り積もるプランクトンがあるのかもしれない。
自然のなかでそれはどんな役割があるのだろう。生まれて死ぬサイクルのなかで意味のあることなのだろうか。
彼女へと鎖を巻いていく。
傷つかないように緩衝材をはさみ、緩みなく固定させる。
とうとうこの日がきた。
これからは、離れることなく一緒に居られる。
浮上して引き上げのための合図を出す。
「ジイさん頼むよ」
「おうよ任せな」
発動機から一瞬白い煙りがあがり、巻き上がる鎖の音がする。
それを確認してまた潜る。
彼女に付き添っていたかった。何十年、何百年ぶりに碧い宮殿をでる。外界はどれだけ変わったのだろう。きっと彼女の生まれた頃とは変わっているだろう。
潜っていくと、ぴんと張られた鎖がゆっくり彼女を持ち上げる所だった。
巻き上がる砂が動きだしたことを伝えている。
動いているのかと思うほどゆっくり上がっていく。
ぽろり
なにかが目の端をよぎる。
ぽろり
ぽろり
慌てて一つつまんで確認する。
彼女の破片だった。
あちこちから破片がこぼれ落ちている。
土台やたなびく服の裾、背中、腕……
どうして
こんなことが…
抱き着くようにして破片が落ちないように押さえる。
胸を押さえれば足から
足を押さえれば背中から
絶えずどこからか破片は落ちて深海の暗闇へと吸い込まれていく。
まるで脱皮をしているようだった。
どうして、こんなことに
彼女の顔を仰ぎ見た。
微笑む口元はそのままに、頬には筋が刻まれている。
まるで泣いているように。
ぐらりと大きく揺れる。
腰に入った亀裂から斜めに大きく下が持って行かれる。
かわいらしい踵も、ゆっくりと沈んでいき、暗闇へ吸い込まれ見えなくなる。
そんなに
嫌だったのかい
泣くように頬の切片がはがれ消えていく。
ただ 僕は
君が崩れるのを見ているしかないのかい
引き上げを中止すればいいのか
ここまで引き上げて、また元に戻しても以前の君ではないから。
諦めに似た気分で引き上げに付き添う。
どれだけ君を連れていけるだろう。
君の抗議を受けいれよう。
たとえひとかけらの切片になっても君の存在を感じたかった。
ぐらりと腕が崩れ落ちる。
君が好きだ
そばにいて欲しい
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