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第二章 龍神の決断

8 レリクスの生き方

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1・

宇宙空間では人が生身で生きられる筈がない。それに恒星の傍でもない限り、気温は絶対温度に近いはず。人体は、その中では沸騰すると聞いたことがある。

何より宙に浮くだろうに、そういうのがない。ここは宇宙ではない。

「リュン、あのような者たちと関わるのは止しなさい。もう二度と、貴方を利用させません!」

「か、母さん。本当に、母さんなの?」

普通の猫より少し大きめの、毛の長いトラ猫みたいな姿は、確かに見覚えがあるレリクスのものだ。でも母さんは僕が殺した……。

動揺しながらペンダントトップに触れると、それが破壊されてレリクスの宝石が無くなっていた。

そういえば僕は、どうやってか分からないけれど、心の中で手を伸ばして宝石に触れ、中にいる母さんという存在をこの世に引きずり出した。

夢で見た時と違い母さんは激怒しており、宇宙空間の中の目に見えない床に座り込む僕の前で、息を荒くしている。

「もう龍神でいる必要はありません。お別れしなさい」

「ち、ちょっと待って母さん。僕が母さんを間違って殺してしまったんだ。彼らは何も悪くない。それに僕は、もうレリクスじゃない」

「ならば、この私を生き返らせた方法で、貴方の中のレリクスを復活させなさい。そんな事は、貴方にとり簡単でしょう?」

「ちょっと待って! 僕、母さんを復活……生き返らせたんだ? 本当に?」

前と全く違う母さんは、可愛らしい猫の顔でイラついているように見える。前は死んでしまっていたから怒りを諦めていたのか、もしくは落ち込む僕をただ励ましたかったのか……。

「リュン。全てを生み出す力、それが貴方の神族としての力です。貴方はレリクスであり、神族です。龍神は邪魔です」

「違う。僕の、友人だ。それに僕はバンハムーバ人だ。龍神を崇め、護って生きる民だ。それは邪魔なことじゃない」

にじり寄る母さんから逃げようと、立ち上がり後ずさった。

母さんは怒りながら、その分前に出てきた。

「貴方は利用されているだけです。その力があれば。全宇宙の神にすらなれるのですから、誰が大事にしないで放り出すと思いますか? 私と同じように飼われて、首輪をつけられ、何百、何千、何万年と従属させられるだけです!」

「だけど、僕は彼らが好きだ! 色んな事が出来るなら、その力でみんなを助けたい!」

「そんな感情で動いて、結局騙された者が目の前におりますよ。貴方を、そんな目には合わせません。心優しいリュン、私と共に来なさい」

母さんが必死になって本音を伝えてくるのが分かる。この世界では、心がじかに突き刺さってくる。母さんは本物だし、それに本気で僕のことを考えてくれている。

僕は、また座りこんだ。

「母さん……」

僕は両手を差し出した。

母さんは喜び、僕の懐に入ってきた。

「ほんの少しの作業で済みます。龍神を追い出します」

「いやそれは、ダメだ。僕は龍神だ。そう生まれて来たから、それは僕の一部だ。僕は龍神として生きる」

「その生き方は、貴方の心をズタズタに引き裂くでしょう」

「……かもしれない。でも、僕の大事なものが、既にその中にあるんだ。まだたった一ヶ月だけど、僕の中で一番大事な毎日なんだ」

「リュン、貴方はまだ赤ん坊です。母は貴方のワガママを聞くよりも、安全に立派な大人に育てる道を選びます。さあ!」

「!」

僕に向かって、何かの強い力が放たれた。身構え、力を振り解いて立ち上がると、目の前の母さんがノア様に首根っこを掴まれて片手でぶら下げられていた。

「かっ、母さん!」

「ショーン様、ご無事ですか?」

「えっ、あ、はい」

母さんは、笑顔のノア様に首根っこを掴まれてジタバタもがいている。

「レリクスの女王様、ご無礼をお許し下さい。けれどショーン様の意思を尊重しないのは、いただけません。無理矢理従わせるなど、それこそ貴方が彼を傷つけているではありませんか」

