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少年期 蒼き肌の女

白き肌の少年、名は八郎為朝

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 葦の原を流れる風は、肌寒い季節へと移り変わっていった。
 夕闇に包まれるようにした、川船の屋形に一丈四方(3メートル四方)に蚊帳を吊り、四隅に狐灯篭が置かれて、湯を沸かすと共に暖がとれるようにしてあった。夕餉の支度として、高坏の盆が用意されて、酒肴が並べられていた。
 八郎は、玲に抱かれて目が覚めた。ぷにぷにした大きな胸乳おっぱいが、心地よい刺激となって、八郎の男を刺激していた。
「起きたかや」
「あぁ」
 ぐぅ。
 高坏の膳に用意された食事が、美味しそうな匂いを放って、用意されていた。匂いが漂うと、八郎の腹が鳴り、
「ほほほ、まずは腹ごしらえじゃな」
「玲殿は、いいのか」
膳は、一膳であった。
「玲で良いぞ。構わぬ、共に食べようぞ。同じ膳は嫌か」
「いや、そうではないが」
 武家では、あまり同じ膳で食べるという風習は無い。だが、あやかしひとならざるものは、同じ釜や膳を囲んで食事をするのは、普通であった。膳には、一人では喰いきれぬ程の魚や椀が並んでいた。八郎は、そのまま膳の飯を食い始めた。おかずは、芋と猪肉や菜を煮込んだ椀に、数匹の小鮒がワタを取り出して塩焼きし、大豆や生姜と煮られて、味噌と酒や黒砂糖に和えられて皿に盛られていた。
 玲が一匹食べると、何時の間にやら八郎が食べつくしていた。一升炊かれた米も、大半が食い尽くされていた。
「旨いかや」
「うん。でもゴメン、玲。食べすぎたかな」
嬉しそうに、だけど、ちょっとすまなそうに言うと、
「ほほほ、構わぬよ大船では良く出る料理じゃ。じゃが、もう少し時間を置いた方が美味しいぞ」
「そうなのか、大船の料理は旨いのだな」
河内の源氏屋敷では、よく宴会も行われるが、八郎は、ここまで美味い料理を食べたことは無い。源氏長者と言っても、ようやく、河川警護や京洛の警護を仰せつかるようになった、地方豪族では、未だ財政は苦しく、難波を中心に南は四天王寺から北はお初天神と商業圏を支配して、大江御厨支配を確立した、嵯峨源氏一門に比べれば、地位は高いが、経済力では遥かに厳しい状況にあった。検非違使で判官の地位であり、六条に居を構えたことで六条判官と呼ばれていた。一介の滝口武者である、嵯峨源氏頭領渡辺糺は、地位では勝っていたものの、大江御厨を受領とする嵯峨源氏一党には、経済力で劣っていたのである。
「なぁ、京洛でも食べたことが無いぞ。大船は特別なのか」
  貴族の宴には、精進料理が多く、見栄えも優先されていた。肉と一緒に煮込むとか、鍋のままで出てくるなど、京洛の料理にはなかった。難波の料理は、船上や市という狭い場所で、手早く食べれるように作られた料理に始まっている。また、船上の限られたスペースで、料理ができるように、かんてき七輪や鍋なども工夫されていた。金の侵攻によって、開封が陥落して以降は、かの国からの亡命者も増えて、丸鍋で炊く、焚く、煮る、焼く、炒くをこなす、河北や山東の料理人が、難波で人気となっていた。
  生姜などの薬樹を用いた薬膳としても使われていて、薬食同源という考え方が、平安末期には難波や京洛で始まっていた。
「ほほほ、そうじゃな。長く船に乗っておると、食べることが愉しみとなるからな、船長は、良き料理人を雇うて、様々な料理を競うて楽しんでおる。今日の料理は、妾が船の狐衆が、工夫した小鮒煮物であったが、どうじゃ」
