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Kapitel 02
神代の邪竜 06
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耀龍と麗祥は、霜髪の怪物の墜落地点を見て目を瞠った。
彼らの父親――赫=ニーズヘクルメギルの族長――赫暁自らがその場にいた。自身の背丈ほどもある大剣を振り下ろした恰好で、怪物の三叉の尾を根元から切断していた。
クッハハハハハーッ、と赫暁は愉快そうな笑い声を漏らした。
「ハッ。これならば鋼の鱗も斬れるか。流石は《大剣グラム》よ。綾を親父殿の許まで走らせた甲斐があるというものだ」
赫暁は地面に突き刺さった大剣を片手でヒョイと持ち上げて肩に担いだ。
赫暁と霜髪の怪物は、互いを牽制し合うように視線をかち合わせて睨み合った。
霜髪の怪物は、関心のあるものにしか目を留めない。おそらく、この場で最も脅威たり得る存在は、立ちはだかる偉丈夫だと見抜いた。
「己を犠牲にして侍従を庇うなど感心せんな、耀龍」
縁花を背にして滞空する耀龍の頭上に、よく知った声が降ってきた。
耀龍は顔を引き上げてその人物を見上げた。
「一大哥」
赫一瑪はスーッと耀龍と同じ高度まで降りてきた。耀龍と麗祥を数秒ずつ無言で観察した。
大事ないか、という一言も無かった。怒っているのか惘れているのかさえも分からない。相変わらず、同じ母親の腹から生まれた弟である耀龍でさえ、表情から感情を読み取れない。純粋に愚弟の心配をするような人でないことは分かりきっているけれど。
「どうしてここに」
「お前たちとてここに辿り着いたのだ。父上に辿り着けぬわけがあるまい」
「じゃあ父様は、天哥々がここに閉じこめられてるって知ってたってこと?」
「ああ。天尊が目覚めぬこともな」
「それも分かってて放っておいたのッ?」
赫一瑪の周囲に巡らされた視線が、耀龍のほうを向いて停止した。耀龍を通り越し、縁花の腕に抱かれるアキラに届いた。
「〝鍵〟はお前が持っている」
「アキラか……」
耀龍は、自分は父と兄の手の平の上で踊らされていたのだと悟った。
自分と麗祥は自ら手掛かりを掴んでこの場に辿り着いたつもりだったが、その実、《邪視》と《オプファル》を引き合わせる役目を知らず知らずの内に負わされていた。
父と兄はいつから事態を把握し、画策していたのだろうか。天尊が連行されてすぐか、拘禁期間の完了時か、耀龍がアキラを保護したときか。父と兄が、用がなければ訪れることがない耀龍の館で、アキラと遭遇したのもきっと故意だ。父の部屋に盗聴器を仕掛けたこともバレているのかもしれない。その上で、素知らぬ顔をして食いつきそうな情報を流した。
耀龍は率直に悔しかった。甘く見られていると思った。しかし、怒りよりも、その計略を見抜けなかった自身を恥じた。父と兄、この世で最も栄華を誇る一族を統べる族長とその補佐、彼の者たちの慎重さと狡猾さを見誤った。
「とはいえ、《邪視》がああも自由になったのは想定外だ。《邪視》を意の儘に御そうなど、先代も浅慮なことを」
赫一瑪は天に向かってスッと手を挙げた。
ボンッ! ――赫一瑪の頭上に自身よりも大きな火球が生じた。
耀龍と麗祥は、火球に目を見開いた。それを放つのは、牽制が目的とは思えなかった。目標物を完全に焼き払うための火力。耀龍と麗祥は霜髪の怪物に対して本気で立ち向かわねばと心を決めたが、それは縁花の助言があったからだ。しかし、赫一瑪は最初から一切の躊躇がない。
「一大哥! やめッ……」
耀龍の制止は間に合わず、赫一瑪は手を振り下ろした。火球は地上にいる霜髪の怪物目がけて急降下。
それと同時に赫暁はタンッと地を蹴って宙に飛び上がった。
ゴォォオオオオオッ!
