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歴史概略 いかなる理由があろうとも、殺人は罪なのです

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 2020年の世界ではすべての国で、殺人が罪であるとは限らないが、大量殺人は罪であるとされている。欧米では、「正義の殺人」が存在するらしく、哲学という授業の中で講義が行われている。

 「Conquistador虐殺者」として扱うのは、ヴィンランドに住まう人間にとってであり、送り出す側からすれば黄金を運ぶ英雄ということになる。ラス・カサスが「A Short Account of the Destruction of the Indies」という報告がなされた例はあっても、それは虐殺そのものが起きた後からの報告でしかない。

 「殺人」ということを、すべての国で罪としなければ、本質的には解決にはならない。

 宵闇では、「殺人」はすべて罪であり、「正義の殺人」は、存在しないという前提で、罪に対して「罰の有無」について議論が存在する形としている。戦争による殺人もまた、殺人罪である。しかしながら、罰則が適用されるのは命令した上官および国家であって、実行者に罰則は原則として適用されないということになる。つまりは、戦争での殺人も人殺しであるという前提で、罰を受けるかどうかが、議論の対象ということになる。

 戦人というのは、人を殺すことが商売であり、戦うことを生業なりわいとしている。

 日本では信長が好んだことで、「敦盛」が知られているが、少年であった平敦盛を殺した、源氏方の熊谷直実が、少年を殺した罪から世を儚む話である。この話は、少年でなければ殺して良いということでなく、未熟なモノを討つことへの強者の「ためらい」が生んだ罰を求める行為であり、強者つわものとの闘いを求める戦人のkarmanを描いた話である。

 日ノ本では、魂あるモノを対象とするため、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もあって、人の生き血を吸う蚊を殺すのも、魂を持つモノを殺したことになる。草木や石にもまた、魂があるとして、獣を殺しても穀物を殺しても、殺して喰うことに違いそのものは無いとしている。
 欧米では、犬猫は殺すことが罪とされるが、牛や豚は殺すことが罪にならない。ファンタジーの中で、オークやオーガが殺しても罪にならない敵で描かれながら、エルフを殺すのは罪にされることが多いのは、欧米から受けた思想の影響である。

 宵闇では、殺すことは原罪であるが、喰らうことについては、原罪であるとはしていない。原罪の贖いとして、喰らうという行為が部族によってあるため、喰らう行為について原罪として扱うことができない。特に喰わなければ生きていけない以上は、獣や草木の命を狩る必要があり、結果として喰らう行為は罪にできないことになる。

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