琉球お爺いの綺談

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宵闇胡蝶綺譚:転生者は繋ぐ天下を治めた男、三好長慶

宵闇胡蝶綺譚:転生者は繋ぐ。天下を治めた男、三好長慶 火薬は中国の発明品です

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 夜、褥に入ろうとすると、結構大きな爆音がした。幾つか続けて、爆音が響く。

「なんじゃ」

「え。何」

 愛宕衆が、飛び込んできて、報告する。抜け荷を働く、南蛮船があって、砲撃を行っているとのことだった。

「大砲があるの、蓮」

「大砲、、、あぁ、大筒のことか。あるぞ、難波湊の城には、30門くらい備えておる」

「抜け荷って、何を運ぶの」

「どうであろうな。多いのはあやかしひとならざるものじゃな」

あやかしひとならざるものって、あッ」

「わかったか、長慶」

 狐火や狸炎、鬼火と、妖しい妖術を使えるあやかしひとならざるものは、奴隷交易を主とする南蛮にとっては獣扱いであった。日ノ本では、神社の眷属しんしであり、杜湯だけでなく、製塩、製鉄、鋳造、漆喰窯といった、様々な高エネルギーを必要とする職場で働いていた。

 南蛮では、奴隷をグラン・イスパーナへ売り捌いて、砂糖を生産して、欧州に送って儲けを出していた。

「南蛮船と戦えるの」

 当時の南蛮船は、大砲を積んだ、強力な船のイメージがあった。

「さして強うは無いぞ。大砲で穴が開けば沈むのは、和泉松浦の大船より簡単じゃ」

「和泉松浦の大船は沈まないの」

「そうじゃ、竹編みの白漆喰ローマンコンクリートを五層も重ねると、そう簡単に大筒では抜けぬよ」

 えっと、コンクリート船って、あぁ、日本でも武智丸とかがあったね。第二次世界大戦時に、鉄の不足から材料の安い、コンクリートを使った船を建造していた。

 蓮に話を聞くと、竹ひごを編み上げて形を作り、白漆喰ローマンコンクリートを塗って固める。これを積層すると、非常に頑丈な構造体が出来上がるのを利用して、船体構造を作り上げる白漆喰ローマンコンクリート船が多く造られているそうだ。

 蓮は、手早く身支度を整えると、そのまま本殿に向かっていった。俺も急ぎ、身支度を整えて、本殿に向かう。

 本殿には、既に、渡辺党の頭が、集まっていた。稲荷の狐衆が、狐火を灯して、照らしていた。

「民は無事かや」

「船を沈めたので、ミヅチ衆が捜索しておりますので、多くは助け出せると思います」

 船内に奴隷が居たことで、出港が禁止されていた船が、夜陰に紛れて出港しようとして、沈めてからの対応となっていた。

「そうか、逃がさぬことの方が大切故、沈めるのは構わぬ。よぉやったぞ。されど、出来る限り助けるのじゃ、助けた後で、罪を償わせねばならぬ」

「「「はッ」」」

 32人の乗員に、百人程の奴隷が、船室に詰め込まれていた。救い出せた奴隷は、53人で、乗員は27人であった。53人の奴隷については、所有権そのものは、イスパニアの商人にあったので、南蛮商人バリヤーノ・バスクが、奴隷の引き取りに来ていた。

