セディ、君と生きよう

明方夜子

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1.雨の夜

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 その日は季節外れの冷たい風が吹いていた。

 前日まではうんざりするような暑さの中畑仕事をしていたウィルだったが、その日は衣装箱の奥から羽織りを一枚引っ張り出してこなければならないほどだった。
 案の定、午後には黒い雲が立ち込め、夕餉の時間には小雨が降り始めた。あと少しもすれば、土砂降りになるだろう。

 黄ばんだシャツについた土を払いながら、ウィルは夕方の仕事を終えると自宅へ戻り、食事の支度をした。
 二階建ての一軒家に、今は一人で住んでいる。一見立派な建物だが、あちこちがたがきていた。二階は雨漏りもするが、修理する金も人手も無い。

 ウィルは四十を越えた男やもめだ。すらりと通った鼻筋に水色の瞳、少し厚い唇は、この土地の人間によくある造作だった。
 背丈は平均より少し高い程度で、かつて鍛えた体は加齢とともにたるみ始めている。
 若い頃人目を引いたブロンドヘアーもくすみ、手入れをする余裕の無さからごわついていた。

 しかし、それを気にする人間は最早この町にいない。

 ひびの入った椀によそった薄いスープを啜りながら、ウィルは窓に目をやった。人の気配があった気がしたのだ。
 立ち上がり、格子戸をずらして外の様子を覗く。しかし人影はおろか、強まり始めた雨のせいで一メートル先も見えない有り様だ。

 緊張を解き、窓を閉めて再び席についた。
 そんなわけないか、と心のなかでひとりごち、ふっと笑う。
 こんな、住人が十もいないような集落へ夜更けに訪れる者など居るはずもない。近頃は獣すら滅多に姿を見せないのだ。

 数千年前にギレアム山に封印されたはずの魔王が復活してから、もうすぐ四半世紀が経つ。
 一気に増加した魔物、禍々しい瘴気によりウィルの知る世界は変わり果ててしまった。

 ウィルの子供時分には大勢が住み、映画館もあるほど栄えたこの地は、元はギレアム山への観光の拠点となる宿場町だった。
 魔王の復活と共に瘴気の影響を真っ先に受けた町はみるみる衰退し、今や移住に難のある足の悪い年寄りが数名と、町長であるウィルが残るのみである。

 若い頃にはウィル自身も魔王を討伐せんと王都の騎士団へ入団したが、戦闘で膝を痛めて数年でこの町へ帰ってきた。
 ちょうどその頃に幼馴染が夫君を失い、幼い双子を抱えて途方に暮れていたところを、幼馴染の父である前の町長の計らいで再婚する運びとなった。
 どうにか二人の子供を育て上げたが、妻には十年前に先立たれている。

 騎士団へ入り立派に務めを果たしている息子と、王都に近い町で魔術教師として働く娘からは町を離れるよう手紙が届くが、亡き義父から受け継いた町長の責だけでなく、残った年寄りを置いていけるウィルではない。

 衰退するだけの、さびれた町だ。こんな夜更けに誰が訪れようというのか。
 昼間ですら、年寄りのため月に一度、隣町から医者が往診に来る程度である。同時に運ばれてくる配給が無ければ食いつなぐこともできない、貧しい場所なのだ。

 ウィルが育てている野菜とて、百の種を巻いて十育てば良いほうだ。
 それも、今夜の雨の勢いによってはだめになってしまうかもしれない。
 せっかく実がつき始めたところだったが、仕方がない。いつものことだ。紫色の雲に覆われ、滅多に日も差さないような場所で芽を出してくれただけでも有り難い。

 魔王はますます勢力を伸ばしているという。
 この町も、王都の術師が施してくれた結界がなければ既に魔物に侵食されているはずだ。もし結界が破られたら、その時は町と共に滅びるしか無い。

 応戦しようにも、膝を悪くしたウィルには剣術の腕を活かすことができない。
 騎士団で魔法の訓練もしたが、攻撃魔法には適性がなく、治癒魔法は切り傷を塞ぐ程度のものしか身につけることができなかった。
 子供が幼い時分には重宝したが、妻の病を治すには能わなかった、その程度のものだ。

 炭で炙ったパンを口に運ぶ。雨が激しくなってきた。
 集落の年寄りたちは眠れているだろうか。夕方にそれぞれ戸締まりを確認し、食事の様子も見てきたが、後でもう一度見回りにいくべきかもしれない。

 頭の中で算段をしていると、今度ははっきりと音が聞こえた。
 びしゃ、とか、どしゃ、とか、とにかく重いものが水たまりに落ちるような音だ。

 ウィルは椅子を蹴るようにして立ち上がると、土間に立てかけておいた剣を片手に家を出た。
 本当なら駆け出したいところだ。獣であれ魔物であれ、ウィルが初手で食い止めねば町は全滅するしかない。
 音のした方に向かって歩き出す。雨が強く視界が悪いが、この町の中であれば目を瞑っていても歩くことができる。

 隣家を越え、曲がり角へ差し掛かった時、地面にうごめく影が見えた。かなりの大きさだ。
 全身に緊張が走る。頭に、肌に降り注ぐ雨の冷たさも忘れ、久しぶりに血が沸騰するような感覚があった。剣を構え、その影へにじり寄る。
 一歩、二歩、そして――

「ん?」

 ウィルは眉を上げ、剣を鞘に戻した。そうして、鞘の先でその影、もとい塊をどん、と突く。
 黒い塊はぴくんと動いたが、それだけだ。ウィルはぬかるんだ地面の上をそろそろと近づき、その塊の側でしばし立ちすくんだ。

