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32-1 ケジメ
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アデレードはぎゅっと拳を握った。
現況からして、この状態は故意的に作られた産物なんだろう。
なんで? どういう意図で? なんの目的で? 疑問は次々膨らんだけれど口に出すことはしなかった。
聞いてもどうにもできないし、ただの言わせ損になる。
その代わり自分も好きにしようと思った。
聞く権利があるというなら聞こう、とアデレードはダミアンと通気窓を挟んで逆側に壁を背にしてしゃがみ込んだ。
――何故あんな家柄だけが取り柄の不細工な小娘に貴方を奪われなければならないの? 知っている? あの女は爵位を笠に着て好きな男に付き纏っていたのですって。厚顔無恥な笑い者で有名だったそうよ。その上、今度は貴方にまで! あっちがダメなら今度はこっちって、本当にずうずうしい。
(なんなの?)
会話が進んでいくほどにしんしんとした怒りが募った。
随分勝手なことを言ってくれるじゃないか。私が家柄しか取り柄のない小娘なら、お前は外見しか誇れるものがない下級貴族じゃないか。
私は正当な手順で婚儀を結んでフォアード侯爵家の妻を務めている。文句を言われる筋合いはない。
殴り飛ばしてやりたい暴力的な衝動が走る。が、
――僕の妻を侮辱するなと前にも言わなかったか? いいか、あの子のことをお前が語るな。
鋭く冷たい声に冷や水を浴びせられたような寒気を感じた。
普段のペイトンと結びつかない発言にアデレードは強張った。
ペイトンから次々辛辣な言葉が放たれることに違和感しかなかった。
どう考えても歯牙にもかけられていないクリスタの、ペイトンに対する妄執も気味悪かった。
隣に座るダミアンをチラッと確認する。無表情に真っ直ぐ前を見ている。アデレードはすぐに視線を逸らした。
―― 最後にケジメをつけさせてやって欲しいと頭を下げたんだ。
室内から漏れ聞こえる言葉が嫌なくらい耳に残った。
これをやったら、あれが終われば、きっと変わる。楽しい未来が訪れる。
ひたすらに俯いて嵐が去るのを耐えて待てば、その先には澄み渡る青空が広がっていることを信じている。
そういうのを知っている。
アデレードの場合は「卒業したら」だった。ダミアンにとっては「最後にクリスタとペイトンを会わせてやること」だったのだろう。結果は言うまでもない。
アデレードは、好奇心でうろちょろこの場にいることが居た堪れなくなった。
ペイトンがクリスタに靡くことはないし、クリスタがローグ侯爵夫人の地位を捨てることもない。
このまま目をつぶれは、嵐の先には快晴でなくとも曇り空の日常が待っている。
ダミアンは、何もなかったことにしたいんじゃないか。でも、自分がここにいることでそれができなくなったのではないか、と思った。
「……見なかったことにしましょうか?」
「え?」
ダミアンから素っ頓狂な声が漏れるが、アデレードは視線を合わせることができず地面に繁る雑草を見つめた。
「それは結婚した方が良いってこと?」
「いえ、違います」
答えるとダミアンは笑った。
「じゃあ、何故そんな提案を?」
だって、貴方はそれを望んでいるのでしょ? とアデレードは思った。
わざわざ式当日を選んだのは、どういう結果になっても後戻りできない状況にするためだったのでは? 自分で外堀を埋めたのでは? そして万が一の奇跡にかけた。
「……すみません」
「え、どうして?」
「私も似たような経験があるので」
少しの沈黙の後、
「じゃあ、俺もこの結婚はやめた方がいいかな」
さっきのクリスタの胸糞悪い暴露でいろいろ察したのか、ダミアンは誰に言うともなく呟いた。
頭の奥がキーンとした。アデレードは無性に泣きたくなった。
(こんなのってないでしょう)
ダミアンは初対面の時から、穏やかで感じが良かった。ペイトンみたいに、いきなり暴言は絶対に吐かないタイプ。これほど豪華な挙式を開くローグ侯爵家は裕福な家名に違いない。
それでもクリスタがペイトンを選ぶのは、容姿以外にない気がする。