「困ったモノじゃ、バリヤーノ。連れ出してはならぬと言うたハズじゃ」

「私が買ったモノを、どうしようと構わぬハズです」

「困ったモノじゃ、そなたは、日ノ本の法を知らぬ」

「日ノ本の法」

「日ノ本の民は、公民まつろう民じゃ、売買は許されても、外ツ国へ連れ去るは許されておらぬ」

「日ノ本が民は外ツ国に行くことができる。借金を返すためであれば、どこで働いても良かろう」

「売買の結果として奴隷となっておろうと、日ノ本の民であることは変わらぬ。外ツ国へ運ぶのは禁止じゃ」

あやかしひとならざるものは、人ではないのであろう」

あやかしひとならざるものは、社に仕える眷属しんしなれば、売買も許されぬぞ」

「我らは、教会より認可を受けた、交易商。日ノ本の法には縛られることはない」

「そんなことは、わらはの知らぬことじゃ、日ノ本の法に従って、そなたらを裁くだけじゃ」

「船を沈めることで、船員や奴隷を殺したのは、どうなのだ。罪では無いのか」

「それは、妾《わらは》の罪じゃ、だからと言って、そなたの船を逃がすことはできぬ」

「ふざけんなッ。船の賠償と、奴隷を返してもらおう」

「返せぬな。そなたには、あやかしひとならざるものの売買は禁止じゃと言ったハズじゃ。船に居ったのは、湯布院の湯女狐じゃ、言い逃れはできまい」

「大友の殿に許諾を受けた」

「それは、大友の殿が犯した罪じゃ、あやかしひとならざるものの売買に、大友の殿に許諾などできぬ」

「それは、そちらの問題であろう」

「バリヤーノ。売買を含めて、大友殿が失策じゃ。ツケは、大友殿に回せばよかろう」

「それは、、、」

 結局、半数近い犠牲を出したが、奴隷売買された、あやかしひとならざるものの救出に成功した。湯布院の湯女狐だけでなく、人を母とする湯女を含めた救出行となった。

 大友家だけでなく、九州を中心に、幾つかの大名は、交易のメリットから、自国民を売り払う者も多かったのである。銃火器だけでなく、運用で必要となる、火薬や硝石に鉛といった消費材料の確保が、もっとも大変であった。

 蚕や鶏糞の処理にあたって、ヨモギに麻ノ葉や籾殻を混ぜて、屎尿を加えて、加熱発酵させることで、煙硝の生産が行われていた。平清盛の頃、「火薬之方調合次第」を記した、轟天雷凌振が、宋国の皇帝が連れ去られる事件があって後、混乱する宋国を逃れて、日ノ本に亡命してきた。轟天雷凌振によって、火薬の製法と青銅製大筒の製法が持ち込まれた。平清盛が安徳帝のために、御座船を建造した折に、轟天雷の大筒を搭載した。

 宋国は、宋江を頭領とする、水滸伝の英雄たちを、皇帝は悪臣の讒言を鵜呑みにして裏切った。結果的に、多くの心ある者達が、宋国を離れることになる。特に、金国の華北侵攻によって、皇帝一族の大半を連れ去られるという「靖康の変」が発生した。金国は、後宮の皇太后、皇后、妃嬪、皇女、公主、女官、宮女を含めた、女達を娼婦として連れ去った。皇帝徽宗もまた、妻や娘を奪われ、戦闘前に徽宗から帝位を継いだ欽宗もまた、連れ去られるという事態となった。後宮の美姫達を娼婦として、「洗衣院」と呼ばれる妓楼に封じたのである。

 北宋が滅び、南宋が興ったが、宋国の官僚腐敗は、英雄「岳飛」が生まれながら、「岳飛」を謀殺するという結果を招いた。岳飛の子供達と、水滸伝の生き残りが、扈成に協力して、「洗衣院」から皇太子を含めた、皇后や寵姫、皇女達を含めて、奪還作戦を実行した。奪還作戦は、成功したものの、内部抗争の中で、李俊や燕青達が、日本のリアルチート為朝と協力して、扈成を倒した。史実の小笠原諸島を嵯峨院へ寄進、宋ヶ島と名付けて、宋国帝室霊廟、宋公明を含めた祖霊の霊廟を築いた。

 平安期には、青銅で鋳造するのがやっとであったが、鎌倉末期に鉄で鋳造できるようになっていた。轟天雷の一族は、大輪田泊に住んでいたが、源平合戦後に難波に移り住み、難波港の城に鋳鉄製の大筒が完成していた。

 南蛮船からの反撃を受けたが、石垣を白漆喰で固めた難波津守の壁は、崩れることなく倍以上大筒で反撃し、南蛮船を沈めたのである。日ノ本で、塩硝の生産が始まったのは、鎌倉に入ってからである。鎌倉末期の動乱から、各地で火薬の生産量が徐々に増加し、戦国期に入って銃が流入し、国内でも生産されるようになると、塩硝の生産量は加速度的に拡大していったのである。

 火薬を使った兵器は、火箭や火槍を含め、大陸で発達して、東西へと広がっていった。日本に、火薬の材料が入ってきたのは、かなり古い時代からと考えられる。また、火薬の製法そのものから、調合の比率などが重要とされる。「火薬」の本質は、燃焼速度の速さであり、燃焼速度の調整は、火薬武器の種類によっても異なる。手筒花火や龍勢が、日ノ本各地で、伝承されていることから、火薬兵器そのものが、現在の史実と異なる可能性は、極めて高いと考えられる。
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