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歴史概略 東西がぶつかるヴィンランド戦役
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千年皇紀1736年癸丑(ユリウス暦1493年)、インドを夢見て、絶望の中で帰り着いた船のマストに吊るされた、男の死は、イスパニアを含めて、西欧諸国に衝撃をもたらした。黄金が眠る島へ辿り着いた男、夢半ばで倒れた男の姿は、夢を煽る姿として、投機的掠奪者を産み出したのである。ヴィンランド側では、「虐殺者」と記録されて、ヴァイキングとの抗争が歴史に記されるようになる。
「虐殺者」との戦は、激動の時代をヴィンランドに呼び込むことになって、イスパニアにとってはイロコイ連邦との戦争として記録されている。これは跡からヴィンランドに到達する、ネーデルランドやイングランドにとっても同様の形となります。
利益を求めて、欧州からヴィンランドに向かい、インカ帝国などの諸国家を崩壊させ、黄金を欧州へと持ち出していった。カリブ海では、ヴァイキングとの海上戦闘で勝利しつつも、河川の近くではヴァイキング側が勝利することもあって、陸上ではヴァイキング側が有利となっていた。
ヴィンランドの東海岸では、ミヅチに乗って戦う八幡衆に、艦船を沈められて敗北していった。八幡衆の大船には、大筒が搭載されているモノもあって、ミヅチに曳航される帆無八丈と呼ばれる大船が、太平洋側を制圧していったのである。
オランダやイングランドがインドからアジア諸国に広げると、日ノ本でも火縄銃の生産が始まり、大筒の生産も行われるようになっていた。白漆喰の構造船はコンクリート船であり、大砲でも穴が開き難いことから、イスパニアとの戦の中で、大型化して装甲が厚くなり、通常の大砲で撃ち抜けなくなっていった。
しかしながら、八幡衆の大船は、一家一門の船でもあるため、船団を組んで移動し、大船には家族で乗船することも多く、女子供が多く乗船していた。このため、旗艦が被害を受けそうになると、撤退することが多かった。
ヴァイキングのロングシップは、荒れるカリブ海では沿岸航行船であり、長距離航行にはロングシップに甲板と屋根を組み入れた、ロングシップが使われるようになり、ヴィンランド型と呼ばれた。ヴィンランド型は、「虐殺者」との戦いで、大型化と装甲が施されるようになり、イスパニアからは「亀船」と呼ばれるようになった。
ヴィンランド戦役は、欧州の政治情勢変化が反映されて、イスパニア、ネーデルランド、イングランド、フランスが入れ替わり戦争と貿易を繰り返していた。16世紀くらいからは、イロコイ連邦とネーデルランドやイングランドとの交易が始まり、奴隷売買を含めて、損得勘定の取引が始まるようになったのである。
「有るを無いと嘘吐くことはできても、無いを無いと証すことはできぬ」と言ったのは、十二代目竜胆八幡衆当主竜胆頼雪とされる。「虐殺者」にとっては、ヴィンランドは「黄金郷」を夢見る場所であり、一攫千金が得られる地という認識が消えなかった。
イロコイ連邦ができるまでのヴィンランドでの戦闘では、殲滅戦になることが多く、それぞれの部族は生き残りを賭けて、抗争を繰り返していた。竜胆八幡衆にしても、ネイションズとは幾つもの戦争を繰り返していて、生き残った結果としてヴァイキングや竜胆八幡衆は、イロコイ連邦の契約都ミルウォーキーに、「友人のHaudenosaunee」を建てたのである。
特にネイションズには、個人所有物に関して意識が希薄であり、大地を私有するという認識が無く、大地からの恵みは皆のモノという感覚がある。対して竜胆八幡衆は侍であり、「一所懸命」の言葉通り、土地を私有するために命を懸て戦ってきた歴史がある。竜胆とネイションズの争いは、土地からの収穫に対して私有権が存在しない部族と存在する部族の抗争で繰り返された。イロコイ連邦では、土地を神の領域として、各部族の神域という考え方をすることで、領有権を交渉できるようにしたのである。
損得勘定というのは、確かに人もあやかしも関係ないし、欧州人であろうと交渉は可能である。しかしながら、交渉の前提となる権利の概念と、交渉対象を対等とする立場は、明確にする必要があったのである。愛宕衆は欧州では人狼であり、モンスター扱いとなるし、鬼人や稲荷狐も同様び悪魔扱いとなる。
