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幕間1 日ノ本「黒歴史」
幕間の1 仁義無き闘争「倭国大乱」
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お爺ぃが定義する「倭国大乱」は、縄文後期に大陸から、大規模な人員動員し作業に従事させるという、規約が伝わったことで始まったとしています。そして、「倭国大乱」の終焉は、陸奥から薩摩までの国府設置と、国分寺建立による、「国号・国体」の確立までとしています。
その期間は、最長で見れば、千年に渡る期間になるのです。
古代史で人気の卑弥呼は、この「倭国大乱」の一時期に、平穏な時代を築いた女王ということになります。
紀元前1000年頃、「論衡」の中では、倭人が周に暢草を貢す。この記述は、日本から長江地域に海を渡った倭人であったと言われています。紀元前数万年前から、日ノ本に住んでいた倭人は、鬼界カルデラの破局噴火によって、住むことが難しくなった、西南諸島から九州南部地方を離れ、長江流域に渡った者達、台湾さらに太平洋の島々へ住民達が移動したことが知られています。
日ノ本の海洋民族、海人系の渡航者達だけでなく、縄文期に大海原を駆ける様々な海人が、太平洋だけでなく、東シナ海にも現れていて、片道切符に近い交流が行われたのは、間違いないようです。北太平洋旋廻を使った、広域移動は、片道切符によって、DNA研究の符号からすれば、遥か南米までの旅をしているのです。
紀元前1000年頃くらいまでは、苦しい時代に助け合う縄文文化を生み出した、平穏な時代であったのだと思います。
安土城考古博物館で縄文期の展示をしていたので、遊びに行った。一万年以上前の土偶(一部レプリカ)を見に行ったのだが、小さいことに納得した。形状からしても、何か良く分からない子供の遊びみたいな形をしている土偶?であった。おそらくは、土偶という形になる以前、きっと土器を造った、残りを使って作ったのだろうと思いました。
土偶が、徐々に大型化するのは、なんらかの祭祀に使われるようになったためと推定されます。現在、住んでいる滋賀県は、縄文一万年の間、人が住み着いて、定住していた地域であったようです。さすがに日ノ本最大の淡水湖である、淡海らしいお話です。
琵琶湖は湖岸地域は、秋風が吹く頃から、水位が下がっていって、春先の雪解けによって水位が上昇していく、自然に造られた水田地帯でもあったようです。大きな水位変動もあって、縄文早期は、かなり水位が低下していたらしいというのは、湖底に貝塚があることから類推されます。博物館で購入した、琵琶湖湖底の遺跡を掘るに記載されています。
縄文期における、琵琶湖の水位変化は、最初は、葦原を栽培するのに使われたようです。
1.水位が低下した葦原を、春先に焼き払って、肥料とすることで、葦原の成長を促進します。
2.葦原の成長と共に、たくさんの鯉、鮒、鯰などが、産卵と成長の住処とします。
3.秋風が吹く頃には、数メートルに成長した葦原となります。
4.刈り取った葦は、丸立と呼ばれる形に纏められて、乾かして建材や薪とします。
1.2.3.4.を一年に繰り返していくのが、琵琶湖の生活であったようです。家の周囲には、堅果類を植樹して、採取生活をしつつ、漁を計画的に実施する。そんな、縄文期の定住生活が、琵琶湖の遺跡は、よみがえらせてくれます。
1.2.3.4.の流れは、南方から稲が渡来すれば、そのまま自然の水田となって、人々の採取生活を豊かにしていきます。
縄文晩期から弥生期に生じた変化は、日ノ本における植生の変化となっていったことになります。アクが強く、アク抜きを丁寧にしなければ食べられない、堅果類から稲への変化でもありました。
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大陸で殷周時代が終焉を迎えたことは、大陸で諸子百家が生まれる、春秋戦国時代の始まりでもありました。戦乱の時代に、遥か東方へと亡命する者達が居たのは、歴史の事実でもあります。
彼らが、日ノ本にもたらしたモノは、大規模土木工事を推進することができる、規約なのです。銅剣や鉄剣は、副産物でしかありません。時代を変えたのは、万単位の人間を土木作業や戦争に駆り出すことができた規約そのものです。