火球は霜髪の怪物を呑みこんだ。まるであらかじめ油が撒かれていたかのように一気に地表や樹木を焼き、火柱を上げて囂々と燃え盛る。
赫暁は赫一瑪たちとほぼ同じ高度に上がってきた。
その視点は霜髪の怪物に固定していた。この男には、あの火焔に焼かれてどのような結果になるか予想できた。火焔のなかにあって一向に朽ちない黒い人影を目視し、予想どおりだと余裕の笑みを浮かべた。
「加減したか?」と赫暁が赫一瑪に尋ねた。
「いいえ」
「お前の火力をものともせんか。以前よりも格段に手強くなったと考えていい。今回は俺の腕一本程度で済めば上々だな」
「父上が腕を差し出すと仰有るなら、先んじて私が同じものを差し出します。それが、族長補佐の務めであり、長子の務めです」
「あまり背負うな。お前に何かあると俺がお前の母上に顔向けできん」
ハハハッ、と赫暁は笑い飛ばした。
ヴオンッ、ヴンッ、ヴンッ。
いまだ燃え盛る火焔のなかに在る黒い人影の頭上に、いくつもの光の槍が生まれた。先ほど縁花に向けられたものが、赫暁たちへと矛先を向ける。
赫暁が人影のほうへ急発進するとほぼ同時に、光の槍が発射された。
赫暁は光の槍へと真っ向から突き進んだ。
バジンッ! ドンッ、バジンッ、バジンッ! ――大剣を振り回して光の槍を薙いですべて掻き消した。
地表に突き刺さるように着地して大剣を振り下ろした。
ズドォオンッ! ――斬撃の威力で地面が割れ、火焔をも割いた。
火焔が晴れて姿を現した黒い人影の正体は、やはり霜髪の怪物。赫暁を凝視して歯を剥き出しにして笑った。
人語を解さない怪物が、初めて表情に感情を表出させた。それはおそらくは、享楽。
「お前たちはどれほど動ける」
赫一瑪は地表にいる赫暁を注視しつつ、耀龍と麗祥へ尋ねた。
耀龍の顔色には疲労が滲んでおり、麗祥は腹部を攻撃された際に衣服が破れていた。この兄が尋ねたのは自分たちの身を案じたわけではないことは、彼らも理解していた。戦力の正確な把握が目的だ。
「ほぼ当たり前に動けるよ。オレは大したケガしてないし、麗の負傷は治したから」
「ではお前たちでアレの足留めを。私が相手をする。お前たちでは手緩い。アレはお前たち程度が本気になったところで死なん」
耀龍は、赫一瑪の口振りに嫌な予感がした。実の弟から見ても、感情が読み取れない、冷淡な人だ。一族の名誉や利益のためならば、親兄弟も躊躇なく切り捨ててしまうのではないかという気がした。
「オレたち、一大哥に協力するなんて言ってないよ」
赫一瑪は耀龍へと目線を向けた。甘ったれの末弟がはっきりと反抗したのは少々意外だった。
麗祥が「龍ッ」と咄嗟に諫めたが、耀龍は閉口しなかった。
父・族長に次ぐ権力者である長兄に物申すなど、下から数えたほうが早い弟たちには大それたことだ。長兄と彼らには親子に近いほどの年齢差があり、影響力の大小はそれ以上の格差だ。
麗祥などは天尊に対するのと同様に長兄を敬愛しており、面と向かって逆らうことなど考えたこともない。
「協力を拒否するわけじゃない。父様と一大哥が《邪視》をどうするつもりか分からない。だから確約が欲しい。天哥々を殺さないって約束して」
耀龍の目は真剣そのものだった。これは交渉ではない、懇願だ。大好きな兄を殺さないでくれと必死に乞うている。
耀龍自身も、自分と赫一瑪の間で交渉が成立しないことは理解している。赫一瑪が求めるものは、一時の助力だ。それがあれば仕事がやりやすくなるという程度の要求だ。耀龍が協力を拒んだとて、霜髪の怪物を排除すると決心すれば迷いなくそうする。
耀龍は、赫一瑪が甘えを許してくれる優しい兄ではないと知っていても、懇願するしかなかった。
「愚かな。殺すつもりならアレが幼い頃にとうにそうしている」
赫一瑪は目線を、耀龍から足許へと移した。
