弓張月異聞 リアルチートは大海原を往く

Ittoh

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少年期 蒼き肌の女

河内源氏、八郎為朝

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 葦の原を流れる風は、凍てつくしばれるほどではないが、肌寒く痛くなるほどであった。小舟の屋形は、四方にも御狐灯篭を配して温めていた。狐火を掲げる子狐達と女御狐が、湯からあがった二人を拭い、新たな衣を調えていった。湯殿を運び出し、葦編襲で織られた筵に熊皮を引いた一丈四方の御帳台には、天蓋から下げた木綿の蚊帳が風を防いでいた。
「この毛皮は、熊か」
「そうじゃ、月の輪を射止めたモノじゃ」
「玲も、弓を引くのか」
少し嬉しそうに八郎が訊くと、
「ほほほ、八郎。妾はそなたほどの強弓は引けぬ。せいぜいが四人張り程度じゃ」
御帳台に入ると、一間四方の木綿織に何かが詰められて膨らんでいた。八郎が木綿の重ねられた、中に入ると、暖かった。
「玲、何が入っているんだ、暖かいぞ」
「鴨の羽じゃ、八郎」
「凄いな、玲。衣を重ねるのとは、全然違うぞ。ふわふわじゃ」
中に入り込んで、柔らかさを愉しんでいた。玲は、八郎の隣へ滑り込むように入ると、八郎
「難波では、宋より仕入れた木綿を使った寝具が流行りじゃからな」
「唐モノか、玲」
「木綿の種を持って、宋より逃れた者達がな、和泉で栽培を始めたのじゃ。ようやく布とすることができた」
「逃れたって、敗れたのか」
「十年程前には、首都が陥落し、皇帝も連れ去られたそうじゃ」
「それでは、滅んだのか」
「甥であったかが即位して、臨安に移って国体は護ったそうじゃ」
「日ノ本とは違うな、玲」
「そうじゃな、八郎。妾達あやかしひとならざるものは、主上に仕えるモノじゃ。主上を護れねば困るからの」
「なら、東宮が主上となれば、あやかしひとならざるものは味方となるのか」
「敵が身内でなければの、八郎」
「身内って、どういうこと」
「八郎。壬申の昔には継承の戦となり、最近は親子での争いも多い。あやかしひとならざるものは、外ツ敵ならばともかく、内の争いには関わらぬぞ」
 主上だけでなく、先の主上や前の主上など、主上と同等の権益を有する者が多くなり、権力の有り様が錯綜しているため、渡辺惣官家はともかくとして、あやかしひとならざるものが多い大祝達は、京洛から離れていた。京洛の西に門跡寺院を建てた御子寺も、岸和田に和泉寺を建立して、門跡様を初めとして、養い子達の多くは、京洛を離れて和泉寺へと移っていた。
「そうか、、、」
残念そう八郎に向かって、傍らへ抱き寄せる様にして、玲は、
「八郎。、あやかしひとならざるものを連れての味方はできぬが、妾ひとりならば、そなたの味方となることもできる」
「ほんとか」
「そうじゃ、東宮ではなく、そなたの味方としてじゃがな」
誇らしげに、玲が応えた。



 あやかしひとならざるものにとって、護るべき掟は、天平宝珠元年、上人様と主上とで交わされ、尊き鏡に刻まれた、約定以外には無い。男女の情愛は、約定に刻まれた掟であり、あやかしひとならざるもの一族の掟よりは上位にあって、掟を超えることができた。
 人を殺さず、主上が命に従い、主上の定めし律令格式例の内に生きる。されど、情愛において、限り無し。
 あやかしひとならざるものとの混血が進み、鏡に刻まれし掟は、日ノ本における慣習法、成文法の上位となる約定となった。



 これは、あやかしひとならざるものが人の家人となった場合も同じであった。あやかしひとならざるものとの混血が進んでいった平安末期、人とあやかしひとならざるものの区別は、かなりあいまいとなっていて、外見に左右されることが多くなっていったのである。狐狸衆のように、化生を扱えるあやかしひとならざるものは、人の血が混ざっていれば、化生を解かない限り、人として扱われたのである。、人を殺さずの条文が、混血によって、あいまいになったことに起因している。



