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第2章 神隠し事件

第21話 二人で帰宅。

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「ラケナリア……どこだよ」

 おい、と強く呼びかけても返事はない。いつからだろうか当たり前の日常と化していた同居生活。実際には7日も経っていない。人族ではない魔族の彼女に俺は想定以上に心を許していた。だからこそ、その温もりが失われた時、初めてラケナリアという存在を認識するのだ。

 しん、と静まり返った部屋。今思えば一人で住むには広すぎたのだろうか。心なしか綺麗なっている部屋の隅々まで見渡して、ふと床には俺が寝ていたカーペットがあった。いつ帰ってきてもいいように温かい毛布が敷かれている。ほんの数日で彼女にかけた負担は如何ほどだっただろうか。

 胸が引き裂かれるような痛みに襲われながらも、俺は決して心を乱さなかった。俺には、まだすべき事があるのだ。ラケナリアが失踪したという謎を解かなくてはいけない。

 彼女が今どこで、何をしているのか。俺はカーペットに腰掛け推理を始める。




 まず、家の鍵は掛かっていた。ラケナリアが預けてあった家の合鍵を使って戸締りをしたのだろう。この時点でラケナリアが寝込みを襲われ攫われたという線は消え、ラケナリアが自分の意志で部屋を出た事がわかる。

「では……ラケナリアはなんの為に外出をしたか、だな」

 誰もいないはずの部屋の中で一人声を出す。俺に言い聞かせる様に訥々と言葉を紡ぐ。

 既に夜遅い時刻。多くの店は仕舞い始め、人の気もなくなる。そんな中で彼女が行くべき場所はどこか。

 その疑問を解消する為には視点を変えて、なぜ外出したかを考えた方が早い。

 まずは、誰かに呼び出されたか。あるいは───。



 ラケナリアと最後に言葉を交わしたのはあの時だったか。

 俺は思い返すように指に嵌めた指輪を見る。 この指輪での通信を試みる。いや、慎重になれ。

 拳をギリっと強く握りしめる。
 もし戦闘中だったら。もし通信があと一度きりなら。

 今連絡を取るべきじゃない。
 出来り限り彼女の行動を追う事が先決だ。


 考えは纏まった。俺は急いで身を翻し玄関から飛び出す。


 夜道は寒かった。先程までパーティーメンバーと和気藹々と談笑していたのが嘘みたいに今の俺の心は冷たく冷え切っている。

 はやる気持ちを抑え、ひたむきに走る。息が上がって肺が苦しい。それでも、と前に行く。


『お前はどうして焦っている』
 ───冷静で理知的な俺が問う。

「ラケナリアが心配だからだ」

『馬鹿を言うな。奴は居候であってお前が心配に思う義理がどこにある』

「ラケナリアはもう他人なんかじゃない。心配に思うのは俺の意志だ」

『魔族を信じるのか? 奴らは人族の敵だ』

「違う、ラケナリアは敵じゃない」

『なら、お前は人族の敵になるのか』

「それも違う。俺はもう、気づいたんだ。冒険者の……人の温かさを」

『では、なんだというのだ。お前が魔族を信じる理由は』

 俺は、と一呼吸置いて言い放つ。

「魔族を信じているんじゃない、俺は……───」



「グラス?」



 ラケナリアがいた。手に紙袋を持っている。
 争った形跡もない。単に外出をしていた、だけ?

 途端、俺は崩れ落ちるようにぐったりとする。

「グラス……!? 怪我をしているのねっ」

 嗚呼。良かった。
 否定する気が起きない位安心した。
 もしかしたら、誰かに襲われたんだって心配した。

「どこ、見せて!? ほら早く」
「道端で俺の服を脱がそうとするな。平気だ」
「強がりね……そう、そっちがそのつもりなら」
「こらっ、ちょお前やめろっ。押し倒そうとするな!」

 遂にラケナリアの遠慮が無くなった。
 魔族の屈強な筋力を生かし、俺を拘束する。
 手首を縛られ動けない俺を他所に、腕やお腹。足、そして胸に至るまでありとあらゆる所をぺたぺたと触りまくる。

「おかしいわ……怪我がない」
「だから言っただろ。俺はなんともない」
「ならどうして。涙が……」
「それは、そのあれだ。なんでもない」
「だめ。言って」
「うっ、嫌だ」
「グラス寂しいわ。今日で最後のお外ね」
「待て待て、ナチュラルに監禁しようとするなっ。言うから、言う事を聞くから一回離せぇぇぇぇ!!」

 懐かしい、この感覚。
 無駄な掛け合いが心底楽しくて、愛おしい。

「心配だったんだ。お前の事が」
「はぁ。それは……どうも?」
「なんだよ、その淡泊な感想は」
「えぇ? もっと凄いのを期待してたから」
「例えば」
「これでお別れだ、とか。お前と住めない、とか」
「───だから監禁しようとしていたのか」

 なるほど、ラケナリア的には人族の冒険者とクエストを受けた帰りの俺を案じていたのだろう。同じ人族とこうも話し、触れ合ったのは久々だ。だからこそ、その影響に感化され、ラケナリアと過ごすこの日々に疑念を抱いたのでは、と思った。

 安心しろ。それは杞憂だ、俺は軽く笑う。

「何がおかしいのよっ」
「ふふっ、いや。この生活について全く考えなかった訳じゃない。でもそれ以上に俺はお前を信じていた。魔族がどうとかは関係がなかった。俺はお前を信頼しているんだ、ラケナリア」

 ここ数日で纏まった答えを吐き出す。

「もし良かったら、一緒に家で過ごそう」
「……えぇ、勿論そうするわ。だってあの家は半分は私の物だからよ。既に家具の配置も私好みになっているもの!」
「ふふっ、そうか。掃除してくれてたんだな。サンキュー」
「ふふんっ、当然だわ。家庭的なリアちゃんだから」

 座り込んだ俺に、ラケナリアは手を差し出す。
 その時、ガサリと紙袋が音を立てた。

「ああ、これ。きっと驚くわぁ~、実はね。これは」
「───、だろ?」
「ええっ、まさかの『透視』。いや、『読心術』のスキルを既に会得していると言うの!?」
「違う。たった今思い出したんだ。通信した時、誰かと何かを料理している音が聞こえたんだ。それで、どうせ行くならコロッケを売るあの屋台だと思ってな。なるほど、この時間までバイトをしていたのか。家を開けているのも当然だな」
「……本当はサプライズのつもりだったのよ? でも仕方ないわね。はいこれ、冷めないうちに召し上がれ」

 まだほんのりと温かい。
 外はサクサク、中はトロトロのコロッケだ。

 噛み締めるとジューシーな味わいが口内に広がる。
 何故か懐かしくて、幸せな味だ。

「うん、美味い」
「でしょ~ふふん、さすがリアちゃん」
「ああ、さすがだ。
「もっと褒めてくれても……って今───」

 俺はグラスの手を取って立ち上がる。
 そして帰り道を歩き出した。

「早くしないと置いていくぞ、リア」
「……ッ、えぇ。今行くわ、グラスっ!!」
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