「離しなさい! 人は理想を語りつつも、その手で残酷行為を続けてきた存在です! 私がいま息子に無理強いするよりも数万倍も酷いことを、貴方がたは為してきたでしょうに!」

「それは、その通りです。けれど私は麒麟です。私は人を癒やすために生きる生命体です。そのような者もいると、博識の貴方はご存知でしょう?」

「確かに。けれど貴方は私を捕まえております」

「これは申し訳ない。貴方がショーン様を傷つけようとするからです」

「……」

母さんは黙り込んだ。

僕は、伝えなければいけない事を伝えようと思った。

「母さん、僕はもう一人……いや、大人として、自分の道を決められる年齢だよ。僕は、色々と大変だけど、龍神としても生きていくよ。今はそうしたいんだ」

「聞いておりましたが、それはあの龍神がもう死ぬから、同情して後を継ぐ気なんですよね? それは己のためになりません。バンハムーバ人のために生きる必要などないというのに、何故それにこだわりますか」

「だ、だって僕、みんなの事が好きだ」

「好きなどと下らない感情に振り回されると、傷つくんですよ! いくら良き者としても、所詮は他人です! 貴方はいつか捨てられます!」

「それでもいいよ。僕は、今は彼らと一緒にいたいんだ」

「そういった感情が、身を滅ぼすのです!」

「女王様、貴方は私と共にいらして下さい。貴方の心は、大変疲れ果てています。ミネットティオルにて治療いたしましょう」

「それは出来かねます」

「もしショーン様が逃げなくてはいけなくなった場合、隠れ家をどこにされるおつもりですか? 貴方は次元の狭間で平気でも、ショーン様は人の暮らしがある場所でないと、飢え死にしてしまいます」

「……!」

「ミネットティオルに居を構えれば良いですよ。その場所の提供をいたしましょう。それにレリクスの貴方が傍にいれば、貴方を狙う敵がショーン様も害します。下手に姿をさらし、貴方が復活したと報せて敵をおびき寄せないためにも、貴方は離れているべきです」

「……」

母さんは、シュンとした。

「母さん」

僕は呼びかけ、身をかがめて母さんに触れた。

「僕は、バンハムーバの人たちに護ってもらえるから、大丈夫だよ。それに人として勉強しないと、僕は常識のないお馬鹿さんのままなんだ。学校に通わせて下さい」

「…………分かりました。今しばらくは、貴方の傍から離れていましょう。しかしレリクスの宝石を狙う者が、バンハムーバに襲撃してきますよ。私が居らずとも、リュンは狙われるでしょう」

「何故僕が? 味方以外に、僕がレリクスだとはバレてないよ?」

「敵に……力を持つポドールイ人がいる場合、情報などいくらでも盗まれます。レリクスの宝石の所有者だったというだけでも、情報目当てに狙われるでしょう。そして神族としても狙われ、龍神としても狙われるでしょう。リュンの人生は、本当に前途多難です」

