イレブン

九十九光

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♯9ー8

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「意外に思います? 山田先生も津波のトラウマで溺れないかって言ってましたよ」

「ええ、まあ……」

 鉄仮面状態の三島先生が、声だけを心配性の優しい先生に変えながら答えた。よそのクラスの生徒のことをここまで気にかけてくれるとは、私と違ってやっぱり優しい先生だ。

 そんな内容の薄い雑談を挟んで、東中の実質のプール開きが始まった。

 授業はいつも通り(社会科教師なので実情はよく分からないが)、男女ごとに分かれてそれぞれが準備体操をするところから始まる。屈伸やアキレス腱伸ばしなどを一定のリズムに合わせてやるやつだ。それが終わると授業の内容の説明とプールの授業の注意事項が行われ、南北に延びる八つのレーンを男女で半分に分けて泳力測定が始まった。私と三島先生の見学組は、その様子を西側プールサイドに作られた日よけの下で見ていた。

 測定は、グラウンドに近い第一から第四レーンを男子が、私たちの手前になる第五から第八レーンを女子が使い、二組から順に番号順(もとい五十音順)で、二十五メートルの自由形で測定する。何が言いたいかと言えば、内田平治は開幕で泳ぐということだ。

 山田先生の指示で男子のレーンに、番号順に、石井、内田、岡村洋平、桐林隼人が入った。スタート台から飛び込んでやる本格的な計測方法ではないため、全員一度水の中に入り、水色のペンキを塗ったコンクリートの壁に背中をつけている。

「それじゃ、全員準備はいいか?」

 四人が四、五回ほど頭まで潜って慣らしを終えると、山田先生がホイッスルを片手に四人に確認をとる。陸上部の岡村の「あい」という野太い返事がこちらまで聞こえた。

「内田、本当に大丈夫だな」

 山田先生が最後の確認と言わんばかりに、内田個人を名指しした。彼がどういう反応をして見せたかはよく分からなかったが、ここでようやく右手をコースロープから離した。

「内田君、大丈夫でしょうか……」

 完全防備で表情が見えない三島先生が、よそのクラスの生徒の心配をしている。

「まあ……。大丈夫じゃないの」

 私は「位置について!」という山田先生の声を聞きながら、視線を彼女に向けずに答えた。

 正直言って、何も起きないとは私も考えていなかった。内田が地震にトラウマを抱えているのを知っているし、彼がそれを意地でも表に出さないようにしていることも察していたからだ。今思えば、いきなり二十五メートル泳がせずに、プール内を歩かせるとか、教師権限で内田は見学にするとか、いくらでもやりようはあったと感じる。
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