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Lithium
第二十五話 魔力の災難
しおりを挟む「し、シン様ぁぁ……」
「わかってる、待ってろ。今の状態でこれ以上沈むと不味い」
真は考えていた。
沼、強度がなく水分も多いために足が沈む。
だが動かなければそれ以上沈むことは無い。
不思議な現象だがそんな現象もあった気がする。ニュートンの流動理論だったか何かだと真は思う。
チキソトロピー、そうだと真は思い出した。
水に溶かした片栗粉の様な物は圧力を加えると固体化し、力を抜くとまた液状化する。これをダイラタンシーと呼び、今この状況はその反対。非ニュートン流動の一つだと真は拙い科学の知識を何とか絞り出した。
泥沼、即ち個体が力によって一度液状化しまた今固体化している為にこの様な現象が起きている。
つまりは完全な液状化にしてしまえば何とかなりそうだと真は考えた。
「しかしな……どうす――――そうか、ルナ!泳げるか?」
「えっ!へっ、は、はいぃ」
ルナは魔導師とやらだ、信じがたい事だが実際に水そのものを操り試験官のハイライトと戦っていたのをこの目で見ている。
もしルナが水を自在に操れるとしたらどうか……この辺り一体を泥水化出来るのではと真は考えたのだ。
「ルナ、魔導師なんだろ。この辺一体を水辺にしてみろ、行けるか?」
「えっ!へっ!?」
ルナは困惑した表情を真へと向ける。
だが真は真剣そのもの。
手加減して余計な泥沼を生成してはかなわない、最悪の場合呼吸困難視界困難だ。
ならばいっその事この辺りを池か湖にしてしまう方がいいとそう判断したのだ。
「シン様、ど、ど、どうすればぁっ!」
「いいかよく聞けよ、お前の作った水でその泥沼を水溜まりに変えるんだ。大量の水がいる、体が緩んだらそのまま泳げ!」
「へぇえっ!?」
ルナの困惑仕切った言葉を他所に真は考えた事をとにかく伝える。
いざと言う時の為に自分は地面のしっかりしている所まで後ずさりながら。
「し、シン様ぁ!何か離れていってませんかぁ!?置いていかないで下さいぃ」
「大丈夫、お前なら出来る。英雄の連れだろう!」
「……はっ!そうでした……私は、こんな所で立ち止まるわけには…………水の魔力マナよ、力を貸して」
ルナはあっさりと真の言葉を真に受け、半身を泥沼に沈めたまま目を瞑って意識を集中させ始めた。
するとルナの周りの泥濘から水が段々と浮き上がってくる。
一瞬、泥水に含まれる水分を吸い上げてしまっているのかとも考えたがどうやらそうでもないらしい。
ルナの周りの泥は段々と緩くなって行き、水面に波を立てる程になっていた。
万が一泥水の水分を引き上げてしまったとしたら余計に動けなくなる可能性を危惧しただけにその光景は不可思議よりも安堵を真にもたらせた。
「……あっ、動けっ、ぅぶっ!」
辺りが緩い泥混じりの池に代わった事でルナも自分がその場から少し動ける事に気がついた様だった。
足元も緩くなり多少溺れかけそうになっていたルナだったが、何とか泥池の中をカエルの様に泳ぎ真の無事な地面の所まで来て這い上がる。
「はぁ……はぁ……助かった。さすが、は……シン、様」
ここまでの成り行きをただ傍観していただけの真に対して文句の一つ所か賛嘆する言葉を口にするルナは、泥だらけになったローブを身体に張り付けながら息も絶え絶えの様子でその場にしゃがみこんでいた。
「よくやったな、所でその水の……魔法、か?それで体も洗えないのか?」
口にするのも憚れる不可思議な力、魔法。
そんな言葉を口にする自分に自虐的な笑みを浮かべながら真はルナに体を洗えと提言した。
「……そうですね、それはやった事があるので……魔力マナよ」