弥生世代というべき人々が生まれたのは、大人数を動員し作業に従事させることが可能な、官僚技術や技術集団の結果でありました。万単位の人間を、作業を分配し実行させる、規約そのものは、膨大な耕地開拓に成功しました。大和だけでなく、摂津、河内、和泉、山城、近江へと広がった墾田開発は、莫大な食料生産から生じる国力と、万単位の人員動員能力を、畿内にもたらしました。
悪いことをする、渡来人がやってきたということになりますが、官僚による統治技術、人員動員力が、戦争を悲惨にしたのは事実ですが、渡来人そのものは、規約を伝えたに過ぎません。渡来人が、弥生にもたらした官僚機構は、大人数を動員し作業させる知識・技術を浸透させ、弥生世代による時代の流れを築いたことになります。
弥生世代が行ったのは、作業を少数のプロが行う、小規模なモノではなく、千単位万単位で人員を動員して、土木治水作業や戦争を遂行するという、知識・技術なのです。
弥生世代は、少数のリーダーに率いられた血族集団から、幾つもの血族集団を含めた支配体制を確立するという、官僚体制という規約がもたらした、日ノ本各地に国家体制を確立していった時期でもあったのです。
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縄文期の戦は、喧嘩に等しく、数人から多くても百人程度が、投石や殴り合いを中心とした殺し合いの時代であったろうと思います。相撲や骨法を含めて、柔術や古武道の話からすれば、現在の格闘技で使うような柔らかいマットではなく、硬い地面の上で、相撲や柔術で投げれば、普通に人は死にます。
部族同士の戦争が、一人の英雄で遂行できる時代でもあったのです。
弥生期は、銅剣や鉄剣が現れた時期でもありますが、一番の問題は、集団戦が登場したことにあります。縄文世代と弥生世代の違いは、喧嘩から戦争への変化です。
困ったことに、畿内を含めた諸国家の成長は、弥生世代がもたらした変化でもありました。正直に言えば、一人の英雄を、数百人で虐殺する、国家組織が形成される時代でもあったのです。弥生世代は、ドライに対処して、縄文世代は、ウェットに対処したということになります。
血族集団の寄り合い所帯が、ゆるやかな連合を形成していたのが、縄文国家群とすれば、力と数の正義という、殺伐とした規約をもたらしたのが、弥生国家群ということになるのです。
日向から筑紫に移り、畿内に分かれた、ヤマト国は、この殺伐とした規約を利用することで、急激に成長していきます。しかしながら、出雲、備(美)、丹、越といった強大な敵も、規約を吸収することで、急激に成長していくことになります。
かつては、地域と地域の距離と、日ノ本の急峻な地形や河川が隔てていた勢力圏も、大規模な人員動員を可能とする規約確立は、徐々に紛争の種ともなっていきます。
争いを治めるために、数代に渡って、婚姻の契りを交わしていけば、互いに血族関係は重なり、継承権を巡る争いともなっていきます。
倭国大乱は、本当の意味で、「仁義なき戦い」が行われた時代であったのです。
謀殺や暗殺、騙し討ちや闇討ちが、当たり前に実行され、婚姻の契りが利用された時代でもあったのです。畿内は、大規模な治水土木事業を起こせる地域が多く、河内湖を抱える難波、巨椋池を抱える山城は、交易面からも食料生産量からも、大規模な土木治水作業によって、富国強兵を実施できた地域であったと言えます。
近隣諸王家との婚姻を結び、大王となった畿内は、初期は連合王国を築いていったのです。連合王国としての畿内の前途は多難であった。出雲や備(美)、越、丹といった強国があり、不破の関より東には、蝦夷が跳梁跋扈していました。さらに、血族である、日向や筑紫も、王位継承で争い合う相手であったのです。
越を婚姻関係で味方につけつつ、分割統治を謀り、各王家の後継紛争を利用しながら、備(美)の分割統治を進め、暗殺や闇討ちを繰り返して、出雲を骨抜きにする。筑紫を味方としながら、日向を征した筑紫を、日向の残存勢力と結んで騙し討つ。
並行するようにして、不破の関を東に出でて、蝦夷征伐を進めていきます。
