愛され妻と嫌われ夫 〜「君を愛することはない」をサクッとお断りした件について〜

榊どら

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16-3 恋する力が尽きたから

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 アデレードとの縁談は元々事業提携とは全く関係なく持ち上がった話だ。

 ペイトンは、自分が結婚の条件に「フォアード家と同等の資産家の娘であること」を提示していた為、父がバルモア家に婚姻の打診をしたと聞いている。

 そして、バルモア家が了承した理由は聞いていない。

 興味がなかったし、正直、アデレードが自分の姿絵でも見て一目惚れしたんだと勝手に思っていた。

 しかし、それは甚だしい自惚れだったと、この四月で否応なく悟った。

 では一体何故結婚を決めたのか。一旦疑問に思うと止められなくなり、


「君は、なぜ僕との結婚を承諾したんだ?」


 思っていることが口をついた。

 機嫌よくクレープを切り分けていたアデレードが、皿からこちらに視線を向ける。途端に不躾な質問だった、と身体が硬くなった。
 
 また機嫌を損ねた、と謝ろうとしたが、


「調査書とか読んでないんですか?」


 アデレードは怒った素振りはなく尋ねてきた。


「え?」


「普通、見合い相手の素行調査はするでしょ」


 結婚前に相手の素行を調査することは貴族社会では一般的な行為だ。 
 
 高位貴族の婚姻となれば必須といえる。アデレードは、何故、それを読んでいないのか不思議でならない、といった様子だ。


「ジェームスさんは、初日からちゃんと私の好みの食事を用意してくださっていたので、単に旦那様が聞く耳を持たなかったのでしょうけれど」 


 付け加えられた言葉に、ペイトンはぐぅの音も出なかった。


「何故今更そんなことを知りたいんですか?」


「え、いや……特に深い意味はない」


 失敗したと思った。君のことが知りたい、とか、親しくしたいと思っているから、とか言いようはいくらでもある。  

 どうしてアデレード相手だと上手く振る舞えないのか。


「ふーん」


 どうでもいいなら聞くなよ、と言いだけにアデレードが冷めた目で告げる。
 

「……すまない」


 心底後悔したが、意外にもアデレードは、
  

「結婚した理由は、旦那様が女性嫌いだからです」


 とあっさり答えた。


「政略結婚とはいえ、お互い少しずつ愛を育もうみたいな人だと困るし、かといって外に愛人を作られるのも嫌ですから、女性嫌いならそのどちらもしないでしょう?」


「君、愛されて大切にされたかったんじゃないのか?」


 愛され妻と嫌われ夫契約は、両者の希望の折衷案だったはずだ。


「はい、蔑ろにされるのはもう懲り懲りだったので、愛されて大切にされたいのは本当です。一人の人間として尊厳を守りたいって意味で。だから、恋愛感情は不要です。ですので、女性嫌いの旦那様なら問題ないと思いました」


 理屈が通っているのかいないのか。頭がこんがらがる。


「……意味がわからないな。政略結婚でもお互い好きなれるのがベストなんじゃないか?」


 どの口が言うのか。ジェームスがこの場にいたら突っ込まれそうだが、最近食事中は夫婦の時間として、配膳のメイドが行き来する以外、誰もダイニングルームに立ち入らない。


「好きになってもらえてもお返しできないので、そういう相手は困るんです」


「それはどういう……?」



 アデレードは喋りながらも淡々とクレープを食べ続けていたが、スッと手を止めた。

 目が合うと少しだけ笑う。悼むような笑顔に嫌な動悸がした。


「物凄く好きだった人に手酷く振られて、自分の中の恋する力が底を尽きたからです」
 

 えっ、と音にならない声が自分の中にだけ響く。  

 質問しておいて反応がないことに苛立ったのか、見切りをつけたのか、ふーっと深く息を吐いて抑揚のない口調でアデレードは続けた。


「この話はあまりしたくないので、もういいですか? 折角のクレープが不味くなります」


 何か言わなければと思う気持ちはあるのに思考が回らない。早く早くとだけ気忙しく思う。

 アデレードがフォークを置いて紅茶に手を伸ばす。その行動がやけにゆっくり見える。

 再び目が合うとアデレードはハッとして、


「え、いや、そんな顔しないでくださいよ。別にそこまででもないので」


 苦笑いで告げた。自分がどんな顔をしているのか全くわからなかった。


「……あ、いや、すまない」


 辛うじてその言葉だけが出た。上擦った声に全身が冷える。

 何か意識を逸らしたくて、さっきから謝罪してばかりだ、こんなに謝ることが人生にあっただろうか、などとどうてもよいことを考えた。


「いえ、でも、改めて考えると旦那様との契約は、私ばっかり得かもしれませんね。元々旦那様を好きになることはなかったのに。まぁ、売り言葉に買い言葉ってやつです。旦那様が悪かったし、私も自分の生活の安寧を確約する必要があったし」


 アデレードはけらけら笑った。

 その後のことはあまり記憶にない。ずっと激しく心臓が脈を打っていて、接待中にするような上っ面の軽口をぺらぺら喋っていた気がする。

 聞かなければ良かったとひたすらに思いながら。
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