「美味かったぞ、玲。でも、もう少し食べたかったな」
「すまぬな、八郎。今は、大船の樽詰めを作るが先なのでな、量は許せ」
「樽詰めって、玲、長く保つのか」
「そうじゃな。漬け込んで、水気を抜いて樽詰めすれば、二月は持つからの。竜宮への良き土産なのじゃ、八郎」
「二月かぁ、すごいな。猪肉も保つのか」
「ほほほ、八郎、猪肉も塩漬けにしておるからな、一年ほどは保つぞ」
「一年、、、海では、猪は取れぬか」
「魚は獲れるからな、海豚いるかサメも獲れるぞ」
「美味いのか、玲」
「ほほほ、八郎。料理の仕方によるが、美味いぞ」
「食べてみたいな」
「妾と共に、船に乗れば、いくらでも食べれよう」
「敗れたからな、お前と一緒に行けば良いのだろ」
「八郎。日ノ本へは、還れぬかもしれぬぞ」
「玲に勝てば帰れるのだろ」
「そうじゃな。八郎が勝てば、そなたに従わねばならぬ」
「ならば良い。玲との旅は楽しそうじゃ」
「ほほほ、嬉しいのぉ」
 狐耳や狼耳をした女御衆が、膳の片付けをおこないながら、小さな御狐燈籠を組み入れた大盥を運び込み、水を注ぎ女御狐が湯に変えていった。
「凄いな、玲。こんな小舟にも湯屋があるのか」
木津川沿いに、海船と川船の積み替えと蔵がならび、難波と言う、京洛と外ツ国の玄関であり、難波湊一帯は、平安末期に京洛二十万、難波二十万と、京洛に匹敵する巨大都市となっていた。京洛が人の都ならば、難波はあやかしひとならざるものが都と言われるくらい、住人の半数以上が、あやかしひとならざるものであった。
「八郎。難波には、絡繰りを得手とする者も多い。最近は、外ツ国から国を追われた者も多い故な。絡繰りの発達は妾達も驚くほどじゃ」
「外ツ国とは、宋国のことか」
「そうじゃ、金に河北を奪われて、南へ逃げたそうじゃ」
「玲。都も陥落し、女達も連れ去れたと聞くが、誠か」
「そうじゃな、王太后を含め一万以上の女官が、金国へ連れ去られたそうじゃ」
 宋国は、金国に首都開封を陥落させられ、皇帝徽宗と王太后を始め皇女や寵姫、宮女など一万人以上を娼婦として連れ去ったのである。
そんな話をしながら、玲は、八郎が衣を脱がし、しなやかで美しく煌く様な白い肌を晒して大盥に、御狐燈籠の湯殿と洗い場に敷居があり、玲は八郎を区切られた洗い場で御狐燈籠の湯を流しながら、サイカチ、ムクロジ、灰を使って洗っていった。生傷だらけの身体は、ただ鍛えられたというだけでなく、故意に付けられた傷も多かった。
「鍛えておるの。八郎」
「あぁ、玲。弓はようやく、義朝兄上と同じ五人張りが引けるようになった」
嬉しそうに語る八郎を、玲は不憫に思っていたが、表には出さず、自らの衣を脱いで、八郎を湯殿に移して、自分が洗い場に入った。女御狐達が、蒼い肌を八郎と同じように、サイカチ、ムクロジ、灰で洗いながら、纏うような黒き髪を梳って、米糠と蜜柑の皮で調えていった。大きな胸乳おっぱいに絞り込んだ腰と豊かな豊臀はしなやかに伸びるような脚へ見事なボンキュゥボンなラインを描いていた。八郎は、見ていると、
「綺麗だ、玲」
「ほほほ、嬉しいことを言うてくれる。蒼き肌は初めてであろう」
「う、うん。でも綺麗だよ」
「そなたは、あやかしひとならざるものは、嫌いではないか」
「京洛には、杜湯はあるし、あやかしひとならざるものも多いよ」
 人が多く住むとは言っても、伏見や愛宕、鞍馬とあやかしひとならざるものの住まう山が近いこともあって、京洛の入り口である、京橋から桂川や鴨川沿いの河原には、数多くのあやかしひとならざるものが住んでいた。
