カゴの中のツバサ

九十九光

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#3-2

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教材作成のチームが文部科学省の規定に従って決定した、教養と道徳心と愛国心を高める、刷り込みのための物語ばかりだった。そんな大人の事情が奥深くまで入り込まず、純粋に子供が楽しめるように作られた世界が、ツバサの心にどれだけ衝撃を与えたかなど、普通の人間にはそう簡単に理解できるものではなかった。
 ツバサは誰もいない家に帰って自室に入ると、カナコが言っていたアニメやゲームに関する動画を、動画投稿サイトで閲覧することが日課になっていた。男の子がモンスターと一緒に冒険の旅に出るお話、未来から来たロボットが不思議な道具でみんなの悩みを解決するお話、一人の少年が忍者の長になるために頑張るお話。カナコから履歴の消し方とともに教わった知識は、それまで勉強以外何も知らなかったツバサに、小学生らしい知識を与えることになった。
 LINEによるやり取りは、トーク内容を非表示にして、ツバサの母親の目を盗んで毎日のように行われた。ツバサから話を始める場合は、勉強で分からないところを聞くことが大半だったが、カナコから話を始める場合は違った。『ラウワンでミニオンゲットー♪』と、カナコの頭から胸元まである巨大なぬいぐるみとのツーショット写真を送ったり、『こんどいっしょにでかけようよ おいしいパンケーキのお店見つけたんだ☆』と、そのパンケーキの写真を送ったりすることで、ゴールデンウィークも自宅を往復するしかないツバサの心を和ませた。
 カナコから送られてくる情報は、どれもこれもツバサの心をくすぐるものばかりだった。ツバサがまるで知らなかったこの世界の楽しい一面を、カナコはたくさん知っていた。ツバサを、難病で一歩も病院から出られない子供だとすれば、カナコの話は、この広い世界のきれいなものをかき集めてできた写真集だった。話の内容は、ニュース番組で社会問題に言及する堅物なコメンテーターたちからすれば、見るに堪えない陳腐な内容ばかりかもしれない。しかし、今まで勉強をすることと他人から罵倒されること以外何一つ知らなかったツバサにとっては、色とりどりのきれいな宝石を詰め込んだ小箱のように素敵な世界だった。
 そんな宝石箱に触発されるように、ツバサ自身も変わり始めた。
 ある日の地下鉄の車内での出来事である。その日もツバサは横進ゼミナールへ行くために、赤色のカバーに覆われた座席に腰かけていた。この時間はちょうど、小学生から大学生まで含めた学生たちの帰宅ラッシュの時間帯にあたり、座席はすべて埋まっている。ツバサが視線を上げると、向かいのドアの前に白髪の老婦人が一人いた。腰が大きく曲がっており、手にした黒い杖を放すとそのまま前のめりに倒れてしまいそうな人だった。周囲の学生た
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