「我らが父上は、我が子に手をかけるなどなさらぬ、決して」
赫一瑪の足許、そのさらに先、地上では赫暁と霜髪の怪物が互いの得物を交叉させていた。
ガギンッ、カキン、カキィンッ! ――硬質な剣戟の響き。
霜髪の怪物は目にも留まらぬ攻撃を繰り出したが、赫暁は大剣を振り回してものともしなかった。大剣の重量を感じさせない動作の軽やかさ、リズムを刻んでいるかのような足捌き、遊興遊戯に興じているようでさえあった。
「カカカカッ」
赫暁は絶えず愉快そうな笑い声を上げた。
「なんと楽しそうに……。あのように凶悪な怪物を相手にしているというのに」
赫暁と霜髪の怪物の交叉を見ていたルフトとヴィントは、呆気に取られた。彼奴と対峙すれば目で追うこともできず、ただの一撃を喰らわされないよう必死だった。自分たちの我武者羅が莫迦らしくなりそうなほど、赫暁は楽しげに見えた。
赫=ニーズヘクルメギルは、今でこそエインヘリヤルに劣らぬ武力を有すと言われるが、もとはといえば武門の一族。そのなかでも当代族長・赫暁は最高と称される武人のひとりだ。ルフトとヴィントは、已むに已まれぬ事由によって仕方なく武器を取った自分たちとは、明白に格が違う才能と武技に半ば見惚れた。
(動きは鋭いが獣と変わらんな)
赫暁は、五兄弟の内、天尊には最も熱心に武術を指導した自覚がある。その甲斐あって、天尊は幼い頃から武技の才に突出し、長じて優秀な戦士となった。《雷鎚》と賞賛されるまでに至った。
しかしながら、霜髪の怪物には、教えこんだ武技の名残はなかった。肉体の強靱さに任せて本能の儘に眼前の敵を滅ぼさんと鋭利な爪を振り回すばかり。天尊の武芸の師であり自身も高名な武人である赫暁には、動物的な攻撃を回避して往なすのは決して不可能ではなかった。
無尽蔵なネェベルは確かに恐るべきものであるが、効果的な場面で発揮されてこそ大きな意味を持つ。霜髪の怪物に自身の能力を戦術的に活用する術があるとは考え難い。
赫暁が思索していると、視界の外で何かが空を切る音がした。本能的に回避すべきだと判断して身体を捻った。
正体は三叉の尾のひとつだった。切断したはずのそれは霜髪の怪物に繋がっていた。
「もう再生したかッ」
赫暁はやや体勢を崩した。その隙を突いて霜髪の怪物は、赫暁の大剣を握る腕を足でダンッと古城の外壁に踏みつけた。
赫暁は大剣から手を離した。落下した大剣の腹を蹴り上げ、自由なほうの腕で大剣の柄を掴み取った。
ザンッ! ――霜髪の怪物の脚は、下から撥ね上げるようにして切断された。
霜髪の怪物はぐらりと体勢を崩した。
ガッチャアンッ!
――《黒轄》
霜髪の怪物は黒いコの字型の飛来物によって身体を挟まれてその場に固定された。
それを為したのは耀龍と麗祥。ふたりは霜髪の怪物を中心に左右に分かれて同時にプログラムを起動した。
ふたりがかりの多重の拘束。内部プロテクトを何重にも施した。先ほどのように触れるだけで瞬時に解析・解除などできないはずだ。
霜髪の怪物は反射的に身動ぎしたが黒い枷が弾け飛ぶことはなかった。
やるじゃないか、と赫暁は賞賛して宙に飛び上がった。
耀龍と麗祥も拘束を維持したまま上空に飛翔した。
拘束された霜髪の怪物は、三人を目で追って空を見上げた。そこで目を瞠った。
巨大な火焔の輪が、揺らめきながら車輪のようにぐるぐると回っていた。空や雲を濛々と焦がしているかのようだった。広大な空をまるで夕焼けのように朱に染め上げる火輪を、赫一瑪は背負っていた。
「一切灰燼――――《第十八歌》」
巨大な火輪は天空でほどけて広がり、水の溜まった膜を突いて破ったかのように、夥しい大火が一斉に地上に降り注いだ。
