イレブン

九十九光

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♯9ー9

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 そして私たちのネガティブな予想は、現実のものになってしまった。

 山田先生の「よーい……、ドン!」という合図の直後、内田はスタート地点から動かずに不自然な水のかき方をしたのだ。白い波しぶきがその場からまったく動かず、CGで再現されたホラー映画の悪霊の大群のような形で水がはねる。私たち見学組が異変に気づくのと同時に、「内田!」という山田先生の叫び声が聞こえてきた。もう半分のレーンで測定していた女子も、数メートルほど泳いでいた三人もその場で立ち尽くし、案の定起こってしまった事故にパニックになった。プールの中にいた井上ほか数名が、思わずその場から岸に上がろうとコースを横断している始末だ。

 そして事態はあっという間に収束した。

 山田先生や小林先生より先に、私たちの目の前で順番待ちをしていた松田里穂がプールに飛び込んだのだ。部活動で鍛え上げた潜水フォームを披露し、プールの底を滑るように進み、誰かが加勢で飛び込む前に内田を小脇に抱えて水面に顔を出した。

「落ち着いて、平治! もう大丈夫だから!」

 無我夢中に手を動かす内田に顔を叩かれながらも、松田が必死に訴える。内田より松田のほうが頭一つ分高身長なせいで、遠めに見ると母子か姉弟に見えなくもなかった。

 内田が落ち着いたのは、そこから数十秒経ってからだった。自分の顔が水から出ていることを認識すると、松田に抱きかかえられている状態で息を荒げている。それに対して松田は、「もう大丈夫だから……。大丈夫だから……」と、内田の体に密着した状態を、おそらく無意識の中で続けた。無論、この光景をからかう者はいなかった。

 私を含めて四人いた教師陣は、わずか一分足らずで起きた一連の出来事に唖然としていた。本来自分たちでやらなければならない仕事を、たった一人の水泳部員に取られてしまったからだ。取られたというより、察しのよさで負けたというべきかもしれない。授業中の事故からの救助が義務の体育教師より早く動けたということは、松田は常に内田の様子にアンテナを張っていたということになるからだ。そうでなければ、いくら水泳部員であってもこんな真似ができるわけがない。

「先生。平治君、ここから直接上に引き上げたほうがいいと思うので、手伝ってください」

 教師顔負けの松田の指示に従ったのは、水から上がっていた石井と岡村、順番待ちをしていた美津島宏と小暮進だった。私たち教師は保健室に連絡し、内田夫妻を呼ぶことで手一杯だった。
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