恋愛において重要な要素であることは理解している。仕方ない。実際、ダミアンが性悪のクリスタを好きな理由も外見なんじゃないかと思う。
だから、この不快感も、憤りも、そんなことが原因じゃない。人として、の問題。
(こんなのってないでしょう。こんなのってない)
ゆらゆら視界が揺れる。
アデレードは、今すぐ控え室に行ってクリスタをぶっ飛ばしてやろうと真剣に思った。「夫を誘惑されたのよ」と言い訳はたつ、とも冷静に考えた。
だけど、隣で動かないダミアンを見てやめた。
「一回結婚して、すぐに別れたらいいんじゃないですか?」
「え?」
「断るなら断るで誠意は必要でしょう。利用して好き勝手に搾取してよいはずはないです。だから、相手がここまで自分勝手な主張を通すなら、こっちも同じく自分の意思を通してやればいい。クリスタ様と結婚するために頑張ってきたのですよね? 後二時間で叶うのですから叶えたらいいのでは? それで、嫌になったらすぐ別れたらいいのではないですか。離縁されて困るのは向こうでしょ。形勢逆転できます。なんなら、うちの夫を誘惑したって証言しますよ。ローグ家とフォアード家から睨まれたら、この国で貴族としてやっていくのは無理です」
どんなに周囲が反対しても、本人が「結婚したい」という自分の望みを叶えることには、絶対的な一利がある。
アデレードは、クリスタに苛ついていたけれど、昼食のレストランでの会話にも尾を引いて腹を立てていた。
他人はとやかく言う。が、それを聞いてやる必要はない。
だから、ダミアンが本当にしたいようにすればいい。
その為なら、あの女を殴りつけるのは我慢していい。頬の腫れた花嫁ではダミアンが可哀想だから。
「離縁するのは結婚するより大変らしいよ」
ダミアンはまた笑った。穏やかに静かに。
アデレードは感情に任せて、幼稚な意見をつらつら述べたことを後悔した。自分は誰にも何も言われたくなかったのに、余計なことばかり言ってしまった。
ダミアンはゆっくり立ち上がると、アデレードを見た。
「ケジメをつけるのは俺の方みたいだね。折角だから、最後まで付き合ってよ」
言い終えるとすたすた歩き始めた。アデレードは、黙って後を追うしかできなかった。
現況からして、この状態は故意的に作られた産物なんだろう。
なんで? どういう意図で? なんの目的で? 疑問は次々膨らんだけれど口に出すことはしなかった。
聞いてもどうにもできないし、ただの言わせ損になる。
その代わり自分も好きにしようと思った。
聞く権利があるというなら聞こう、とアデレードはダミアンと通気窓を挟んで逆側に壁を背にしてしゃがみ込んだ。
――何故あんな家柄だけが取り柄の不細工な小娘に貴方を奪われなければならないの? 知っている? あの女は爵位を笠に着て好きな男に付き纏っていたのですって。厚顔無恥な笑い者で有名だったそうよ。その上、今度は貴方にまで! あっちがダメなら今度はこっちって、本当にずうずうしい。
(なんなの?)
会話が進んでいくほどにしんしんとした怒りが募った。
随分勝手なことを言ってくれるじゃないか。私が家柄しか取り柄のない小娘なら、お前は外見しか誇れるものがない下級貴族じゃないか。
私は正当な手順で婚儀を結んでフォアード侯爵家の妻を務めている。文句を言われる筋合いはない。
殴り飛ばしてやりたい暴力的な衝動が走る。が、
――僕の妻を侮辱するなと前にも言わなかったか? いいか、あの子のことをお前が語るな。
鋭く冷たい声に冷や水を浴びせられたような寒気を感じた。
普段のペイトンと結びつかない発言にアデレードは強張った。
ペイトンから次々辛辣な言葉が放たれることに違和感しかなかった。
どう考えても歯牙にもかけられていないクリスタの、ペイトンに対する妄執も気味悪かった。
隣に座るダミアンをチラッと確認する。無表情に真っ直ぐ前を見ている。アデレードはすぐに視線を逸らした。
―― 最後にケジメをつけさせてやって欲しいと頭を下げたんだ。
室内から漏れ聞こえる言葉が嫌なくらい耳に残った。
これをやったら、あれが終われば、きっと変わる。楽しい未来が訪れる。
ひたすらに俯いて嵐が去るのを耐えて待てば、その先には澄み渡る青空が広がっていることを信じている。