大火は地表に広がって霜髪の怪物ごと古城も森林の一角も呑みこんだ。それを遮るものなど存在しなかった。呑みこまれた物質は途轍もない火焔と熱量によって、悉く黒炭と化した。或いは蒸発して消えてなくなった。ありとあらゆる有機物は死滅した。自然厳しくも緑豊かだった森林は辺り一面真っ黒と化し、古城はまるごと焼かれ、焦げたケーキのように朽ち果てた。
彼らの父親――赫=ニーズヘクルメギルの族長――赫暁自らがその場にいた。自身の背丈ほどもある大剣を振り下ろした恰好で、怪物の三叉の尾を根元から切断していた。
クッハハハハハーッ、と赫暁は愉快そうな笑い声を漏らした。
「ハッ。これならば鋼の鱗も斬れるか。流石は《大剣グラム》よ。綾を親父殿の許まで走らせた甲斐があるというものだ」
赫暁は地面に突き刺さった大剣を片手でヒョイと持ち上げて肩に担いだ。
赫暁と霜髪の怪物は、互いを牽制し合うように視線をかち合わせて睨み合った。
霜髪の怪物は、関心のあるものにしか目を留めない。おそらく、この場で最も脅威たり得る存在は、立ちはだかる偉丈夫だと見抜いた。
「己を犠牲にして侍従を庇うなど感心せんな、耀龍」
縁花を背にして滞空する耀龍の頭上に、よく知った声が降ってきた。
耀龍は顔を引き上げてその人物を見上げた。
「一大哥」
赫一瑪はスーッと耀龍と同じ高度まで降りてきた。耀龍と麗祥を数秒ずつ無言で観察した。
大事ないか、という一言も無かった。怒っているのか惘れているのかさえも分からない。相変わらず、同じ母親の腹から生まれた弟である耀龍でさえ、表情から感情を読み取れない。純粋に愚弟の心配をするような人でないことは分かりきっているけれど。
「どうしてここに」
「お前たちとてここに辿り着いたのだ。父上に辿り着けぬわけがあるまい」
「じゃあ父様は、天哥々がここに閉じこめられてるって知ってたってこと?」
「ああ。天尊が目覚めぬこともな」
「それも分かってて放っておいたのッ?」
赫一瑪の周囲に巡らされた視線が、耀龍のほうを向いて停止した。耀龍を通り越し、縁花の腕に抱かれるアキラに届いた。
「〝鍵〟はお前が持っている」
「アキラか……」
耀龍は、自分は父と兄の手の平の上で踊らされていたのだと悟った。
自分と麗祥は自ら手掛かりを掴んでこの場に辿り着いたつもりだったが、その実、《邪視》と《オプファル》を引き合わせる役目を知らず知らずの内に負わされていた。
父と兄はいつから事態を把握し、画策していたのだろうか。天尊が連行されてすぐか、拘禁期間の完了時か、耀龍がアキラを保護したときか。父と兄が、用がなければ訪れることがない耀龍の館で、アキラと遭遇したのもきっと故意だ。父の部屋に盗聴器を仕掛けたこともバレているのかもしれない。その上で、素知らぬ顔をして食いつきそうな情報を流した。
耀龍は率直に悔しかった。甘く見られていると思った。しかし、怒りよりも、その計略を見抜けなかった自身を恥じた。父と兄、この世で最も栄華を誇る一族を統べる族長とその補佐、彼の者たちの慎重さと狡猾さを見誤った。
「とはいえ、《邪視》がああも自由になったのは想定外だ。《邪視》を意の儘に御そうなど、先代も浅慮なことを」
赫一瑪は天に向かってスッと手を挙げた。
ボンッ! ――赫一瑪の頭上に自身よりも大きな火球が生じた。
耀龍と麗祥は、火球に目を見開いた。それを放つのは、牽制が目的とは思えなかった。目標物を完全に焼き払うための火力。耀龍と麗祥は霜髪の怪物に対して本気で立ち向かわねばと心を決めたが、それは縁花の助言があったからだ。しかし、赫一瑪は最初から一切の躊躇がない。
「一大哥! やめッ……」
耀龍の制止は間に合わず、赫一瑪は手を振り下ろした。火球は地上にいる霜髪の怪物目がけて急降下。
それと同時に赫暁はタンッと地を蹴って宙に飛び上がった。
ゴォォオオオオオッ!