 京洛で、元服前ながら、東宮にお目見えしていた八郎は、見事に東宮の御前で、見事な弓射を見せて元服の暁には、滝口武者として仕えることが決まっていた。
「そうじゃな、八郎が気にせぬならば良い。あやかしひとならざるものを殺そうとする武家も多い故な」
「あ、そうか。でも俺の母も芸妓であったぞ。父も気にしてはおらぬ」
 あやかしひとならざるものは、人の命令に従って、肥溜めや樋箱の管理や清掃、死者の穢れを祓うといった役目を担っていた。杜湯や茶屋、尺八や琵琶、踊りといった芸事の華やかな者達にしても、賤民として扱われていた。
 賤民とは、租を納める民では無いために、人としての扱いを受けていなかった。ただ、人に仕えることで、主人となる人に租や雑務で仕えることで家人となり、武家ともなっていった。武家もまた良民ではなかったとも言える。武家にとって、仕えるべき相手に高貴な血筋を求め、源平藤橘と呼ばれる血筋に集まったのは、暮らし向きの安定に必要な地位向上からであった。
「兄者たちは、そうもいくまい、八郎」
「え。義朝兄はあやかしひとならざるものを嫌ってないけど、頼賢兄や為宗兄は、嫌ってたなぁ」
「ほぉ。為宗か、確か、伏見で女御狐を斬ろうとしたそうじゃな。伴の者に止められたそうじゃが」
「あぁ、そうだ。一緒だったから、止めたんだ」
 あやかしひとならざるものは、天平宝珠元年以来、神に仕えるが故に一族を認められていた。巫女狐、女御狐、湯女狐など狐衆は、伏見稲荷大社の眷属しんしとして扱われていたが、武家の中には、あやかしひとならざるものと魔物の区別をつかないことから狩りの対象とする者も多く、地方から出て来たばかりの武家には、手荒な残虐さを発揮する者達も多かったのである。
「では、八郎。この肩の傷は、その時のものか」
「うん」
玲は、優しくなぞるように、八郎の背中を洗っていった。
「八郎、そなたは、元服した時の名乗りは、なんと言うのか」
「源朝臣義家が流れ、源八郎、為朝と聞いている。義朝の兄者が、そう元服の時に名乗るように言われた」
「そうか、妾は、竜宮へ赴く身故、しばらく日ノ本より離れるが、そなたを連れて行きたいの」
「俺は、玲に敗れたから、行けと言われたら行くが、できれば、京洛から離れたくないな」
「ほほほ、まだ元服前の子供との約定なれば、流石に連れて行くことはできぬ。されど、八郎」
すっと居住まいを糺すようにして、八郎へ呼びかけて言葉をきった。
「そなたは、これからどんどん強くなろう。おそらくは、八郎と戦うを嫌い、正面より戦う相手は少なくなろうな」
「そ、そんなのは武家ではない」
「ほほほ、建前は、どうとでも言えよう。勝てぬ戦をしないのも、武家の務めじゃ」
背中を流し、八郎を抱き上げる様にして、湯殿に一緒に入った。八郎は、くすぐったそうにして、柔らかな大きな胸乳おっぱいに預けていた。
「八郎が、正面より戦う方が、妾は好きじゃ。小狡い戦など八郎には似合わぬ」
「そ、そうかな」
「八郎。そなたは、戦の勝ち負けでなく、主上に恥じぬ戦を目指せば良いのじゃ」
「主上に恥じぬ戦って」
あやかしひとならざるものにとって、一天万乗の大君に恥じぬ戦をする者こそが、戦の勝ち負けよりも大事なのじゃ」
「主上に恥じぬ戦、、、」
「そうじゃ。西海竜王が嫡孫として、竜宮に入る身として、妾が惚れた八郎には、万民が認める天下最強の武士もののふとなって欲しいものじゃ」
「わかった。天下最強の武士もののふに俺はなるッ」
少年の響きは、夜陰の葦原は、響いていったのでありました。
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