 人だ。

 真っ黒な兜に、同じく黒の胸当て。肌はやや浅黒く、泥にまみれている。
 背格好から見て王都の騎士だろうが、漆黒の鎧というと、思い当たるのは一人しかいない。

 男の側にしゃがみ、顔を覗き込んだ。頬に真新しい傷がある。瞼は閉じ、眉は苦しげに寄せられていた。

「おーい、生きてるか。名前、言えるか」

 傷の無い方の頬をぺちぺちと叩くが、男からは反応が無い。額がひどく熱いが、まだ息はあるようだ。
 彼の足元には背嚢がひとつ落ちているだけで、馬もいなければ、他に足跡も見受けられなかった。一人でここまで来たらしい。

 ウィルは考えを巡らせた後、ため息をひとつついて男を仰向けにした。そうして背後から両脇を抱え、後ろ向きに自宅へ向かってずるずると引きずっていく。

 本当は担ぎ上げてやりたいところだが、生憎膝が傷んでそれは無理だ。この体勢でさえかなり無理をしている。
 石畳と擦れてブーツが傷んだら申し訳ないが、一見して、既に相当傷んでいそうだ。
 確か町の爺の中に革職人がいたはずだ。とっくに引退しているが、ちょっとした修理くらいはできるんじゃないだろうか。
 ウィルの予想が当たっていれば、この男は装備が壊れたからといってぎゃあぎゃあ文句を言うような手合いではないだろう。

 ウィルは火事場の馬鹿力もかくやの勢いで男を引きずりながら、この後訪れるだろう全身の筋肉痛に思いを馳せた。



 両手がじんじんとして感覚が無い。

 どうにか土間に転がした男の側でのけぞり、ウィルはひいひいと浅い息を繰り返した。
 膝はもう動かすこともできないほどで、治癒魔法を発動するため姿勢を整えようとするだけで突き刺すような痛みが走る。

 それでも歯を食いしばり、ウィルは背筋を伸ばすと両手の指先を合わせ、円を作った。
 最も痛む左膝に円の中心を合わせ、呪文を詠唱する。みぞおちのあたりが熱を持ち、それがじわじわと指先にまで伝わってきた。
 そうして詠唱を終えると、熱は膝に移り、ややして痛みが引いた。完璧に治ったわけではないが、ともかく歩くことはできる。

 ウィルは息を整えて立ち上がると、未だ気を失ったままの男を一瞥して玄関を出た。
 激しさを増す雨の中、己の剣と男の持ち物だろう背嚢を拾い上げ、もと来た道を戻る。
 玄関をくぐり施錠すると、途端に寒気がした。いい加減ずぶ濡れだ。

 土間に転がした男はそのままに、部屋へ上がって服を着替えた。濡れた髪も拭き、そのタオルを持って土間へ戻る。
 重たい兜を脱がし、泥に汚れ、雨にも濡れた男の顔を拭ってやると、半開きの唇が震えているのが見えた。
 顔を近づけ匂いを嗅ぐが、毒にやられた様子ではない。装具を外しながら確認したが、皮膚に斑点があるなどの異常もなかった。

 ただ、怪我が多い。
 ここに至るまで幾度も魔物と交戦したのだろう。
 ウィルなど、結界の外は護衛無しに歩くこともできない。魔王復活以来、魔物の数は異様に増えている。

 特に腹を横切る傷は薬草を当て包帯が巻かれていたものの、膿む寸前だ。
 この傷による発熱に疲労と魔力切れが重なり、倒れていたのだろう。ろくに休息も取っていないに違いない。

 傷に障らないよう、ウィルより大柄な体をそろりと持ち上げながら装具を外して下着一枚にしてやれば、筋肉質な青年の体が現れた。
 子供を抱き上げるようにとはいかないが、この程度であればどうにか背負ってやれるだろうか。
 曲がりなりにも騎士団へ所属していた身である。齢四十を越えても、それくらいの力はあるつもりだ。

 ウィルは濡らしたタオルで簡単に男の体を拭き上げると、両手の指で輪を作って男の腹に当てた。呪文を詠唱し十数えると、膿む寸前だった傷がやや赤みを失い、端からかさぶたになろうとしているのが見えた。
 その様子にほっとして、清潔な包帯を腹に巻き、頬の傷も同様に治癒魔法をかけてやった。

 立て続けに魔力を使ったためどっと疲労感が押し寄せたが、まだ仕事は終わっていない。
 ウィルは男の脱力した両腕を己の胸の前で交差させ、背に負ぶって板間へ上がった。台所兼食堂を通り過ぎ、隣の寝室にあるベッドの上へ男の体を横たえてやる。

 ウィルよりも頭一つ分背が高いだろう男は体格に見合った重さをしていたが、何とか落とさず運び切ることができて満足だ。先程の治癒魔法の効果か、膝にもダメージは無いようだ。

 一つしか無いベッドを占領されたが、まあ仕方が無い。ウィルは下着一枚の男へ毛布をかけると、ベッドの脇で男を見下ろしながら、そのこけた頬へ手を伸ばした。

「ゆっくり休めよ、セドリック」

 その時だ。一瞬、男の瞼がぴくりと動いた。気がついたかとしばし様子を見るが、それきり何の反応もない。
 ウィルは誰にともなく小さく笑い、男の頬をそっと撫でた。無精髭の散る、固く荒れた肌だった。
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