そう言うとルナは頭上に水の塊を生成し、それを自らに落とした。
そこまでの量でも無いが、水の入ったバケツをひっくり返した様な状況にルナは元より近くにいた真までもがずぶ濡れとなったのは言うまでもない。
◆
「あ、あの……シン様、怒ってます……?」
「いや?」
あれから再び森を出る頃には夕刻を回っていた。王都に着く頃には夜中になっているかもしれない。
ルナが真に対してそんな事を言うのは自分の魔力マナで出した水が真にぶっかかった事を悔やんでいるからであるが、真はそれに対して別に機嫌が悪い訳ではない。
強いて言うならあの後のラベール花群生地は泥沼に沈み、花の回収が殆ど出来なかった事位な物だ。
結局回収出来たラベール花は二人合わせて二十に満たない。一日分の宿代にもならないこの仕事を実際にこなしてみて改めて一攫千金を狙う人間の気持ちが分かった様な気がした。
「あの……次は、獸とか魔物とか相手にしますか?……その、シン様ならきっと余裕ですっ」
ご機嫌取りか、否ルナならば本気でそう思っているのだろう。
「でもお前はその獣と仲間、なんだろう?仲間を殺してその皮を剥ぐのか?」
標的を魔物とやらに絞るならば別に構わないのだろうが、ルナにとって獣とやらが一体どう言った立ち位置にいるのかその辺りを一度聞いておきたかった。
真自身もそこまで意地で獣を狩って金を稼ぎたい訳でもない、あくまで日々の生活に困らなければいいのだ。
何なら何処かの店舗に直談判して住み込みで働かせて貰う事すら考えている位だ、王都の城下町ならそれも叶う様な気がしていた。
「仲間……と言うか、たまたま気が合えばそうなる事もあるってだけですよ。気性が荒い子もいますからその時は獣達が嫌がる音の指笛を鳴らします、指笛も音の鳴らし方で色々ありますから……村では仲良くなってからその獣を生活の糧にする風習もありますが、私はどうにもそれが……その、苦手で」
とてつもない文化だと真は感じた。
地球でも養殖した生物を食うと言う概念もあったが、それでも意思疏通がそこまで出来ていないからこその処遇だろうと真は思う。
ならば意思疏通が完全に出来る状態でその獣をその手で殺めると言うのは友人を殺して食うと言うような考えになるのではないか、鬼畜の思考だ。
「苦手で、いいんじゃないのかそれは。不思議な村だな、彼処は」
「……そう、ですかね。私の母もあまりそう言うのが好きでは無いようでしたから、私も似てしまったのかもしれないですね」
柑子色の夕陽が王都の城下町を染め上げる。
まるで舞台上の役者にスポットを当てるかの様だ。
遥か向こうの山々の空は既に夜の蚊帳が下り始め、時刻の進みを感じさせた。
「……魔物なら、まぁいいか」
「え、あ、シン様、別に私の事は気にしないで下さい!もうバンバン獣を斬って斬って斬り散らかして下さいっ、私はシン様の行動は正義だと感じていますのでっ」
「……俺はそこまで狂ってない。早く帰るぞ、その格好じゃ風邪を引く。そもそもそれも魔力マナとやらで乾かないのか?」
人を快楽殺人犯の様に言うルナの濡れた服を指さし真はそう言った。
正直な所、服が水で濡れてルナの身体に張り付き透けているのだ。
中には朝方見たようなキャミソールを着ている様だがそれもあまり役に立っているとは言えない、真はずっとそんなルナに対して目のやり場に困っていたのだった。
「……え、ひぁぁああっ!!み、見ないで下さいっ!シン様ぁっ!」
「今頃か……」
その後喚き散らすルナを必死で説得し、風の魔力マナとやらでその衣服を乾かす手伝いをしてやった真だったが、羞恥からか風を上手く操れず突風を巻き起こすルナをいい加減ひっぱたいてしまったのはここだけの話である。
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