「瘴気」によって魔物となった人や獣と、あやかしの区別が欧州人にはできない。イロコイ連邦で「魔物祓い」を行うことは、魔物を殺して焼いて灰を川に流す行為を見た、欧州人が鬼人や人狼を狩って剥製にすることから抗争が生じることもあった。
16世紀にはいる頃には、純血種が少なく雑種が多くなり、見た目だけの違いとなっていく。竜胆八幡衆の地域は、人の姿をしている方が少なくなっていった。これは、西海岸だけでなくミシシッピ川流域にも広がっていったため、各地で人との抗争が頻発するようになったのである。特に天然痘の広がりから、竜胆八幡衆によって、焼却処分される村々まであり、防疫と虐殺の違いも、欧州人にとっては判断し難かったのである。
交易に伴う交渉が16世紀からとなるのは、疫病の蔓延を防げるようになり、イロコイ連邦の勢力圏が、ヴィンランド全域に広がってからである。西部のロッキー山脈を含めた山岳部あたりは、すべて竜胆八幡衆の神域扱いとなっていて、人狼や豹人、鳥人と欧州人が呼ぶモノ達が住まう地域となっていた。
ヴィンランド戦役は、一般には、「虐殺者」以降の戦役と呼ばれるが、これはイロコイ連邦成立後の話である。ヴァイキングが到着した11世紀に始まり、竜胆八幡衆が町を開拓した12世紀、イロコイ連邦が13世紀に生まれて安定するまでに100年ほどの歳月を必要としていた。
イロコイ連邦と南方の諸帝国とは、「白いポテチカ」との交易交渉はあっても、距離が遠く離れていることから、一定の平和が保たれていた。抗争が互いで発生しても、互いに地元で相手を捌いて殺していたので、戦役までは発生しなかったのである。
「虐殺者」がやってきた15世紀からは、欧州人との抗争が激化し、イロコイ連邦と南方諸帝国との抗争も激化していった。15世紀以降続く、欧州との抗争は、イスパニアからイングランド、フランスと国が変遷しながらも継続していった。戦場になったカリブの島嶼から湾岸全域は、壊滅的な打撃を受けて、諸帝国が戦争と疫病で崩壊し、瘴気によって魔物が発生し、さらに多くの被害をもたらしたのである。
17世紀には、史実の南アメリカ大陸は瘴気に満ち溢れた「魔樹海」と呼ばれるようになり、人にしてもあやかしにしても、沿岸部や島嶼地域に細々と暮らすようになっていった。
「虐殺者」との戦は、激動の時代をヴィンランドに呼び込むことになって、イスパニアにとってはイロコイ連邦との戦争として記録されている。これは跡からヴィンランドに到達する、ネーデルランドやイングランドにとっても同様の形となります。
利益を求めて、欧州からヴィンランドに向かい、インカ帝国などの諸国家を崩壊させ、黄金を欧州へと持ち出していった。カリブ海では、ヴァイキングとの海上戦闘で勝利しつつも、河川の近くではヴァイキング側が勝利することもあって、陸上ではヴァイキング側が有利となっていた。
ヴィンランドの東海岸では、ミヅチに乗って戦う八幡衆に、艦船を沈められて敗北していった。八幡衆の大船には、大筒が搭載されているモノもあって、ミヅチに曳航される帆無八丈と呼ばれる大船が、太平洋側を制圧していったのである。
オランダやイングランドがインドからアジア諸国に広げると、日ノ本でも火縄銃の生産が始まり、大筒の生産も行われるようになっていた。白漆喰の構造船はコンクリート船であり、大砲でも穴が開き難いことから、イスパニアとの戦の中で、大型化して装甲が厚くなり、通常の大砲で撃ち抜けなくなっていった。
しかしながら、八幡衆の大船は、一家一門の船でもあるため、船団を組んで移動し、大船には家族で乗船することも多く、女子供が多く乗船していた。このため、旗艦が被害を受けそうになると、撤退することが多かった。
ヴァイキングのロングシップは、荒れるカリブ海では沿岸航行船であり、長距離航行にはロングシップに甲板と屋根を組み入れた、ロングシップが使われるようになり、ヴィンランド型と呼ばれた。ヴィンランド型は、「虐殺者」との戦いで、大型化と装甲が施されるようになり、イスパニアからは「亀船」と呼ばれるようになった。
