イレブン

九十九光

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♯5ー7

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 私は一人でできあがったラーメンをすすりながらそんなことを考えた。いっそ二人についていったほうがよかったか、と勝手に後悔していた。

 というか、仕事上のトラブルを自宅にまで持ち込み、自分の人生を大きく左右する話のように真剣に悩むということ自体、この日が初めてだったかもしれない。それまでの自分の仕事に対しての不真面目さが腹立たしくなった、とまでは思わなかったが、長文で説明するのが難しい、漠然とした不安感のようなものが渦巻いていた。

 あの問題はいつまで続くのか。どうすれば解決するのか。よその学校ではどう対処しているのか。根本的な理由が理由なだけに、他校のいじめ対策マニュアルをそのまま使って解決を図っていいのか。そもそも他校では被災者というだけでいじめに発展しているのか。何もかもが情報不足だった。前述の通り、テレビで扱われる震災関係の暗いニュースは原発事故と電力不足のみで、ガラケーからネットにアクセスしても、東中のような事例の話は出てこなかった。偉大な先輩である父親に電話して聞いてみるという選択肢も、佐久間校長からの言葉と絶縁状態という現実のせいで、思いついてすぐに除外された。

 自分の思いを誰かに打ち明けられないというのが、ここまでつらいものだとは夢にも思わなかった。親しい間柄という存在の大切さが、今になってようやく分かった気がした。

 そんな不安が残るまま、二日かけて行われた中間テストが終わり、テスト明け初日の五月二十五日の水曜日まで時間は進んだ。天候は晴れ。光陰矢の如しとはまさにこのことである。

 学年全体を巻き込むほどの大事件に発展した内田平治のいじめ問題は、まったく解決の兆しが見えなかった。テスト初日には、彼の机の引き出しから『うちに帰れ、ホモ野郎』と殴り書きされたプリントが見つかり、その日の帰りには、学校北側にある満徳寺というお寺の駐車場で複数人の男子生徒から暴行を受けていたという通報が入った。週明け前の二十二日の金曜日には、二限目の音楽の時間に授業そっちのけでいじめ関係のトラブルが起きたらしく、天草先生が珍しく激怒して授業を中断して職員室に戻ってきてしまった。

 この間私や小林先生は、いじめの鎮静のためにあれこれ手を尽くしてはいた。休み時間に監視の目を光らせたり、木曜日の道徳の時間に教科書のいじめに関する話をしたりと、露骨にならない程度にそれとなく。もちろん効果はなかった。

 そして二十五日の一時間目。職員室にいた私はこの日返却予定の、二組、三組、四組のテストの採点作業を急いでいた。

 昨晩から進めたおかげで、作業は一時間目終了間際には、この日の六時間目に返す予定の四組の女子の分を残すだけになっていた。こういった事務作業は人と接するよりかはずっ
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