カゴの中のツバサ

九十九光

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#2-6

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ない空間になっている。夜遅くまで働き詰めの彼女が帰ってくるのは、今からあと三時間も先になる。
 タンスの上には、一人の男の写真と彼の位牌が乗っている。写真立ての上には、シンデレラの継母が怒り狂いそうなほど埃が積もっており、位牌に刻まれた男の享年は、八年前の三月となっている。
 ツバサの部屋は、さらにその奥にある三帖の和室である。布団はもちろん、傷の目立つ中古品だが勉強机も用意され、天井ギリギリの高さの本棚には、百科事典、広辞苑、歴史上の偉人に関する伝記、果てはツバサが一度も開いたことのない、英語、ドイツ語、中国語などの辞書まで存在する。室内に置けなかった教材は、服と同様にプラスチックの衣類ケースに詰め込まれ、ツバサの部屋から行けるバルコニーで保管されていた。これだけ買い与えればうちの子はエリートになれるだろうという、彼の母親の考えが垣間見える空間だった。
 落ち着かない。居心地が悪い。
 表の雰囲気と場違いなほど高価な本が積まれたプライベートルームに入り、ツバサは今まで感じたこともない感覚に襲われた。
 今までは、自分の居場所や自分のやるべきことなどといった概念は、彼の中には存在していなかった。他人からやれと言われた作業をこなすこと以外、物言わぬ死体と変わらないほど、ツバサには自分の意思が欠如していた。それは、何をしてもしっかりと人から褒められたことがなく、自分の個性や欠点を徹底的に否定されてきたツバサが、彼自身無意識のうちに身に着けた自己防衛の手段だった。
 そんなツバサが、なぜか自分の今の環境に不満を感じていた。このままで本当にいいのだろうかという漠然とした疑問が、顔を出そうと死に物狂いでもがいていた。
 ツバサがスマートフォンに充電器を差し込むと、充電の開始を伝えるべく画面が光り出した。すると同時にLINEのトークが送信されていることを、彼のスマートフォンは連絡してくる。相手は『KA☆NA☆KO』だった。
『今日は1日ありがとう! ツバサ君とおはなしできてとっても楽しかったよ♪ これからもよろしくね☆』
 ツバサはそれに対して、『よろしくお願いします』と返信した。
 するとすぐに、『敬語とかいいからカナコお姉ちゃんって呼んで』と返ってきた。
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