古事記や日本書紀を読み進め、当時の状況を検証すればするほどに、凄まじいまでの殺戮抗争の群像劇が浮かび上がってきます。本当に倭国大乱は、凄まじいまでの殺戮抗争劇であったことは、間違いありません。
畿内が、勢力を伸ばせば伸ばすほどに、畿内の後継紛争も激化の一途を辿ります。
最終的に、勝者となったのが、畿内であったというに過ぎないのです。
その期間は、最長で見れば、千年に渡る期間になるのです。
古代史で人気の卑弥呼は、この「倭国大乱」の一時期に、平穏な時代を築いた女王ということになります。
紀元前1000年頃、「論衡」の中では、倭人が周に暢草を貢す。この記述は、日本から長江地域に海を渡った倭人であったと言われています。紀元前数万年前から、日ノ本に住んでいた倭人は、鬼界カルデラの破局噴火によって、住むことが難しくなった、西南諸島から九州南部地方を離れ、長江流域に渡った者達、台湾さらに太平洋の島々へ住民達が移動したことが知られています。
日ノ本の海洋民族、海人系の渡航者達だけでなく、縄文期に大海原を駆ける様々な海人が、太平洋だけでなく、東シナ海にも現れていて、片道切符に近い交流が行われたのは、間違いないようです。北太平洋旋廻を使った、広域移動は、片道切符によって、DNA研究の符号からすれば、遥か南米までの旅をしているのです。
紀元前1000年頃くらいまでは、苦しい時代に助け合う縄文文化を生み出した、平穏な時代であったのだと思います。
安土城考古博物館で縄文期の展示をしていたので、遊びに行った。一万年以上前の土偶(一部レプリカ)を見に行ったのだが、小さいことに納得した。形状からしても、何か良く分からない子供の遊びみたいな形をしている土偶?であった。おそらくは、土偶という形になる以前、きっと土器を造った、残りを使って作ったのだろうと思いました。
土偶が、徐々に大型化するのは、なんらかの祭祀に使われるようになったためと推定されます。現在、住んでいる滋賀県は、縄文一万年の間、人が住み着いて、定住していた地域であったようです。さすがに日ノ本最大の淡水湖である、淡海らしいお話です。
琵琶湖は湖岸地域は、秋風が吹く頃から、水位が下がっていって、春先の雪解けによって水位が上昇していく、自然に造られた水田地帯でもあったようです。大きな水位変動もあって、縄文早期は、かなり水位が低下していたらしいというのは、湖底に貝塚があることから類推されます。博物館で購入した、琵琶湖湖底の遺跡を掘るに記載されています。
縄文期における、琵琶湖の水位変化は、最初は、葦原を栽培するのに使われたようです。
1.水位が低下した葦原を、春先に焼き払って、肥料とすることで、葦原の成長を促進します。
2.葦原の成長と共に、たくさんの鯉、鮒、鯰などが、産卵と成長の住処とします。
3.秋風が吹く頃には、数メートルに成長した葦原となります。
4.刈り取った葦は、丸立と呼ばれる形に纏められて、乾かして建材や薪とします。
1.2.3.4.を一年に繰り返していくのが、琵琶湖の生活であったようです。家の周囲には、堅果類を植樹して、採取生活をしつつ、漁を計画的に実施する。そんな、縄文期の定住生活が、琵琶湖の遺跡は、よみがえらせてくれます。
1.2.3.4.の流れは、南方から稲が渡来すれば、そのまま自然の水田となって、人々の採取生活を豊かにしていきます。
縄文晩期から弥生期に生じた変化は、日ノ本における植生の変化となっていったことになります。アクが強く、アク抜きを丁寧にしなければ食べられない、堅果類から稲への変化でもありました。
<<<<<>>>>>
大陸で殷周時代が終焉を迎えたことは、大陸で諸子百家が生まれる、春秋戦国時代の始まりでもありました。戦乱の時代に、遥か東方へと亡命する者達が居たのは、歴史の事実でもあります。
彼らが、日ノ本にもたらしたモノは、大規模土木工事を推進することができる、規約なのです。銅剣や鉄剣は、副産物でしかありません。時代を変えたのは、万単位の人間を土木作業や戦争に駆り出すことができた規約そのものです。
弥生世代というべき人々が生まれたのは、大人数を動員し作業に従事させることが可能な、官僚技術や技術集団の結果でありました。万単位の人間を、作業を分配し実行させる、規約そのものは、膨大な耕地開拓に成功しました。大和だけでなく、摂津、河内、和泉、山城、近江へと広がった墾田開発は、莫大な食料生産から生じる国力と、万単位の人員動員能力を、畿内にもたらしました。
