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Side: イリーナ

3>> おもいでばなし 

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「いつ見てもこの庭園は美しい」

 ディオルドがロデハン家の庭園を見渡して溜息をつく。

「母が喜びますわ」

 一年中いつでも花が見れる様にと作られた庭園はいつ来ても花が溢れている。その中をゆっくりと歩き2人が足を止めた場所には緩やかに大輪の白い花が咲き誇っていた。
 その花をディオルドは見つめる。

「……この花をネミニアは自分の庭でも咲かせようと頑張っていたんだ。でもどうにも上手くいかなくてね……今年は咲きもしてくれていないんだ……何が違うのかなぁ……」

 花を見ながら呟く様にそう言ったディオルドの顔をイリーナは見上げる事が出来なかった。

「……母に、一度見に行ってもらってはどうでしょう?」

「夫人の手をわずらわせては悪いかと思ってね」

「母はむしろ喜びますわ。人の家の庭園を見て、わたくしならこうするのに、ってよく言っておりますもの」

「なら頼んじゃおうかな……」

「フフ、母も喜びますわ」

 そう笑って、やっとイリーナはディオルドの顔を見た。ディオルドは眉尻を下げて笑っていた。
 何気無い会話の奥で小さな悲しみが揺れる。何も知らない者にはそこに悲しみの種がある事にも気づく事は無い。
 だが確かに美しい花を見ている2人の心の中には悲しみと寂しさが芽生えていた。

 ネミニア。

 ディオルドの亡き妻。
 3年前に出産時に問題が起きて子と共に21歳の若さで儚くなったヤーゼス公爵夫人。
 同い年のディオルドとは子供の頃からの婚約者で、2人は幼馴染であり友人であり婚約者であり、恋人だった。
 そんな2人と父の関係でイリーナも親しくさせてもらっていた。
 イリーナにとって、仲の良い2人は憧れだった。
 ネミニアを優しく労り愛おしげに見つめるディオルドがイリーナにとっては理想の男性だった。あの気持ちがもしかしたら恋だったのかもしれないと、恋心がよく分からないイリーナは思っている。
 8歳の時にディオルドとネミニアを見てときめいていたイリーナが10歳の時に婚約者がコザックに決まった事を少しだけガッカリした事は、実はイリーナ自身も自覚していない。
 イリーナにとってディオルドは憧れの男性ではあるが、出会った時からディオルドにはネミニアという婚約者がいたので、イリーナの中ではディオルドは『恋愛対象外』の人となっていたのだ。
 それでも“憧れの人”であり“尊敬する人”である事には代わりがないので、イリーナにとってディオルドは家族や婚約者以外では唯一の『特別な人』の位置にいた。

 そんな『特別な人』の『最愛の人』が亡くなった時、イリーナも人生で一番のショックを受けた。それも“宝”となる筈の子供と共に居なくなったのだ。まだ産まれていなかったといっても、既に彼女と共にそこに存在していたのだ。イリーナは今でもネミニアに触らせて貰ったお腹の胎動を覚えている。温かさを覚えている。どんな“人”が産まれてくるのだろうかと想像した記憶を覚えている。
 それが全て一瞬で消え去った事も何もかもを覚えている。

 赤の他人のイリーナでもそれなのだ。家族であった、夫であった、父であったディオルドの絶望は誰の想像にも理解出来ない程に酷かっただろう。実際ディオルドはショックのあまり骨が浮く程に痩せ細り自死を考える程になった。誰の言葉も聞こえず、ただ無くなった腕の温もりを思い出そうと必死になった。妻に、子供に、置いて行かれた事に嘆き悲しんだ。
 そんなディオルドを見ていられなくてイリーナは必死に寄り添った。子供の自分が何をしても意味が無いのは分かってはいたが、何もしないでいる事が出来なかった。だが、イリーナがまだ子供だったからこそ、傷心のディオルドはイリーナを他の人達の様に邪険には出来なかった。ネミニアが妹の様に可愛がっていたイリーナを邪険には出来ず、ディオルドに必死に話しかけてくれる声に少しづつディオルドは癒やされていった。
『ニア姉様の為に』
 ネミニアの為に……。同じ言葉を他の人の口からも聞かされていたのにイリーナの言葉だけはディオルドの心に届いた。生前ネミニアがイリーナの事を本当の妹だったら良かったのにと言っていたからかもしれない。ネミニアが信じたイリーナの言葉なら信じる事が出来た。
 絶望にいたディオルドが前を向けたのはネミニアの性格のお陰でもあった。彼女は一人寂しく泣く女性ではなかった。幽霊話に出てくる様な『寂しいから一緒に来て』なんていって生者を死なせる様な事は言い出さないと直ぐに想像出来る程だった。
 だから、ディオルドは前を向く。後を追えば彼女から『最低』と言われてしまうのが目に見えているから。

 ……それでも、寂しいものは寂しい。

 ネミニアが居なくなった隙間を埋めるものは何もなく、彼女の好きだった物を大切にする事でなんとか隙間がそれ以上広がらない様にしていた。

「……ディオルド様はニア姉様と喧嘩した事がありますか?」

 ネミニアの好きだった白い花を見ながらイリーナが呟く。それは質問ではあったが、ディオルドの耳に届かなければそれはそれで構わないという程にサラリと流れる様な声だった。

「……そりゃ……よくしたよ。
 彼女は気が強かったからよく怒られたよ」

「それって“喧嘩”、なのですか?」

 小首を傾げたイリーナにディオルドは苦笑する。

「一方的に怒られたとも言うかなあ。
 喧嘩はどうだろ? 俺が彼女に頭が上がらなかったからなぁ……」

 過去を思い出しながら話していた所為か、一人称が砕けた事にも気付かずにディオルドは懐かしむ様に微笑んで空を見上げた。

「……許せない事など……お二人の間には起こる筈などございませんわよね……」

 小さな溜め息と共に溢れ落ちたイリーナの言葉を聞き取りディオルドは不思議そうにイリーナを見た。
 イリーナはただ目の前の白い花をは見て思いにふける。殆ど変わらない様な関係なのにコザックと自分はディオルドとネミニアの様な関係にはなれなかった。それぞれ違う人なのだからそれは仕方のない事なのだが、イリーナの中では虚しさが広がっていく。
 コザックに恋を出来なかった自分がいけないの?
 コザックが好きになれる女性になれなかった自分が悪いの?
 そんな考えが浮かんでは消える。

「イリーナ」

 ディオルドから呼ばれてイリーナはハッとする。数回瞬きをしてディオルドに目を向ける。思考に引き込まれそうになっていた自分に苦笑したイリーナの目に真剣なディオルドの顔が映った。

「イリーナは私の大変な時に側にいて私を助けてくれた。だから次は私の番だよ。
 何かあった時にはいくらでも相談してくれ。大抵の事なら公爵家の権力でなんとでもなるから」

 真剣な顔でそんな事を言う王家の次に権力のある家の当主に、イリーナは一瞬面食らって、そして直ぐに小さく吹き出して笑った。
 公爵家の権力を使って何をすると言うのか。
 イリーナはそんな事を言ってくれる程に、自分の事を気にかけていてもらえている事に安堵して笑う。

「ありがとうございます、ディオルド様。
 何かあった時はお願いしますね」

 フフフ、とおどける様に微笑むイリーナの顔に先程まであった憂いの色が無くなった事に安堵したディオルドも柔らかく微笑んだ。







※「姉様」と呼んでますがただの「あだ名」です。
※「ネミニア」の名前が間違ってました。申し訳ありません。
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