ヴィンランド戦役は、欧州の政治情勢変化が反映されて、イスパニア、ネーデルランド、イングランド、フランスが入れ替わり戦争と貿易を繰り返していた。16世紀くらいからは、イロコイ連邦とネーデルランドやイングランドとの交易が始まり、奴隷売買を含めて、損得勘定の取引が始まるようになったのである。
「有るを無いと嘘吐くことはできても、無いを無いと証すことはできぬ」と言ったのは、十二代目竜胆八幡衆当主竜胆頼雪とされる。「虐殺者」にとっては、ヴィンランドは「黄金郷」を夢見る場所であり、一攫千金が得られる地という認識が消えなかった。
イロコイ連邦ができるまでのヴィンランドでの戦闘では、殲滅戦になることが多く、それぞれの部族は生き残りを賭けて、抗争を繰り返していた。竜胆八幡衆にしても、ネイションズとは幾つもの戦争を繰り返していて、生き残った結果としてヴァイキングや竜胆八幡衆は、イロコイ連邦の契約都ミルウォーキーに、「友人のHaudenosaunee」を建てたのである。
特にネイションズには、個人所有物に関して意識が希薄であり、大地を私有するという認識が無く、大地からの恵みは皆のモノという感覚がある。対して竜胆八幡衆は侍であり、「一所懸命」の言葉通り、土地を私有するために命を懸て戦ってきた歴史がある。竜胆とネイションズの争いは、土地からの収穫に対して私有権が存在しない部族と存在する部族の抗争で繰り返された。イロコイ連邦では、土地を神の領域として、各部族の神域という考え方をすることで、領有権を交渉できるようにしたのである。
損得勘定というのは、確かに人もあやかしも関係ないし、欧州人であろうと交渉は可能である。しかしながら、交渉の前提となる権利の概念と、交渉対象を対等とする立場は、明確にする必要があったのである。愛宕衆は欧州では人狼であり、モンスター扱いとなるし、鬼人や稲荷狐も同様び悪魔扱いとなる。
「瘴気」によって魔物となった人や獣と、あやかしの区別が欧州人にはできない。イロコイ連邦で「魔物祓い」を行うことは、魔物を殺して焼いて灰を川に流す行為を見た、欧州人が鬼人や人狼を狩って剥製にすることから抗争が生じることもあった。
16世紀にはいる頃には、純血種が少なく雑種が多くなり、見た目だけの違いとなっていく。竜胆八幡衆の地域は、人の姿をしている方が少なくなっていった。これは、西海岸だけでなくミシシッピ川流域にも広がっていったため、各地で人との抗争が頻発するようになったのである。特に天然痘の広がりから、竜胆八幡衆によって、焼却処分される村々まであり、防疫と虐殺の違いも、欧州人にとっては判断し難かったのである。
交易に伴う交渉が16世紀からとなるのは、疫病の蔓延を防げるようになり、イロコイ連邦の勢力圏が、ヴィンランド全域に広がってからである。西部のロッキー山脈を含めた山岳部あたりは、すべて竜胆八幡衆の神域扱いとなっていて、人狼や豹人、鳥人と欧州人が呼ぶモノ達が住まう地域となっていた。
ヴィンランド戦役は、一般には、「虐殺者」以降の戦役と呼ばれるが、これはイロコイ連邦成立後の話である。ヴァイキングが到着した11世紀に始まり、竜胆八幡衆が町を開拓した12世紀、イロコイ連邦が13世紀に生まれて安定するまでに100年ほどの歳月を必要としていた。
イロコイ連邦と南方の諸帝国とは、「白いポテチカ」との交易交渉はあっても、距離が遠く離れていることから、一定の平和が保たれていた。抗争が互いで発生しても、互いに地元で相手を捌いて殺していたので、戦役までは発生しなかったのである。
「虐殺者」がやってきた15世紀からは、欧州人との抗争が激化し、イロコイ連邦と南方諸帝国との抗争も激化していった。15世紀以降続く、欧州との抗争は、イスパニアからイングランド、フランスと国が変遷しながらも継続していった。戦場になったカリブの島嶼から湾岸全域は、壊滅的な打撃を受けて、諸帝国が戦争と疫病で崩壊し、瘴気によって魔物が発生し、さらに多くの被害をもたらしたのである。
17世紀には、史実の南アメリカ大陸は瘴気に満ち溢れた「魔樹海」と呼ばれるようになり、人にしてもあやかしにしても、沿岸部や島嶼地域に細々と暮らすようになっていった。
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