「……うん。でも僕、みんながいるから平気だよ」

「それは今だけです。いずれ疲れ果て、逃げ出します。その時のために……私はこの王と共に、ミネットティオルに渡ります。全てが嫌になれば、私のところに来なさい」

「分かった。そうするよ。母さん……本当に、ありがとう。母さんの暖かい心、大好きだ」

僕が笑いかけると、母さんは戸惑ってから、猫の笑顔のようなものを見せた。

ノア様は、母さんをちゃんと抱きかかえた。

「女王様の身の安全は、私の命に賭けて保障します。ショーン様は、貴方の人生を楽しんでらして下さい」

「はい。ノア様、母がお世話になります。よろしくお願いいたします!」

ぺこりと頭を下げると、ノア様も母さんもより笑ったように見えた。

「では、クリスタに帰りましょう。女王様は、隠れていてください」

ノア様が言うと、母さんの姿が彼の腕の中から消えた。でも、傍にいる気配がする。

そして次の瞬間に、さっきまでいた中央神殿のテラスに戻っていた。

イラつきながら待っていたロック様が、僕らに気付いて椅子から立った。

「良かった。無事だったか……いや、無事なんだろうな?」

ロック様は不安げに僕とノア様を見た。

僕は泣きそうになった。

「ロック様、母は、僕を護ろうとしてくれただけです。悪くは……良き者なんです」

「それでも、龍神で無くしてしまえる力の持ち主と消えられると、こちらとしては生きた心地がしない。あ……いいや、そうじゃないな」

ロック様は周囲を見回しながら、僕らの傍まで急いで来た。

「今ならまだ間に合う。君の母さんが復活したと知られない間に、どこかに隠せ。それで、ショーンが望まないなら、龍神で無くしてもらえ」

ロック様がそれを言うとは思わず、驚いて何も言えない。

代わりに、ノア様が喋ってくれた。

「その問題は時空の狭間で、私が解決してきました。ショーン様は、龍神であることを望みました」

「ああ、そうか。でもショーン……本当に、龍神で良いのか? 俺が居なくなって、一人で……エリックはいるが母星だし、一人でクリスタという星を守護しなくてはいけなくなる。すぐに学校を離れ、神殿暮らしになるかもしれない。エリックが身元引受人になり、母星に行かなくちゃいけない事になるかも」

ロック様は一気に喋り、ここで自分の頭をガシガシ掻いた。

「とにかく全部引っくるめ、人生が龍神に乗っ取られる。この人生は過酷だぞ。同情だけで選ぶものじゃない。君は沢山のものを背負いすぎているから……本当に、龍神でいたいかどうか、もう一度よく考えてくれ。しばらくは君の母さんのことは秘密にしておくから、考えた後で返事をくれ」

