帝国の鬼と呼ばれる騎士 皇女の世話係となる

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第3章 鷲の刺繍と父娘の時間

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鷲の刺繍と父娘の時間

馬車での新たな日常

帝国の朝は、清々しい陽光とともに始まる。宮殿の庭園を抜ける風が、朝露に濡れた草花の香りを運び、馬車の車輪が石畳を軽く叩く音が響いていた。帝国学院初等科への登校の日々が、第一皇女セレナ・フォン・エルドラドとその世話係、アレン・クロウにとって新たな日常となっていた。

アレンは、近衛騎士団から後輩のトマス・ヴァルディを護衛として連れてきていた。トマスは伯爵家の次男坊で、20歳そこそこの若者。金髪に人懐っこい笑顔が特徴で、剣の腕もなかなかのものである。彼はアレンを「アニキ」と呼び、近衛騎士団の中でも珍しくアレンに心から慕う存在だった。馬車には通常の護衛も付いているが、万が一の事態に備え、アレンはトマスを同行させた。

馬車の扉が開き、セレナが小さな体を滑り込ませる。彼女の金色の髪は朝陽に輝き、青い瞳は静かに窓の外を見つめていた。アレンが馬車に乗り込むと、トマスが元気よく挨拶した。

「セレナ様! トマスと申します! 今日から護衛を務めさせていただきます!」

セレナは無言で、ほんのわずかに会釈をした。その仕草は控えめで、まるでそよ風に揺れる花のようだった。トマスは少し気まずそうに笑い、アレンに視線を向けた。

「アニキ、皇女殿下ってホントに大人しいんだな」

「当たり前だろ。セレナお嬢は帝国の至宝なんだから、騒がしくするわけねえよ」

アレンはそう言いながら、セレナに柔らかく微笑んだ。彼女は無言のまま、膝の上の小さなカバンをぎゅっと握っていた。

馬車は宮殿の門をくぐり、帝国学院初等科へと向かう。道中、アレンとトマスは軽い雑談を交わし、セレナは静かに外の景色を眺めていた。馬車の揺れとともに、彼女の小さな肩がわずかに揺れる。学院に到着すると、アレンはセレナを馬車から降ろし、校門まで送った。

「お嬢、行ってらっしゃい。昼すぎに迎えに来るからな」

セレナは小さく頷き、学院の建物へと消えていった。アレンはその背中を見送り、トマスに軽く肩を叩いた。

「よし、トマス。俺たちは一旦戻るぞ」

「了解、アニキ! でもさ、皇女殿下ってホントに天使みたいだな!」

「だろ? だから俺たちがしっかり守るんだ」

二人は馬車に戻り、宮殿へと引き返した。

学院からの帰り道

昼すぎ、アレンとトマスは再び学院の前に馬車を停め、セレナを迎えに行った。校門から出てくるセレナは、朝と変わらぬ静かな佇まいだったが、その小さな手に握られたカバンが少しだけ重そうに見えた。

「お嬢、今日は何の勉強をしたんだ?」

アレンが気さくに尋ねると、セレナは無言でカバンから一冊の教科書を取り出した。算術の教科書だ。表紙には、帝国の紋章とともに、簡単な数式が描かれている。

「ほう、今日は算術を勉強したのか? 数字は得意か、お嬢?」

セレナは小さく頷き、教科書をそっと閉じた。アレンはその様子に満足げに笑い、馬車に乗り込むよう促した。

そんな日々が続いた。毎朝、馬車で学院へ送り、昼すぎに迎えに行く。アレンはいつも「お嬢、今日は何の勉強をしたんだ?」と尋ね、セレナは無言で教科書やノートを見せる。それが二人の小さな習慣となりつつあった。トマスはそんなやり取りを横で見ながら、時折「アニキ、皇女殿下ってホントに可愛いな!」と茶化しては、アレンに軽く頭を叩かれていた。

鷲の刺繍

ある日の帰り道、アレンはいつものようにセレナに尋ねた。

「お嬢、今日は何の勉強をしたんだ?」

セレナはこれまでと同じようにカバンを開けたが、今回は教科書ではなく、丁寧に折り畳まれたハンカチを取り出した。白い布地に、細やかな刺繍が施されている。青と金の糸で描かれた模様は、力強く羽を広げる鳥のようだった。