 八郎は、玲の応えを聞いて安心するように、床につこうとすると、船が揺れて、黒い大きな耳をした影が、月明かりを受けて、障子に映った。床から起きた、玲は、影に向かって、
「なんじゃ、柊」
「申し訳ありませぬ。夜分ではございますが、姫様へ逢いたいと河内津屋衆が参っております」
「惣官家への陳情か」
「はい」
「困ったのぉ、河内源氏は、惣官家の主筋じゃ、源氏長者ぞ」
「河内鋳銭は、大江御厨の内ではないかと申しております」
河内の国と山城の国には、銭の鋳造を請け負う、鋳銭司が置かれていた。悪銭びたせん四枚を改鋳して一文銭を造る“撰銭えりぜに”は、主上より出された勅命による銅銭の回収改鋳業務であった。悪銭びたせん四枚から良銭一枚を造ることで、市中に出回る悪銭びたせんを減らすことを主業務としていた。
 実際には、悪銭びたせん二枚を精錬すれば、良銭一枚が造れるために、銭千枚の儲けが出る。これは、河内津屋荷役にとっては、最大の収益源となっていた。これは、一匁金銭についても同じであった、難波で租税で納められた銭から悪銭びたせんを河内で改鋳して、主上へ納めるのが、渡辺惣官家の役儀ともなっていた。つまり主上へ納められる租は、すべて改鋳された新銭で納められていた。この役儀を遂行するために、渡辺惣官家は、租の四半を新銭にて納めれば良いということになっていた。津屋荷役は、渡辺惣官家から悪銭びたせんを4貫四千枚を河内鋳銭司に運び、新銭千枚を渡辺惣官家へ納め、残りの新銭が津屋荷役の役料となっていた。津屋荷役の役料は、新銭数百枚から千枚ということになる。
 改鋳に運ばれる悪銭びたせんは、月に三十貫から百貫程度であったが、最近では宋国より流れてくる宋銭も大量に含まれていた。宋銭は、ほぼ日ノ本の一文銭と同等で流通していたが、和銭ではないので、回収対象であり、津屋荷役にとっては、非常に大きな役料となっていた。宋銭の良銭であれば、宋銭一枚で和銭一枚へ改鋳できたのである。
 宋銭であれば、津屋荷役の儲けは、三倍近くまで跳ね上がることとなる。為義が狙ったのは、この宋銭の和銭への改鋳に伴う利益であった。
「ほぉ、為義殿は、河内鋳銭に手を出したのか」
ピキぃッとコメカミに玲の怒りが入った。八郎は、不安そうに、玲を見上げていた。
「はい。改鋳新銭十貫を役料に所望するそうです」
「津屋荷役の警護料か」
「はい、、、いかがいたしましょうか」
「仕方あるまいな、逢おう。八郎、そなたも参れ」
「う、うん」
御帳台を出て、障子を開けると、一丈(三メートル)程の大狼が欄干に、座って控えていた。岸辺には、七名ほどが葦原を敷くように平伏していた。一番手前で平伏している一人が、平伏しながら、
「河内の津屋荷役惣家、矢斗にございます。霊代様には、ご機嫌麗しゅぅございます」
「挨拶は良い。なんぞ言いたいのであろう」
「河内荷役を司ります、我等津屋衆は、河内守ですらない、京洛にお住まいになられる為義様からの言い分では、銭千貫の役料は受けられませぬ」
 銭千貫ともなれば、津屋荷役の昨年度の年間収益の七割を越えていた。となれば、津屋荷役としては、警護料として受け入れられるものではなかった。