火球は霜髪の怪物を呑みこんだ。まるであらかじめ油が撒かれていたかのように一気に地表や樹木を焼き、火柱を上げて囂々と燃え盛る。
赫暁は赫一瑪たちとほぼ同じ高度に上がってきた。
その視点は霜髪の怪物に固定していた。この男には、あの火焔に焼かれてどのような結果になるか予想できた。火焔のなかにあって一向に朽ちない黒い人影を目視し、予想どおりだと余裕の笑みを浮かべた。
「加減したか?」と赫暁が赫一瑪に尋ねた。
「いいえ」
「お前の火力をものともせんか。以前よりも格段に手強くなったと考えていい。今回は俺の腕一本程度で済めば上々だな」
「父上が腕を差し出すと仰有るなら、先んじて私が同じものを差し出します。それが、族長補佐の務めであり、長子の務めです」
「あまり背負うな。お前に何かあると俺がお前の母上に顔向けできん」
ハハハッ、と赫暁は笑い飛ばした。
ヴオンッ、ヴンッ、ヴンッ。
いまだ燃え盛る火焔のなかに在る黒い人影の頭上に、いくつもの光の槍が生まれた。先ほど縁花に向けられたものが、赫暁たちへと矛先を向ける。
赫暁が人影のほうへ急発進するとほぼ同時に、光の槍が発射された。
赫暁は光の槍へと真っ向から突き進んだ。
バジンッ! ドンッ、バジンッ、バジンッ! ――大剣を振り回して光の槍を薙いですべて掻き消した。
地表に突き刺さるように着地して大剣を振り下ろした。
ズドォオンッ! ――斬撃の威力で地面が割れ、火焔をも割いた。
火焔が晴れて姿を現した黒い人影の正体は、やはり霜髪の怪物。赫暁を凝視して歯を剥き出しにして笑った。
人語を解さない怪物が、初めて表情に感情を表出させた。それはおそらくは、享楽。
「お前たちはどれほど動ける」
赫一瑪は地表にいる赫暁を注視しつつ、耀龍と麗祥へ尋ねた。
耀龍の顔色には疲労が滲んでおり、麗祥は腹部を攻撃された際に衣服が破れていた。この兄が尋ねたのは自分たちの身を案じたわけではないことは、彼らも理解していた。戦力の正確な把握が目的だ。
「ほぼ当たり前に動けるよ。オレは大したケガしてないし、麗の負傷は治したから」
「ではお前たちでアレの足留めを。私が相手をする。お前たちでは手緩い。アレはお前たち程度が本気になったところで死なん」
耀龍は、赫一瑪の口振りに嫌な予感がした。実の弟から見ても、感情が読み取れない、冷淡な人だ。一族の名誉や利益のためならば、親兄弟も躊躇なく切り捨ててしまうのではないかという気がした。
「オレたち、一大哥に協力するなんて言ってないよ」
赫一瑪は耀龍へと目線を向けた。甘ったれの末弟がはっきりと反抗したのは少々意外だった。
麗祥が「龍ッ」と咄嗟に諫めたが、耀龍は閉口しなかった。
父・族長に次ぐ権力者である長兄に物申すなど、下から数えたほうが早い弟たちには大それたことだ。長兄と彼らには親子に近いほどの年齢差があり、影響力の大小はそれ以上の格差だ。
麗祥などは天尊に対するのと同様に長兄を敬愛しており、面と向かって逆らうことなど考えたこともない。
「協力を拒否するわけじゃない。父様と一大哥が《邪視》をどうするつもりか分からない。だから確約が欲しい。天哥々を殺さないって約束して」
耀龍の目は真剣そのものだった。これは交渉ではない、懇願だ。大好きな兄を殺さないでくれと必死に乞うている。
耀龍自身も、自分と赫一瑪の間で交渉が成立しないことは理解している。赫一瑪が求めるものは、一時の助力だ。それがあれば仕事がやりやすくなるという程度の要求だ。耀龍が協力を拒んだとて、霜髪の怪物を排除すると決心すれば迷いなくそうする。
耀龍は、赫一瑪が甘えを許してくれる優しい兄ではないと知っていても、懇願するしかなかった。
「愚かな。殺すつもりならアレが幼い頃にとうにそうしている」
赫一瑪は目線を、耀龍から足許へと移した。
「我らが父上は、我が子に手をかけるなどなさらぬ、決して」
赫一瑪の足許、そのさらに先、地上では赫暁と霜髪の怪物が互いの得物を交叉させていた。
ガギンッ、カキン、カキィンッ! ――硬質な剣戟の響き。