悪いことをする、渡来人がやってきたということになりますが、官僚による統治技術、人員動員力が、戦争を悲惨にしたのは事実ですが、渡来人そのものは、規約を伝えたに過ぎません。渡来人が、弥生にもたらした官僚機構は、大人数を動員し作業させる知識・技術を浸透させ、弥生世代による時代の流れを築いたことになります。
弥生世代が行ったのは、作業を少数のプロが行う、小規模なモノではなく、千単位万単位で人員を動員して、土木治水作業や戦争を遂行するという、知識・技術なのです。
弥生世代は、少数のリーダーに率いられた血族集団から、幾つもの血族集団を含めた支配体制を確立するという、官僚体制という規約がもたらした、日ノ本各地に国家体制を確立していった時期でもあったのです。
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縄文期の戦は、喧嘩に等しく、数人から多くても百人程度が、投石や殴り合いを中心とした殺し合いの時代であったろうと思います。相撲や骨法を含めて、柔術や古武道の話からすれば、現在の格闘技で使うような柔らかいマットではなく、硬い地面の上で、相撲や柔術で投げれば、普通に人は死にます。
部族同士の戦争が、一人の英雄で遂行できる時代でもあったのです。
弥生期は、銅剣や鉄剣が現れた時期でもありますが、一番の問題は、集団戦が登場したことにあります。縄文世代と弥生世代の違いは、喧嘩から戦争への変化です。
困ったことに、畿内を含めた諸国家の成長は、弥生世代がもたらした変化でもありました。正直に言えば、一人の英雄を、数百人で虐殺する、国家組織が形成される時代でもあったのです。弥生世代は、ドライに対処して、縄文世代は、ウェットに対処したということになります。
血族集団の寄り合い所帯が、ゆるやかな連合を形成していたのが、縄文国家群とすれば、力と数の正義という、殺伐とした規約をもたらしたのが、弥生国家群ということになるのです。
日向から筑紫に移り、畿内に分かれた、ヤマト国は、この殺伐とした規約を利用することで、急激に成長していきます。しかしながら、出雲、備(美)、丹、越といった強大な敵も、規約を吸収することで、急激に成長していくことになります。
かつては、地域と地域の距離と、日ノ本の急峻な地形や河川が隔てていた勢力圏も、大規模な人員動員を可能とする規約確立は、徐々に紛争の種ともなっていきます。
争いを治めるために、数代に渡って、婚姻の契りを交わしていけば、互いに血族関係は重なり、継承権を巡る争いともなっていきます。
倭国大乱は、本当の意味で、「仁義なき戦い」が行われた時代であったのです。
謀殺や暗殺、騙し討ちや闇討ちが、当たり前に実行され、婚姻の契りが利用された時代でもあったのです。畿内は、大規模な治水土木事業を起こせる地域が多く、河内湖を抱える難波、巨椋池を抱える山城は、交易面からも食料生産量からも、大規模な土木治水作業によって、富国強兵を実施できた地域であったと言えます。
近隣諸王家との婚姻を結び、大王となった畿内は、初期は連合王国を築いていったのです。連合王国としての畿内の前途は多難であった。出雲や備(美)、越、丹といった強国があり、不破の関より東には、蝦夷が跳梁跋扈していました。さらに、血族である、日向や筑紫も、王位継承で争い合う相手であったのです。
越を婚姻関係で味方につけつつ、分割統治を謀り、各王家の後継紛争を利用しながら、備(美)の分割統治を進め、暗殺や闇討ちを繰り返して、出雲を骨抜きにする。筑紫を味方としながら、日向を征した筑紫を、日向の残存勢力と結んで騙し討つ。
並行するようにして、不破の関を東に出でて、蝦夷征伐を進めていきます。
古事記や日本書紀を読み進め、当時の状況を検証すればするほどに、凄まじいまでの殺戮抗争の群像劇が浮かび上がってきます。本当に倭国大乱は、凄まじいまでの殺戮抗争劇であったことは、間違いありません。
畿内が、勢力を伸ばせば伸ばすほどに、畿内の後継紛争も激化の一途を辿ります。
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