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しおりを挟む「あっつい…」
温度管理されている那覇空港から出ると、たちまち熱気があたしを包んだ。日差しも傾いたというのに、まだ熱をはらんだ空気がわだかまっていて夏のようだった。
東京から数時間で、気温がぐっと上がり夏みたいに暑くなってしまうことが不思議でしかたない。
まだ春なのに、夏のグラビアを撮影するのだから、ちょうどいい。
からからとキャリーバックを引いてタクシーの列に並ぶ横で、スタイリストさんがスマートフォンで電話をかけていた。
「もしもし伊部さん、今空港につきました」
『お疲れーこっちはセンセイと呑んでるから、ゆっくり宿泊先に行くといいよ。場所、わかるよね? 』
「わかる訳ないじゃないですか~タクシーまかせですよ」
『ははっそれもそうだ。柄の悪い人もいるから、気をつけて』
スマートフォンから洩れ聞こえる声をなにげなく耳にしていたら、まわりの会話を拾ったらしく声が聞こえた。
『俺にも泡盛ちょうだい』
がやがやとした雑音のなかその音だけがクリアに聞こえた。
声を聞いただけでわかった。それだけで心がふるえた。
「お願いです…電話を代わってください」
スタイリストさんからスマホをもぎ取って耳を寄せるとわザワザワとしたざわめきはどこかの店であるらしかった。
「突然すみません、柏崎玲奈と言います。あのっご挨拶がしたいのですが、どちらに居られますか? 」
驚きが電話口から伝わってくる。失礼なのは、知ってる。それでもあたしも必死に言い募る。
「お願いします。お邪魔しませんから、本当にご挨拶だけでいいんです……」
必死に言っていたら、涙がぽろりと頬を伝った。途端に鼻までぐずぐずと言い出して、まずい止めなくちゃと思えば思うほど涙が止まらなかった。
「あのっ…本当にご迷惑かけないようにしますから……」
電話口で泣いている女が言っても説得力がないとわかっているけれど、編集さんは優しかった。
『とりあえず、落ち着いて。礼治さんに確認取るから』
ぐずぐずと鼻をくずつかせていたら、スタイリストの青木さんが、ティッシュを渡してくれた。
通話口を塞がれた向こうは音がくぐもって聞こえない。どうしよう…こんなメンドクサイ女なんて嫌がられる…
なだめるように青木さんが背中を叩いてくれて、自分の感情に振り回わされていたのが落ち着いてくる。
青木さんとは以前も仕事でお世話になったことがあって、妹みたいに気にかけてくれる。斜め後ろをむくと優しい目をした青木さんと視線が絡む。涙をぬぐいながら頷くとにっこり笑ってくれた。
『玲奈ちゃん、礼治さんからOKが出たよ。逃げやしないから落ち着いてからおいで』
「~~ありがとうございますっ」
通話口からの声に嬉しくて涙が止まる。なんて現金なんだろ。それから伊部さんはお店の名前と場所を教えてくれて、タクシーの運転手さんに言えばいいからと電話が切れた。
「…ほんと嬉しい」
なんでとかどうしてとか青木さんは聞いて来なくて、あたしを見守ってくれた。
「山崎礼治さんはあたしが一番影響を受けた人なんです」
憧れているという言葉では表しきれない、いちいちメンドクサイ感情に陥ってしまう。会いたいという気持ちと裏腹に感情が暴走してしまいそうな自分が怖くもあった。
初めて礼治さんの作品を見てから会えるまで10年かかっている。そのバカみたいに長い間に、あたしはこの気持ちについていつも考えていた。
写真集の発売と同時に開かれていた個展で初めて見た作品は、印画紙から人物が立ち上がってくるような存在感があって食い入るように見つめていた。
ほの暗い闇から浮かび上がる女性の肌が滑らかで光を弾いて輝いているように見えた。
なんて綺麗なんだろう…
飽きることなくその写真を見ていたあたしにおねーちゃんは呆れて、早くお買い物に行こうと散々催促された。
今年の服をまだ買ってもらっていないし、あのお店の新作スイーツが食べたいと両親にねだっていた。
早く行きましょうという両親に、新しいお洋服もおいしいイーツもいらないからと初めて買ってもらったのが山崎礼治さんの写真集『Echo』だ。
あのとき世界がきらきらしたことを忘れられない。紙袋に入った写真集を宝物のように大事に持ち帰って、ドキドキしながらページをめくった。
ページをめくるたびに、山崎礼治という人物の目を通して見た世界が綺麗に輝いて見えて、自分も写真の中に入り込んでしまうほどのめり込んだ。
何度も何度も開いたので、写真集の背表紙をテーブルにつけて置くだけで、お気に入りのページが開いてしまうほどだ。
ずっと会いたくて、やっと会えるというのに、なにしてるんだろう。
そう思ったら、いても立ってもいられなくなる。一番近いタクシーまで走るように向かう。
一分でも早く会いたい。
「早く行きましょう。年上の方を待たせたらいけません」
「玲奈ちゃんが大丈夫なら、すぐ行きましょう」
追い付いてきた青木さんは、ポーチからパウダーを出してメイクを直してくれる。
「大事な場面だもの。綺麗にしないとね」
取り乱して泣いてしまった涙を、なかったことにしてくれる。
思いは自分の中から出て、迷いながら何処かに向かおうとしている。
それは何処かはわからないけれど、ずっと抱えていたものに、何らかの答えが出る気がした。
10年というバカみたいに長い間憧れてきたのに、山崎礼治という人間について知っていることなんて、Wikipediaに載っていることくらいしかない。Wikipediaに記載があること自体が普通ではないけれど、一般人が知り得ることなんてたかがしれてる。
歌手だったり、俳優さん、芸人さん、芸能人と呼ばれる人だったなら、まだ知っていることもお目にかかる機会もあっただろうに。あたしの憧れているのは、むしろアーティストといってもいい、職人みたいな人で、関わりあう人間も限られている。
作品を目にする機会はあっても、とても遠い存在だった。
ただ会いたいという、不純な動機でモデルを始めてここまでやっと来たんだ……
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