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第5章 あやかし探偵と心の罠

第20話

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「あなた、お寺に遺骨の管理料を払ってないでしょ。もう四ヶ月も」
「え……?」

 きょとんとした優一に、やっぱりねと紫が両手を広げた。
 彼は知らなかったのである。
 お寺は遺骨を無料で預かってくれているわけではない、と。

「和尚さんが言っていたよ。半年は待つけどさすがにそれ以上となると難しいとね」

 これは丹籐寺の説明だ。
 昼間に訊ねたお寺で、優一が管理料をまったく払っていないという話を私たちは聞かされたのである。

「預かるときに説明したと思うのですが、やはりショックが大きくてちゃんと聴いておられない方も多いのです」という注釈つきでね。

 遺骨をお墓に入れたり、納骨堂を買って収めたりしたら、それは埋葬というかたちになって、それ以上のお金はかからない。

 でもいまはそうじゃない。
 遺骨ってのは遺体とイコールで、それを預かっているだけだから、預かり賃がかかってしまうのだ。

 で、その金額は月に十万円。
 ぶっちゃけ、そういうもんなんだって私も知らなかったし、高すぎるぼったくりじゃねーかって思ったさ。
 だって、日割りにしたら三千円以上だもん。

「それなら左院くんは、いくらなら死体を預かってくれる?」

 と、丹籐寺に言われて考えを改めたけどね。
 月十万どころか、百万でも嫌だわ。

 ともあれ、お寺としては積極的に請求するのも気が引けるものだし、これまで放置してきたんだそうだ。

「四十万……そんなお金、とても一度には……」

 くぐっと拳を握りしめる優一。
 悔しいよね。さらに金を取るのかって思うよね。

 けどそれが現実なんだ。
 貨幣経済で回っているこの国では、息をする以外のことはたいていお金がかかってしまう。

 それを必要しないのはあやかしたちなんだけど、そのかわり精気エナジーが必要になるんだ。

「このまま時間が経過したら、岬さんの遺骨は無縁仏として合葬されます」
「無縁じゃない!」

 つかみかからんばかりの優一だけど、私はべつにびびらなかった。

 丹籐寺と紫が左右にいるからね。
 ヤクザが襲いかかってきたって、私には指一本触れられないだろう。

「私に噛みついても意味がないですよ。それより善後策を講じないとまずいんじゃないですか?」
「ぐ……」
「そしてその善後策を、私たちは提示するためにきました」

 にっこりと笑ってみせるけど、べつに難しい話じゃない。

 岬に関して、きちんと葬儀をやってあげたいって人がいるわけだからね。ナスターシャさんっていう。
 金銭的な部分で頼ってみたらどうかという提案だ。

「プライドが許さないかもしれないが、彼女の死をあんた以外にも悼んでくれている人がいるってのは知っておいた方が良い」

 相変わらず、どこか突き放したような丹籐寺の言葉である。
 誰にも肩入れしないって調停者のスタンスからくるんだけど、どういうわけか心に刺さるんだよね。

「分骨って手もあるそうですよ。ちゃんとお葬式して、お墓に入れて、位牌もつくって、その上で安藤さんの手元にも岬さんが残る。日々それに手を合わせることもできます」

 いま貯めているお金で、たとえば仏壇なら買うことができるだろうし。

「……判りました。顔つなぎをお願いできますか?」

 たっぷりと五分ほども悩んだあと、優一は頭を下げた。
 薄汚れ、疲れ切ってはいたが、憑き物が落ちたような顔で。

 それを見て、ふ、と微笑する紫。

 あれ?
 もしかして、本当に取り憑かれてたりしてたの?





 それからしばらくして。
 お墓が完成して納骨も済んだという報告の電話を、ナスターシャさんからもらった。

 まあ、私たちの仕事はもう終わったわけだから本来はそんな報告いらないんだけど、義理堅いご婦人である。
 だからこそ、DVに悩む多くの女性たちが彼女を頼るんだろうけど。

「そういえばさ紫、なんであのときちょっと笑ったの?」

 私のデスクの上で、なぜか荒ぶる鷲のポーズを決めていたウシぬいに、ふと訊ねてみる。

「優一くんに憑いてた岬ちゃんが離れたからさ」
「あ、やっぱり」

 返ってきた答えに頷く。
 そうか、取り憑いていたんだ。
 恨んでいたのかな。

「うーん。恨みとはちょっと違うかな。私を忘れないでって思いだから」
「そうなの?」

 岬という女性は、その生い立ちからか大変に寂しがりだった。
 優一が常に自分を見ていてくれないと不安になるくらいに。
 結局、それが彼女自身を追い詰めることになってしまったわけだ。

「そしてそれは死んでからも変わらなかったんだ。忘れられたくなかったんだよ」

 罪悪感から、優一はがむしゃらに働き、自分を犠牲にしてまで岬の墓を建てようとしていた。
 岬のために。岬の望んだとおりに。

「取り憑くってよりも、なんだか呪いみたいだね」
「じっさい、忘れないでって祈りは呪いになりかかっていたよ。あの段階で離れたのは、岬としても良かったんじゃないかな」

 呪いをまき散らす悪霊になってしまったら、待っているのは祓われるという未来だけだ。

「愛しみあって結婚したのに、そういう結末は悲しすぎるでしょ」
「まあ、一方の自殺ってラストシーンで、充分に悲劇ではあるんだけどね」

 紫の言葉に私は肩をすくめる。
 本当に、男女というものは難しい。
 けっして埋まらない溝を、カッシーニ間隙に例えた人もいたっけな。

「それでも求め合うのが男と女ってものさ」

 訳知り顔で、所長席から丹籐寺が口を挟んだ。
 私と紫が、え? という顔でそっちを見てしまう。

 だって、ここにいる三人の中で最も異性慣れしておらず、私にからかわれたくらいで真っ赤になるようなやつですよ。
 男女を語るなんて、一万年と二千年くらい早いと思いません?
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