愛され妻と嫌われ夫 〜「君を愛することはない」をサクッとお断りした件について〜

榊どら

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47-2 悪い男

 二時間が経過し、会場には次第に終わりの空気が漂いはじめた。

 この後、大半の卒業生は生徒会主催の夜会へと流れる。


「では、また後で」


 親しげな挨拶が飛び交う中、夜会に参加するつもりのないアデレードとペイトンは、愛想笑いを浮かべてそっと馬車へと乗り込んだ。

 車輪がゆっくり回り始めるとアデレードは、座席に背中をつけて言った。


「付き合ってもらった私が言うのもなんですけど、どっと疲れましたね」


「式典は、大体疲れると相場が決まっているからな」


「そんなもんですかね」


 ペイトンが、全く卒業式を特別視していないことに妙に安心してしまう。

 アデレードは、リラックスした表情で車窓を眺めた。


「ディナーご馳走してくれるんですよね? まだ、四時過ぎですから、時間まで部屋で休みます?」


「その前に君にポケットチーフの礼をするよ」


「え、そんなのいいですよ」


「もう向かっているから」


 さっきペイトンが御者に指示していたのは知っていた。

 しかし、馬車はホテルへのルートを進み始めたので、そんなサプライズがあるとは思いもしなかった。

 強引なことはしないタイプと認識していたから意外だ。

 頑なに拒絶するのも失礼になる、とアデレードはそれ以上反発するのはやめた。


「何処に行くんですか?」


 答えは教えてくれないだろうと予想はしていたが、聞くのがマナーだと思って尋ねる。


「秘密だ」


 いつぞやの会話を彷彿とはせる返答に、アデレードは、


「ふーんだ」


 と返した。形骸化したやり取りにお互い笑いが漏れる。

 そういえばあの時、ペイトンは何を好きなのか結局教えてくれなかった。


 隠し回らなくてよいのに、と思う。


(言いたくないなら仕方ないけど)
 

 そんなに仲良くもないし、と思いつつ、アデレードは再び窓の外へ視線をやった。

 見慣れた街並み。ブルーメ商業区とは真逆に位置する最新の流行品が揃う王都一の歓楽街だ。


(まさか、宝石じゃないよね?)


 ガラス石のブローチを随分気にしていたから買い直す気ではないか。

 それならば流石に断ろう、とアデレードが考えている間に、馬車は停車した。


「え、ここ……」


 窓の外、視界に飛び込んできた店構えに、アデレードは目を丸くした。

 淡い石造り、深紅のオーニング、磨き上げられたガラス窓。

 その中央に掛けられた看板には、金文字で「ルグラン」と記されている。

 開店からわずか一年で半年待ちの予約が必要なほどの人気になった店。

 アデレードがこの世で一番美味しいと称するチョコレートケーキを販売する店で、レイモンドとの別離を決めた店。


「チョコレートケーキを買う約束だったろ?」

  
 アデレードが守られるとは思っていなかった約束を、ペイトンはさも当然に口にする。しかし、


「……伝手を使ったんですか?」


 アデレードが再三忠告したことは忘れているらしい。

 ペイトンは無言のまま口の端だけ上げて笑う。

 歪んだ表情なのに美貌はちっとも崩れない。いろいろズルではないだろうか。


「駄目だって言ったのに。悪者!」


 アデレードが言うとペイトンは吹き出した。


「何笑っているんですか。横入りして!」


「そうだ。僕は悪い男なんだ」


 悪びれる様子なく笑顔のまま答える。

 そう言われたら返す言葉がない。

 元々ペイトンは、貴族の権威や家名の力を割と平然と使う。

 多分、社交界では必要なことなのだけれど、アデレードには慣れない。


「ほら、おいで。今更予約をキャンセルしても誰も得しない」


 戸惑うアデレードをよそに、ペイトンはさっさと馬車から下りて、手を差し出した。

 誰も得しないけど駄目じゃん、と思う一方で、私の為に悪事に手を染めてくれたんだな、という気持ちもある。


(悪事……)


 その単語に、流石に言い過ぎか、と少し笑いが込み上げる。


(でも、完全なズルだよね)


 アデレードは、迷いつつも差し出された手を取った。

 優しい感触に、ペイトンの気配りに対して文句ばかりの自分の言動にハッと気づいた。


(これじゃプレゼントにケチつけてるのと同じじゃない)


 焦燥感に見舞われて、馬車から舗道に下りたタイミングで、


「……あの、予約してくれて有難うございます」


 と慌てて告げた。


「まぁ、これで共犯だな」


 ペイトンがにやついて答える。


「……」


 その顔を見つめながら、確かに悪い男だ、とアデレードは思った。

 けれど、なぜか口には出せなかった。

 なんだろうか。自分らしくなくて、もやもやする。

 でも、この問いは考えては駄目な気がした。代わりに、


「悪に染まる価値ありのチョコレートケーキなんです」


 と平静を装って言った。

 ペイトンが満足気に笑う。

 アデレードは、ますます落ち着かない気持ちになった。

 手持ち無沙汰に看板に目を向ける。

 金色の文字で書かれた店名を、頭の中で無意味に繰り返した。

 もう二度と来ることはないと思っていたのに、不思議なくらい嫌な記憶は蘇ってこない。


「そうか。期待している」


「いや、でも、甘党の人にはですよ」


 がっかりされると嫌なので咄嗟に保守的な発言がでる。が、


「君の好きな物にケチつけたりしないよ」


 ペイトンは涼しい顔で答えた。

 アデレードは、また言葉に詰まった。

 さっきから調子が狂いっぱなしだ。足元が揺れているようで心許ない。

 チョコレートケーキに浮かれているのかもしれない。


「……有難うございます」


 謎の感謝が口を衝く。

 いや、本当はちゃんと理由はあるのだ。多分。確かに。すぐそこに。

 でも、手は伸ばさなかった。


「行こうか」


 ペイトンが微かに笑って、ゆっくり歩き始める。

 アデレードも、何もなかったことにして黙ってエスコートに従った。



 
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