カゴの中のツバサ

九十九光

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のが関の山だった。
 学校も前述の通り、いじめへの対策方法がまるで存在しない機関だった。
物流と自動車産業で国内トップシェアを誇る大企業の援助の下、未来の国のリーダーにふさわしい学力を持つ子供を育成するという、肩書きこそすべてと信じる大人たちが飛びつきそうな理念を打ち出すだけの、創立八年目の若い学校だった。ツバサのような子供に対しての接し方マニュアルすら確立しておらず、そこに経験の薄い若い教師と、教師が子供に暴力をふるうのが当たり前と考えてきたベテラン教師ばかりが集まっているとなると、ツバサのことを親身に考えてやれる人材はいなくて当然になってしまった。
 こんな生活が五年も続けば、多感な小学生の弱い心が崩壊するのは、当然の結果とも言えた。
 いつしかツバサからは、心というものが消えてしまっていた。
 母親の当たりが厳しくなりはじめた当初は、「どうして自分だけ? どうして自分だけこんなに言われなきゃいけないの?」と、子供ながらに当然の疑問を抱いていた。しかし、周りの人たちさえ自分の敵に回るようになり、何をしてもひどい結果へと向かうようになると、もうツバサは考える気力も放棄してしまった。「自分が他人と違うから……。」という命題も、頭の中のどこか分からないところへ失くし、罵声と暴力に無関心になった。自分から誰かとコミュニケーションをとるようなことは一切しなくなり、友達と呼べるような人を作らないどころか、目の前で落とし物をした人に一声かけるといったことすらしない。目の前に出された物理的な課題を、定期的に中身が交換される餌箱をつつく籠の中の小鳥のように、何の達成感も使命感も充実感も感じずにこなすだけの人間になっていた。
 ツバサは今日も、白を中心とした清潔感しかない塾の一室で、真実を知る意欲さえない講師の男から説教を浴びせられた。シャープペンシルを握った時間より、はるかに長い時間だった。
 そんな塾での一時間半が終わり、ツバサはほかの塾生の後に続いて、塾の入っている五階建てのビルから出ていく。
 時刻は午後六時半を少し過ぎたあたり。子供たちは、コンビニや自動車販売店のネオンが光害と化している名古屋市名東区星ヶ丘の夜に一斉に消えていった。
 ある女子児童は、自分の父親が運転する車に乗り込み、今日一日自分が体験した楽しい思い出について、欠けた前歯を見せながら話している。ある男子児童は、自分の母親に手を引かれ、今日の夜の献立を聞かされて大いに喜んでいる。ある女子生徒の二人組は、テレビア
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