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TRPGって何ですか?

歴史概略 人って何でしょうか?

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 人の定義とは、難しいモノである。

 お爺ぃは、あやかしひとならざるものという表現をした。西洋的に言えば、亜人demi-humanという表現になり、人間と別種扱いしている。

 「虐殺者Conquistador」が、史実のアメリカ大陸に渡り、虐殺を繰り返し、虐殺者が大陸に持ち込んだ疫病によって、人工の半数以上を失った。結果として、政治的な混乱が生じたインフラや技術・文化を維持することが徐々に困難になり、徐々に組織体制そのものが壊滅していったという事実がある。

 「虐殺者Conquistador」は、宗教というものを、都合よく使い分けるため、異教徒は人間ではないから、殺しても両親の呵責が生じない。男を殺して女を犯しても、それは人間の女を犯しているのではなく、獣姦しているようなモノである。

 肌の色で差別が生じて、今もなお問題が生じるのは、人間の認識が人によって異なるためである。欧米の人たちにとって、公的Publicな状況での判断と私的Privateでの対応が異なるのは、当たり前のことである。公的Publicな会合では握手していても、私的Privateなホームパーティに呼んだりはしないし、子供が私的Privateに付き合うのも反対することもある。それが、欧米人の言う「大人の対応」である。






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 見目形が人から離れて異なれば、人という定義ができないということで、さらに問題が酷くなっていくことになる。
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 昔のSFなのだが、私が一番気に入っている作品に、ロバート・A・ハインラインの「ラモックス」という作品があり、知的生命体に関する定義が"白鳥座憲章(新しい完訳版では、白鳥座決議となっている)"という形で掲載されている。「言語および操作可能な手を有する生命体は、とくに反証が無い限り、知的生物と認定される。したがって、人間固有の権利はすべて認められなければならない」という規定がなされている。

 これは、知的生物という定義の形のひとつであり、知的生命体が人間だけでなくなった場合の話ということになる。さらに「ラモックス」という生体は、長命種と短命種の話でもあるので、SF作品の一つの流れを生み出した作品でもある。

 も○のけ姫に出てくる、乙事主や猩々といった「もののけ」は、欧米では精霊かモンスター扱いでしかない。シシ神もまた、日ノ本の神らしく、恵みの神であり禍ツ神でもある。

 宵闇の中では、あやかしひとならざるものは人ではなく、神社の眷属しんしという形で扱っている。混血が進むことで、人とあやかしひとならざるものの境界があやふやになり、「なにわ」の市街地では、ある程度棲む場所が異なるだけで、一緒に暮らしている形になっている。

 宵闇の四国は、人よりもあやかしひとならざるものが多く住まう地域であるが、空海上人によって稲荷狐が住むことが許されない地域とされている。四国では湯女狐ではなく、湯女狸が杜湯で働いている。

 宵闇では、亜人demi-humanという表現は無い。日ノ本では眷属しんしという扱いとなっていて、あやかしひとならざるものと人が区別されている。ヴィンランドでは部族の違いという形をとっている。イロコイ連邦では竜胆という地域に、見目形が違う様々な部族が住んでいるという形をとっている。部族間の混血が進む中で、人間については正確な定義はできなくなっている。
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