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第二十章 合意
しおりを挟むそれは、話し合いの結果ではなかった。確認も、約束もない。
ただ、誰も止めなかった。それだけ。
翌朝、絢聖は、いつも通り目を覚ました。目覚ましは、鳴っていない。
でも、時間は分かる。生活は、まだ、壊れていない。その事実が異様だった。
悠は、キッチンにいた。
「おはよう」
声は、平ら。悠は、夜の熱を朝に持ち越さない。それも、いつも通り。
「おはよう」
絢聖も、同じように返す。
何も、起きていないみたいに。現実味がない、日常。それが、ここにある。朝食に響く箸の音。皿の触れる音。
どれも、変わらない。悠は、絢聖を見ている。だが、見抜こうとはしない。見ないという選択。
現実を維持するための行為。それが、はっきり分かる。
「今日、休もうと思って」
悠が言う。理由は、言わない。聞いてはいけない。聞かないことが、優しさになる段階に入っている。
「分かった、僕は休まないけど。在宅に切り替えようと思ってる」
——この人は、もう、知っている。間に合わないことを。
——でも、確かめない。
確かめなければ、選ばなくて済むから。それが、悠の選択。
昼過ぎ、秋頼から連絡が来る。短い。
「身体は大丈夫か?」
それだけ。あの日、行為があったことをなかったことにしていない一文。
「はい」
一言だけ返す。それ以上、続けない。言葉を重ねたら、合意になる。それを、二人とも避けている。
悠は、家から一歩も出ない。話しかけてもこない。しかし、その沈黙は、責めではなく、配慮だ。考える時間を与えてくれている。それが、痛いほど分かる。
夜、秋頼の家へ行く。それが、逃げだと分かっていながら。
用事は、ない。理由が要らなくなった時点で、関係は変質している。
「……来たか」
秋頼は、それだけ言う。驚かない。拒まない。
「こんばんは」
絢聖は、靴を脱ぐ。いつもと同じ動作。でも、意味は違う。二人で向かい合って座る。
距離は、この前より少しだけ遠い。続けるという選択は、近づくことだけじゃない。離れないことでもある。
「……この前のことは」
秋頼が言いかけて、止める。
「言わなくていい」
絢聖が先に言う。声は、落ち着いている。合意を言語化しないための選択。
秋頼は、小さく息を吐く。それ以上、踏み込まない。ここに、留まるために。それが、二人のやり方。
帰宅すると、悠はリビングにいた。ソファーに座って、灯りもつけずに。
「おかえり」
声は、静かだ。
「ただいま」
その二言で、十分だった。問いがない。答えも要らない。
その夜、三人は、それぞれ別の場所で眠った。
だが、関係は一つだった。誰も、終わらせなかった。誰も、修正しなかった。だから、続いてしまった。
翌日も、その次の日も、同じように時間が流れる。
日常は、崩れない。崩れないことが、一番の
地獄だと、まだ、誰も口にしない。
三人は、理解している。言葉にした瞬間、選ばなければならなくなる。選べば、必ず誰かが壊れる。だから、選ばない。
続けてしまう。それが、この関係の合意だった。
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