君までの距離

高遠 加奈

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見えたもの

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「渡辺ならやりそうだ」


そう言って尾上さんは笑った。


「渡辺が高遠君の前に立っているのが見えるようだよ」


「会社の力を借りないで、自分の力で高遠さんの前に立ちたいんです」



「大変だぞ?それでもやってみる気なんだな。もし、高遠君に飽きたら、俺の所に来い。渡辺一人、食べさせていけるだけの仕事は出来るから」



「その時はお願いします」


冗談みたい、だった。



ほんとの本気だとしても、冗談みたいに言ってくれた。

気づかない訳はなかった。

自分に自信がないとか、自意識過剰だとか、そんなの有り得ない、とかそんな言葉でごまかしてしまえる言葉ではなかった。


たとえ冗談みたいだって、その言葉は頑張って絞り出した言葉に違いなかった。

それにアタシが気づいたのは、高遠さんを好きになったからだ。高遠さんを知りたいと思うようになって、アタシはいろんなものが見えるようになった。


「帰りましょうかー。アタシ、お礼に美味しい鯛焼きをご馳走します!」


「鯛焼き?なんか庶民だね」


ははっと尾上さんが笑った。



「あんことか、クリームとか選べるんですけど、ハムやチーズの入った甘くないのもあるんですよ」

「それって鯛焼きの形じゃないといけないの?お好み焼きでもいいんじゃないの」



尾上さんは、さっぱりした顔をしていた。気持ちを言葉にしたことで心が軽くなったのかもしれない。



「お好み焼きはお好み焼きです卵と豚バラは外せません。だったら、大判焼きでも同じようなものがあるよって言われたんですけど、鯛焼きはあの形で、しっぽがカリカリなのがいいんです」


「………そうか任せる。それはやっぱり渡辺のアパート近くだよね?」



「そうですけど……?」



「悪いけど俺、腹減って死にそうなんだよ。近場で何か食べさせて」



顔の前で片手を上げて、拝むように言った。そして言うなり尾上さんのお腹がなった。お昼なんてとっくに過ぎていて、アタシもお腹がすいていたのに気づいた。



「仕方ないですよね。じゃあ尾上さんの奢りですね」

「ひでぇな。車出したのに、まだたかるか」

「アタシが絶対美味しいって自信を持って言えるのは、この鯛焼きくらいなんです!だから言ったのに…」

「わかったよ。いいよ奢りで」




最後にアタシは振り返ってもう一度だけ撮影現場を見た。

もう一度来たくても、どうやって来たらいいかわからないからだ。

高遠さんは芸能人で、アタシは一般人だけど、さっきまではこの場所でそんな垣根なんてなく話ができた。


次に会えても、姿を見れるだけかもしれない……



だから、はっきりと胸にも目にも焼き付けておきたかった。

深呼吸をして目を閉じる。


そしてアタシは目を開けて歩き出した。

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