殿下、契約を致しましょう。

夏角しおん

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中編

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ロザリンド・フォークロア公爵令嬢は王太子殿下の婚約者である。
同い年の両者が婚約を結んだのは、7歳の時だ。顔合わせの時にはすでにロザリンドは明晰な頭脳の頭角を現しており、王妃陛下にいたく気に入られたと言う。
しかし、それに反比例するかのように当人であるギルバートからは不興を買っていた。小賢しく張りぼての知識をひけらかす可愛気のない女として、婚約者としてはあり得ないほどの冷遇をされてはや十年。
その集大成ともいえる振る舞いが、今目の前で進行している断罪劇であろう。今は王太子となったギルバート第一王子は腕に小柄な令嬢をぶら下げ、取り巻きを侍らせて意気揚々とロザリンドに婚約破棄を宣言していた。
「衛兵。この女狐を拘束せよ!」
王太子の言葉が引き金となり、一斉に衛兵が動いた。ロザリンドではなくギルバートを取り押さえる彼らを視界に、公爵もまた娘の隣に移動する。そっと手渡された羊皮紙を受け取り、心得ていると言う風に頷いて見せた。
「何をしている。殿下に不敬であるぞ!」
「衛兵どもが、気でも狂ったか!!」
王太子の制圧に驚いた取り巻きが衛兵に掴みかかるが、用心の為にこの日に選ばれた精鋭たちを前に成す術がない。
取り巻きの一人は騎士団長の息子であったはずなのだが、実戦経験もない貴族剣技で慢心する小僧など、彼らにとっては物の数ではなかった。
「契約書第7条。甲および乙は互いに協力して信義を守り、誠実に本契約を履行する努力義務を負う。これらがやむを得ぬ事情、或いは、甲或いは乙の一身上の都合によって婚約の解消或いは破棄を望む場合は、それを望む本人(以下申出者と呼ぶ)がその旨を相手方本人(以下当該者と呼ぶ)及び保護者に遅滞なく報告する義務を負うものとする」
羊皮紙を広げた公爵が朗と声を張る。学生には馴染みのない文章に、パーティーの出席者たちも虚を突かれた表情で聞き入った。
どうやら文言こそ堅苦しいが、婚約をやめたい時は相手や保護者にちゃんと相談せよと言いたいらしい。
「報告なき場合は申出者が一切の責務を負い、賠償に応じる意思があると見做す。ただし、暴動、スタンピード又は地震、洪水等の天災その他不可抗力による他、申出者が善良なる履行者としての努力を怠らなかったと認められる場合は、この限りではない」
「突然何を…」
「第8条!」
戸惑いながらも声を上げた王太子の言葉を、公爵が遮るように続きを読む。普通であれば不敬だが、その場にいた誰もがそれを指摘する丹力を持っていなかった。
「前条に反し、且つ、法廷を通さずして申出者が一方的に本契約を破棄、或いは解消、撤回し、更に当該者に罰を与えると宣言した場合は、その時点を以て当該者は申出者の持つ全ての権限を一時停止させ、法廷による事実確認を要求することができる! 行使を妨害する者、及び社会通念上申出者と目的を同じくすると類推し得る者が居た場合、貴族平民に関わりなく同様の措置を執行できるものとする。この権限停止は、法廷による判決が確定する時点をもって解除される!」
「つまり、法廷を無視して私刑に至ろうとした時点で、貴方の権限は一時的に停止されたのですよ。王太子殿下」
父親の朗読に繋ぐ形でロザリンドが纏める。
ついでにどう見ても仲間としか思えない取り巻きや男爵令嬢を拘束する権限も、今の自分は持っているのだと告げた彼女は、隣に立つ父親ですら後退りたくなるほどの笑みを浮かべて見せた。
「この契約書をお忘れですか、殿下」
気を取り直した公爵が広げて見せる羊皮紙に、王太子は頓狂な表情を晒している。
忘れているのだろうなあ、と公爵は思う。自分だって忘れていた。昨夜、王太子の不貞に関する膨大な証拠を纏め終えた後に娘が言い出すまでは、金庫の奥に仕舞い込んだままの契約書の存在など綺麗さっぱり忘れていたのだ。
「婚約を結ぶ際に、娘があなたと交わした契約書ですよ。初めてのサインをなさったでしょう」
「あったかも、しれない…だがそんなもの、子供の作った物であろう!」
「いいえ、無効にはなりません。子供が作ったものとはいえ、宰相である私が監修したのです。更に言うなら、保護者である私と国王陛下が承認のサインをしているのですよ」
確かに原本は子供の作ったものだ。だが同じ文面の物を全部で三通作り、全てに両家の長が承認のサインをしている以上、それは両家が交わした正式な契約書として扱われる。
この国の契約にまつわる法律で、本文を書いた者が子供であれば無効になる、と言う文言は存在しないのだから。
「殿下。貴方は貴方個人の都合で本契約を反故にしようとなさった。そしてその場合義務とされている手続きを、何一つ行おうとしなかった」
「違う! 婚約破棄はあくまでおまけだ! 私は愛しいマリアを害そうとした悪辣な女狐を成敗しようとしただけだ!」
おまけだろうと何だろうと、婚約破棄を謳った以上は契約書が物を言うのは当たり前だ。しかも不貞を堂々と認め、法廷を通さないと私刑の宣言の後に、ご丁寧に王太子権限を不当に使って公爵令嬢を投獄しようとした。
やってはならない事をここまで重ねた事例も珍しい。言われた時は半信半疑だったが、この契約書が必ず必要になると断言した娘は正しかった。
よもや次世代の王権を担う若者達が、ここまでの阿呆揃いであったとは。
国家の将来を憂いて嘆息する父を尻目に、取り押さえられて床に伏す王太子と男爵令嬢、それに取り巻きである侯爵家嫡男やら騎士団長の二男やら魔術師団長の甥やらを睥睨したロザリンドは扇を開いて微笑んだ。
但し、目は笑っていなかったが。
「では皆様、個室をご用意しておりますのでそちらにどうぞ。開廷までごゆっくりおくつろぎくださいませね」
「ちょっと待て、開廷まで拘束する気か!」
それでは準備すらできない。余りにアンフェアではないかと噛み付く侯爵家嫡男に、ロザリンドは動じる気配もない。
「今日の断罪劇に備えて、充分に準備をなさっていらしたはずでしょう。先ほど殿下が提示された『動かぬ証拠』とやらは、責任を持って提出いたしますのでご安心なさって下さいまし」
聞いている限りでは、大人たちの行う裁判には到底耐えられないお粗末なものではあった。
だがそれを以て断罪に踏み切ったのなら、それが彼等の最善、全力であったと解釈されるべきだろう。例え男爵令嬢1人の曖昧な証言の羅列であろうと、確認もしなかった存在証明が文句の付けようもなく証明されたとしても。
弁護士? その道の専門家? 不要と判断したのは彼等であって、決してロザリンドではない。
「くっ…まあいい。法廷での戦い、受けて立ってやろうではないか。公の記録は勘弁してやろうとの温情であったが、愚かにも無駄にしてしまったようだな!」
高らかにそう言い放った王太子は衛兵に挟まれて、この世の終わりもかくやとばかりに蒼白になる取り巻き達を引き連れて退場する。それから一つ息をついたロザリンドが、父と共に後に続いた。
「では皆様、お騒がせ致しましたことお詫びいたしますわ。どうぞ最後までお楽しみくださいませ」
いや無理です。
そう言いたい気持ちで一杯の卒業生たちを残し、父娘は颯爽と退場したのであった。
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