「ロック様……」

僕は、こんなに良い人の後を継げるなら継ぎたいと思う。でもきっと、もっと考えた方が良いんだろう。

「分かりました。僕、もう少し考えてみます。……ノア様、その……今しばらく、ここにいれますか?」

「一度星国に帰らなくてはいけませんが、アデンとミネットティオル間の大規模召喚門を通れば片道三日で済みます。御用があれば、召喚して下さい」

「召喚……はい。そうします。ありがとうございます」

また頭を下げると、ノア様は微笑んで首を横に振った。

「龍神になるなどして国家を背負う者は、そうして深く頭を下げてはいけません。貴方ではなく、バンハムーバ王国が他国の私より下にいるように思われますので」

「えっ、でも、礼儀としては、感謝する時は、したくて……」

僕は、ふんぞり返っているのは性に合わないなと思った。

しょぼんとすると、いつの間にか隣にいたイツキが顔を覗き込んできた。

「イツキ……僕、イツキと離れたくない」

「あっ、はい。そうですか」

「ずっと友達でいたいんだ。龍神で無くなっても、もしポドールイ人さんたちの国に渡っても……一緒にいたい」

「友達としては、一生お側にいますよ。遠くにいても、スマホがあれば毎日電話できますしね。メールでも良いですよ」

電話して良いんだと思うと、安心できて涙が出てきた。

もう喋れずに泣くと、イツキは僕の手を取り握りしめてくれた。

それが嬉しくて、もっと泣いてしまった。

2・

しばらくして泣き止み、家に帰ることにした。

みんなで神殿内の廊下を歩いて、政府機関の建物がある方に向かっていると、突然に声をかけられた。

「どうも、三日ぶりですね。三人目の龍神様」

ふと見ると、いつも神殿兵さんたちが護っている扉が少し開いていて、そこに三日前に猫カフェで会った補佐官さんがいた。

「あ、どうも……」

ここにいるからには本物のユールレム王国の重要人物なんだろうなあと思いつつ、返事をした。

「ロック様。貴方に親書を届けに参りました。ここから先に立ち入ってもよろしいですか?」

「……」

ロック様は、僕をチラリと見た。

「入りたいのでしたら、どうぞ」

「済みませんね」

本当は部外者立ち入り禁止区域なのだろうか。補佐官さんは許可を貰うと嬉しそうに、僕らのいる廊下に入ってきた。

「これは補佐官長代理が作成した親書です。ここでパッと読んで、返事を頂けませんか?」

「補佐官長代理って、フリッツベルクさん、貴方ですよね?」

「そうですが、内容は中央からの簡単な頼み事ですよ。どうか、寛大なお心で許可を下さいませ」

何か楽しそうな彼は、ロック様が親書を立ち読みし始めると、僕を見てニッコリ笑った。

「三人目の龍神様。お名前は何と仰いますか?」

「あ、し──」

「まだ公開されていません」

イツキが僕らの間に割って入って、キツい口調で告げた。名乗ったらダメなのか。

「ショーン様ですよね?」

知ってるじゃん。

「いや、呼び名は変えますよ。その名は使わないようにしてください」

ロック様が手紙を読みつつ、そう言った。

僕、龍神としては別の名を名乗るようだ。

それは、ショーンとして今まで通りに学校に通い続けられるように本名を隠してもらえるとか、そういう意味なんだろうか。

「では、第三の龍神様。このフロエア・フリッツベルクと今後とも、末永くお付き合い下さい」

フリッツベルク……さんは、イツキの向こうから僕に向けて手を差し出したんだけど、イツキがそれを無情にも押して取り下げさせた。

何故、彼の扱いが雑なんだろう?

不思議に思っていると、ロック様が少し唸ってから言った。

「この申し出については、許可しましょう。しかし細かな手続きは、出来るならばそちらで行って頂きたい。あそこは公立ではありませんから」

「ありがとうございます。手続きは私が行いますので、そちらのお手間を取らせる事はありません」

「そうされて下さい。では、紙媒体で許可証を発行しましょうか」

「よろしくお願いいたします。明日によろしいですか」

フリッツベルクさんは、イツキにギューッと押されても動じずに笑顔で言った。

「ええ……作っておきます」

何故か、そう答えたロック様の疲れが一気に増したように思えた。

「明日にまた」

フリッツベルクさんは軽く頭を下げて、踵を返して行ってしまおうとして……すぐクルリと振り向いた。

どこに隠しておいたのか薔薇の花束を僕に向けて突き出してきたけれど、それをイツキとロック様が本気で押し返して、扉の向こうにやってしまった。

「せめて受け取って下さいよ、お嬢さん!」

「却下!」

ロック様が叫ぶと、扉の向こうのフリッツベルクさんは、文句を言いつつも諦めて立ち去ったようだ。

イツキとロック様は、暗い表情で僕の前に戻ってきた。

「ショーン様、彼が来た時は警戒されて下さい。いざとなったらぶっ飛ばして逃げて下さい。絶対ですよ? 良いですね?」

イツキが必死だ。

「何故?」

「な、はあ、その。彼はどうやら、ショーン様を女子だと思っているようですから」

「…………ん?」

そういえばさっき、お嬢さんと言った。あれ、僕のことか。

「わ、分かった。逃げる。でも、ユールレム王国の補佐官さんっていう、お偉いさんなんだよね?」

「ええ、まあ、今はあれでも以前はポドールイの国王でしたので、能力的には抜群なんです。その分、賊になったら恐ろしい存在です」

「賊っていうより、愉快な人に見えたけど。それに町中で水を止めたりして頑張ってたじゃないか。いい人じゃ?」

「……その、表向きはですね。とりあえず、二人っきりにはならないようにご注意を」

「……うん」

色々あるんだな、って思った。

そして今さら、自分が仮面と龍神衣装を身につけていると気付いた。

なのに三日前に会った僕と分かったって事は、やっぱり凄い人なのか……?
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