「ほう、今日は刺繍を習ったんだな。すげえ上手じゃねえか!」

アレンは目を輝かせてハンカチを手に取り、感心したように眺めた。トマスも興味津々で覗き込む。

「これは鳥ですか? すげえ細かいな!」

セレナは小さく首を振った。トマスが目を丸くする。

「え? 鳥じゃない?」

アレンはトマスの足を軽く蹴り、呆れたように言った。

「バカか、トマス。これは鷲だろ!」

トマスは「えー!」と声を上げ、足をさすりながら反論した。

「鳥じゃないですか! 鷲も鳥っすよ、アニキ!」

「細けえこと言うな! これは帝国の象徴、鷲だ。なあ、お嬢?」

アレンはセレナに視線を向け、にやりと笑った。セレナはハンカチを手に持ったまま、ほんのわずかに微笑んだ。アレンはその笑顔に気を良くし、続ける。

「これは旦那……いや、陛下の鷲だな。見事だよ、お嬢。陛下にプレゼントしたらどうだ?」

セレナの青い瞳が、突然大きく見開かれた。彼女はハンカチを胸に抱き、珍しく口を開いた。

「お父様……喜んでくれるかな?」

その声は小さく、恥ずかしそうだったが、確かに彼女の心からの言葉だった。アレンは一瞬驚き、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「もちろん喜ぶさ! 陛下は今日、執務室にいるはずだ。行ってみようぜ、お嬢!」

セレナの顔に、ほのかな期待の光が灯った。彼女はハンカチを大切そうに握り、アレンの手をそっと取った。トマスが「アニキ、さすがっす!」と親指を立てるが、アレンは軽く睨んで黙らせた。

皇帝との再会

宮殿に戻ると、アレンはセレナを連れて執務室へと向かった。セレナの手はアレンの手をぎゅっと握り、その小さな指先に緊張が伝わってくる。宮殿の廊下を進む途中、護衛の兵士たちが何度か立ちはだかったが、アレンは堂々とした口調で告げた。

「皇女殿下が陛下にお目通り願う。道を開けな」

その言葉と、アレンの鋭い視線に、兵士たちは一瞬躊躇したものの、すぐに道を譲った。本来なら、皇帝への謁見には厳格な手続きが必要だ。だが、アレンの威圧感と、セレナの存在感が、規則を一時的にねじ曲げていた。

執務室の重厚な扉の前で、アレンはセレナを見下ろし、優しく言った。

「お嬢、中に陛下がいるよ。ハンカチ、渡してきな」

セレナは小さく頷き、ハンカチを胸に抱えたまま、扉の向こうへと進んだ。彼女の小さな声が、扉の隙間から聞こえてくる。

「お父様……セレナです」

数分後、執務室から皇帝の声が響いた。

「アレン、いるのだろう? 入れ」

アレンは扉を開け、執務室に足を踏み入れた。そこには、皇帝ヴィルヘルム三世が玉座に座り、その膝の上にセレナがちょこんと座っていた。セレナの顔には、いつもの控えめな表情ではなく、満面の笑みが浮かんでいる。皇帝の手には、セレナの刺繍したハンカチが握られていた。

「陛下、喜んでくれたみたいですね」

アレンはにやりと笑い、皇帝を見上げた。ヴィルヘルム三世は、父のような温かい眼差しでセレナを見つめ、ゆっくりと頷いた。

「素晴らしい贈り物だ、セレナ。父は誇りに思うぞ」

セレナの頬がほんのり赤らみ、彼女は皇帝の胸にそっと身を寄せた。その姿は、まるで普通の父と娘のようだった。皇帝はアレンに視線を移し、軽く笑った。

「ちょうど良い。茶にしよう。アレン、お前も付き合え!」

アレンは一瞬驚き、すぐに敬礼した。

「了解しました、陛下!」

執務室に運ばれてきたのは、香り高い紅茶と、帝国の菓子職人が作った繊細な焼き菓子だった。セレナは皇帝の膝から降り、小さな椅子に座って紅茶を手に持つ。彼女の笑顔は、まるで宮殿の天使そのものだった。アレンはその様子を眺めながら、胸の奥に温かいものが広がるのを感じた。

絆の深まり

茶の時間が終わると、セレナは再びアレンの手を握り、執務室を後にした。廊下を歩きながら、彼女は小さく呟いた。

「アレン……ありがとう」

その声は、いつものように小さかったが、そこには確かな感謝の気持ちが込められていた。アレンはセレナを見下ろし、優しく笑った。

「どういたしまして、お嬢。これからも一緒にいろんなことしようぜ」

セレナは小さく頷き、その小さな手に少しだけ力を込めた。戦場の鬼と宮殿の天使。異なる世界に生きる二人の間に、確かな絆が芽生え始めていた。
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