 津屋荷役との話が、流れる中で、傍らで聞いていた八郎は、
「霊代様とはなんだ、玲」
「ほほほ、渡辺三代弼は、主上の斎姫を、難波に迎えたことで、渡辺惣官家が、全国の渡辺一族が長者となった。弼が霊代とは、渡辺長者を定める者のことじゃ」
「ならば、玲が、渡辺惣官家の長を決めるのか」
「そうなるな、今は、妾が弟の省が滝口武者として、渡辺の長を努めておる」
「玲は、長者にはならないのか」
「ほほほ、妾は西海竜王が嫡孫として、あやかしひとならざるものを束ねる者じゃ。惣官家の長にはなれぬ」
「そうなのか」
それで、八郎は納得したが、津屋衆の一人は、叫ぶようにして
「いやさ、霊代様は、本来であれば、先代長者雷様の嫡子なれば、長者となられてもおかしくありませぬ」
「これ、綾」
「しかし、父様ッ」
玲が、止めるようにして言い放った。
「綾。それ以上は、妾を敵とするぞ」
「れ、玲様、、、申し訳ありません、、、」
玲の声に、綾は萎れる様に引き下がりはした。
 玲は、引き下がるのを確認して、矢斗へ向かって、
「のぉ、矢斗。警護料、いくらであれば、払っても良い」
「そうですな、年百貫であれば、御払いしても良いかと」
「宋銭の流入は、しばらくは止まりそうにないぞ。それに、妾へ年三百貫を上納してくれたであろう。それを含めて、年五百貫をこの八郎に払ってくれぬか」
「玲、、、」
八郎は、びっくりするように、玲を見上げた。
「年五百貫を、そこな御子にですか」
「そうじゃ、妾は、この八郎をつまとすることとした」
「ほぉ、つまですか、どちらの御子でございましょう」
「河内源氏、為義が八男、八郎為朝じゃ」
「八郎為朝様」
「そうじゃ、矢斗。妾のつまに年五百貫を新銭で払ってもらえぬか」
 新銭五百貫とは、一般で使用される銭に換算すれば、四倍二千貫の価値となる。まあ、良貨が多い状況では、そこまでの価値は無いが、二倍の千貫程度の価値は越える。つまりは、実質として千貫払うこととなる。
「姫様への台所領、三百貫を含めてでございますか」
「そうじゃ。妾は、竜宮へ参る身じゃ。十二年は戻らぬ。その間は、上納はいらぬ故、妾のつまに払ってくれぬか」
「、、、」
 矢斗は、しばらく悩んでいましたが、
「篠原姫様の内祝いの御祝儀ならば、年千貫、宋銭五百貫と新銭五百貫で払いましょう」
「矢斗、、、すまぬ」
 玲が、頭を下げた。徐々に使用される銭の量が年々増加している状況としても、収入の七割を払うこととなった河内津屋衆へ、玲は謝意を表した。



 河内津屋荷役、惣家の矢斗は、居住まいを糺すようにして、謝意を表した玲に向かって、
「なんの、我等、河内津屋は、霊代様が本領なれば、お帰りになるのをお待ちいたします。ですから年千貫が支払いは、為朝様が居られて、霊代様が竜宮より戻られるまでということとなりますが宜しいか」
「そうじゃな、矢斗、綾、礫、疾風、安吾、篠、更紗」
「「「「「「「はッ」」」」」」」
 河内津屋衆が、玲の呼びかけに、一斉に応えた。各地の荷役は、人とあやかしひとならざるものが判断し難い者が多く、津屋衆にしても、更紗の耳は狐耳だが、父親は人の姿をしている。疾風は、獣のように毛深いけれど、人の姿に見える。礫は、小柄なマシラ衆の姿に見えるが、四尺にみたないマシラ衆は、日ノ本には居ない。篠と安吾は、人に見えるが、兄妹達は、狸耳が多かった。渡辺惣家のように、系譜を辿れる家ならばともかくとして、津屋衆あたりでは、系譜を辿ることは難しかった。
「河内津屋を妾の本領と言ってくれた。その方達に頼みじゃ、八郎為朝がこと、よしなに頼む」
「「「「「「「はッ。必ず」」」」」」」
 こうして、河内源氏為義が八男為朝は、河内の国で津屋荷役を請け負う津屋衆を配下としたのであった。




 後に、源為義が、河内源氏の頭領となって、義朝、頼朝と続く、源氏長者の祖となったが、為義は河内守ではなく、京洛で任官のために働きかけていたのであった。ただ、河内津屋衆を実質的に傘下に収めたことで、為義にとって経済的な地盤が河内に確立されたことも事実である。
 為義は、京洛に居を構えながら、河内を中心とした一帯から上納金を集めていくことができるようになった。
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