イレブン

九十九光

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♯5ー8

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と楽だったが、同時に億劫で仕方がない作業でもあった。だがこの日はその億劫な作業が流れるように進んでくれる気がした。教師のメインとも言える生徒への指導が、過去最高レベルで混迷していることによる、相対的な感じ方だったのかもしれない。

 こうして一時間目終了のチャイムが鳴る頃には、採点作業は完全に終了してしまった。この日は三時間目と五時間目も空いている時間だが、この調子でいくと明日返却の一組のテストの採点も今日中に終わりそうだった。かといって気持ちいいと感じることもなかった。

「樋口先生、お疲れ様です」

 重い腰を上げて自分の席から立ち上がった私に、二組の授業から戻ってきた佐藤先生が声をかけてきた。その疲労も悩みも特になさそうなあっさりとした顔を見ていると、なんだか無性にイライラしてくる。

 そんな佐藤先生に視線を向けていると、彼が小脇に抱えている名簿表やら教科書やらの中に、一冊変な本が混ざっているのが見えた。個人的な苛立ちを静める意味を込めて、私はその本について質問する。

「『はだしのゲン』ですか? なんでまたそんなものを?」

 この私の疑問に対して佐藤先生は、「ああ、これですか? 今回のテストの問題文の一つに、ここから引用したやつがあるんですよ」と、表紙を見せながら説明する。赤みがかったハードカバーの、汐文社から出版された第三巻だった。

「また漫画から引用したんですか? 去年も定期テストでそういうことして、教育上よくないって保護者から言われたじゃないですか」

「いいでしょ、これなら。日本の歴史を考えるうえでは、適当な時代小説よりずっと教育的じゃないですか」

 私の言葉に対して、佐藤先生は瞳孔を少し大きくして反論した。まあ確かに、学校指定の教科書だと一ページ分扱うかどうかの原爆投下の話を、それよりずっと多いページ数を使って説明しているのだから、言いたいことは分からなくもない。でもそういうのは、普通は国語教師じゃなくて社会科教師の仕事じゃないのかという疑問も湧き上がってくる。

 それについては、今回この漫画を実際に引用した張本人も理解しているらしかった。

「樋口先生も、歴史の授業でこの辺の時代扱う時に引用したらどうですか? こういうのは国語より社会の先生がやったほうが効果的なんですから」

 そんな先のことを考える余裕なんてない私は、「はい、そうですね。じゃあ私、次三組で授業なんで、これで」と、適当に受け流してそそくさと廊下に出ていった。
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