霜髪の怪物は目にも留まらぬ攻撃を繰り出したが、赫暁は大剣を振り回してものともしなかった。大剣の重量を感じさせない動作の軽やかさ、リズムを刻んでいるかのような足捌き、遊興遊戯に興じているようでさえあった。
「カカカカッ」
赫暁は絶えず愉快そうな笑い声を上げた。
「なんと楽しそうに……。あのように凶悪な怪物を相手にしているというのに」
赫暁と霜髪の怪物の交叉を見ていたルフトとヴィントは、呆気に取られた。彼奴と対峙すれば目で追うこともできず、ただの一撃を喰らわされないよう必死だった。自分たちの我武者羅が莫迦らしくなりそうなほど、赫暁は楽しげに見えた。
赫=ニーズヘクルメギルは、今でこそエインヘリヤルに劣らぬ武力を有すと言われるが、もとはといえば武門の一族。そのなかでも当代族長・赫暁は最高と称される武人のひとりだ。ルフトとヴィントは、已むに已まれぬ事由によって仕方なく武器を取った自分たちとは、明白に格が違う才能と武技に半ば見惚れた。
(動きは鋭いが獣と変わらんな)
赫暁は、五兄弟の内、天尊には最も熱心に武術を指導した自覚がある。その甲斐あって、天尊は幼い頃から武技の才に突出し、長じて優秀な戦士となった。《雷鎚》と賞賛されるまでに至った。
しかしながら、霜髪の怪物には、教えこんだ武技の名残はなかった。肉体の強靱さに任せて本能の儘に眼前の敵を滅ぼさんと鋭利な爪を振り回すばかり。天尊の武芸の師であり自身も高名な武人である赫暁には、動物的な攻撃を回避して往なすのは決して不可能ではなかった。
無尽蔵なネェベルは確かに恐るべきものであるが、効果的な場面で発揮されてこそ大きな意味を持つ。霜髪の怪物に自身の能力を戦術的に活用する術があるとは考え難い。
赫暁が思索していると、視界の外で何かが空を切る音がした。本能的に回避すべきだと判断して身体を捻った。
正体は三叉の尾のひとつだった。切断したはずのそれは霜髪の怪物に繋がっていた。
「もう再生したかッ」
赫暁はやや体勢を崩した。その隙を突いて霜髪の怪物は、赫暁の大剣を握る腕を足でダンッと古城の外壁に踏みつけた。
赫暁は大剣から手を離した。落下した大剣の腹を蹴り上げ、自由なほうの腕で大剣の柄を掴み取った。
ザンッ! ――霜髪の怪物の脚は、下から撥ね上げるようにして切断された。
霜髪の怪物はぐらりと体勢を崩した。
ガッチャアンッ!
――《黒轄》
霜髪の怪物は黒いコの字型の飛来物によって身体を挟まれてその場に固定された。
それを為したのは耀龍と麗祥。ふたりは霜髪の怪物を中心に左右に分かれて同時にプログラムを起動した。
ふたりがかりの多重の拘束。内部プロテクトを何重にも施した。先ほどのように触れるだけで瞬時に解析・解除などできないはずだ。
霜髪の怪物は反射的に身動ぎしたが黒い枷が弾け飛ぶことはなかった。
やるじゃないか、と赫暁は賞賛して宙に飛び上がった。
耀龍と麗祥も拘束を維持したまま上空に飛翔した。
拘束された霜髪の怪物は、三人を目で追って空を見上げた。そこで目を瞠った。
巨大な火焔の輪が、揺らめきながら車輪のようにぐるぐると回っていた。空や雲を濛々と焦がしているかのようだった。広大な空をまるで夕焼けのように朱に染め上げる火輪を、赫一瑪は背負っていた。
「一切灰燼――――《第十八歌》」
巨大な火輪は天空でほどけて広がり、水の溜まった膜を突いて破ったかのように、夥しい大火が一斉に地上に降り注いだ。
大火は地表に広がって霜髪の怪物ごと古城も森林の一角も呑みこんだ。それを遮るものなど存在しなかった。呑みこまれた物質は途轍もない火焔と熱量によって、悉く黒炭と化した。或いは蒸発して消えてなくなった。ありとあらゆる有機物は死滅した。自然厳しくも緑豊かだった森林は辺り一面真っ黒と化し、古城はまるごと焼かれ、焦げたケーキのように朽ち果てた。
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靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
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