そういうのを知っている。
アデレードの場合は「卒業したら」だった。ダミアンにとっては「最後にクリスタとペイトンを会わせてやること」だったのだろう。結果は言うまでもない。
アデレードは、好奇心でうろちょろこの場にいることが居た堪れなくなった。
ペイトンがクリスタに靡くことはないし、クリスタがローグ侯爵夫人の地位を捨てることもない。
このまま目をつぶれは、嵐の先には快晴でなくとも曇り空の日常が待っている。
ダミアンは、何もなかったことにしたいんじゃないか。でも、自分がここにいることでそれができなくなったのではないか、と思った。
「……見なかったことにしましょうか?」
「え?」
ダミアンから素っ頓狂な声が漏れるが、アデレードは視線を合わせることができず地面に繁る雑草を見つめた。
「それは結婚した方が良いってこと?」
「いえ、違います」
答えるとダミアンは笑った。
「じゃあ、何故そんな提案を?」
だって、貴方はそれを望んでいるのでしょ? とアデレードは思った。
わざわざ式当日を選んだのは、どういう結果になっても後戻りできない状況にするためだったのでは? 自分で外堀を埋めたのでは? そして万が一の奇跡にかけた。
「……すみません」
「え、どうして?」
「私も似たような経験があるので」
少しの沈黙の後、
「じゃあ、俺もこの結婚はやめた方がいいかな」
さっきのクリスタの胸糞悪い暴露でいろいろ察したのか、ダミアンは誰に言うともなく呟いた。
頭の奥がキーンとした。アデレードは無性に泣きたくなった。
(こんなのってないでしょう)
ダミアンは初対面の時から、穏やかで感じが良かった。ペイトンみたいに、いきなり暴言は絶対に吐かないタイプ。これほど豪華な挙式を開くローグ侯爵家は裕福な家名に違いない。
それでもクリスタがペイトンを選ぶのは、容姿以外にない気がする。
恋愛において重要な要素であることは理解している。仕方ない。実際、ダミアンが性悪のクリスタを好きな理由も外見なんじゃないかと思う。
だから、この不快感も、憤りも、そんなことが原因じゃない。人として、の問題。
(こんなのってないでしょう。こんなのってない)
ゆらゆら視界が揺れる。
アデレードは、今すぐ控え室に行ってクリスタをぶっ飛ばしてやろうと真剣に思った。「夫を誘惑されたのよ」と言い訳はたつ、とも冷静に考えた。
だけど、隣で動かないダミアンを見てやめた。
「一回結婚して、すぐに別れたらいいんじゃないですか?」
「え?」
「断るなら断るで誠意は必要でしょう。利用して好き勝手に搾取してよいはずはないです。だから、相手がここまで自分勝手な主張を通すなら、こっちも同じく自分の意思を通してやればいい。クリスタ様と結婚するために頑張ってきたのですよね? 後二時間で叶うのですから叶えたらいいのでは? それで、嫌になったらすぐ別れたらいいのではないですか。離縁されて困るのは向こうでしょ。形勢逆転できます。なんなら、うちの夫を誘惑したって証言しますよ。ローグ家とフォアード家から睨まれたら、この国で貴族としてやっていくのは無理です」
どんなに周囲が反対しても、本人が「結婚したい」という自分の望みを叶えることには、絶対的な一利がある。
アデレードは、クリスタに苛ついていたけれど、昼食のレストランでの会話にも尾を引いて腹を立てていた。
他人はとやかく言う。が、それを聞いてやる必要はない。
だから、ダミアンが本当にしたいようにすればいい。
その為なら、あの女を殴りつけるのは我慢していい。頬の腫れた花嫁ではダミアンが可哀想だから。
「離縁するのは結婚するより大変らしいよ」
ダミアンはまた笑った。穏やかに静かに。
アデレードは感情に任せて、幼稚な意見をつらつら述べたことを後悔した。自分は誰にも何も言われたくなかったのに、余計なことばかり言ってしまった。
ダミアンはゆっくり立ち上がると、アデレードを見た。
「ケジメをつけるのは俺の方みたいだね。折角だから、最後まで付き合ってよ」
言い終えるとすたすた歩き始めた。アデレードは、黙って後を追うしかできなかった。
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