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Kapitel 05
清閑たる日々 06
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翌日。
アキラたちはユリイーシャからエステに誘われた。
こう連日、ティータイムにエステにとお誘いを受けるということは、天尊の兄・綾武劍の言うとおり、ユリイーシャはアキラたちと過ごす時間を楽しんでくれているのだろう。
北の僻地の姫様とはいえ、サスガに美容にかけては最高級品ばかりが揃えられている。評判のエステティシャンを城下町より呼び寄せ、稀少な原材料を用いたアロマオイル、花片で満たされたお風呂に、パールパックを惜しみなく費やした。その価値が分かるビシュラは、アキラの世話をするように仰せつかったというだけで、自分のようなものがご相伴にあずかってよいのかと、恐縮し通しだった。
しかしながら、最初は強張っていたビシュラも、エステが終了する頃にはすっかり気の抜けきった弛んだ表情になっていた。
アキラとユリイーシャ、ビシュラ、緋は、スパルームでビーチベッドに横になり、フローラルな香りがする冷たい飲み物で喉を潤す。
「気持ちが良くて力が抜けますね~~」
「わたし、エステなんて初めてです」
「それだけ若ければ必要ないだろ」
「フェイさんだって」
「ご満足いただけたのでしたら嬉しいですわ」
ユリイーシャは、満足げな三人のご婦人を見てニコニコとご満悦の表情だった。
如何に贅を尽くしたエステでも、冬の間中ひとりで過ごしていれば面白味がなくなる。この土地から動けないユリイーシャにとって、同じ体験をして感想を語ってくれる相手がいることは何よりも喜ばしいことだった。
「伺いましたわ、アキラ様」とユリイーシャが口を開いた。
「昨夜、お風呂で倒れられたのですって? お身体は大丈夫ですの?」
アキラはギクッと表情を変えた。
聞いた、と言われて一瞬そのような醜態を誰が話したのかと思ったが、思い当たる人物はひとりしかいなかった。天尊の兄・綾武劍だ。ユリイーシャに会った彼が、そのついでに話したのであろう。もしかしたら意識を失っている間に裸を見られてしまったのではないかと思うと、脳内から消し去りたい出来事だ。
「た、大したことはないです。ちょっとお風呂に浸かりすぎてのぼせちゃっただけで」
「分かりますわ。恋人と一緒に入浴するとついつい長湯してしまいがちになりますものね」
「な、なんでそんなことまで、知って……ッ」
アキラの頬はカーッと真っ赤に染め上がった。
否、尋ねる意味などなかった。犯人は綾武劍で間違いない。
緋は、アキラの初心な反応を見て肩を揺すって笑った。
「ああ、何だ。大隊長と一緒に入っててのぼせたのか。毎日あれだけくっついて風呂までベッタリとは」
「い、いつもはひとりで入ってます! 一緒に入ったのなんて初めて……ッていうか、昨日だってティエンが勝手に!」
「そうか、勝手にか。大隊長はお前に構いたくてしょうがないんだな」
「アキラ様は可愛らしいですもの。ティエンゾン様が構われたくなるお気持ちも分かりますわ、うふふ。私もアキラ様に構いたくって構いたくって」
アキラはユリイーシャのほうへと目線を向けた。目が合うとユリイーシャはニッコリと微笑みかけてきた。
「わたしに構いたいって……?」
「アキラ様は私の妹姫になるのですもの。当然ですわ」
アキラは、この人が姉になると脳内で想像してみてもまったく実感が湧かなかった。ユリイーシャはその場にいるだけで絵画のように麗しく、微笑む容顔は幻想的な女神のようだ。現実よりも御伽の世界のほうが似合う。このような人物が自分と義理の姉妹になるなど現実感がなくて当然だ。
アキラはふと、自分の隣のビーチベッドに腰かけるビシュラの横顔に目を留めた。正確には、その耳許でキラリと輝いたものが気になった。
「ピアス、前からしてましたっけ? ビシュラさん」
「これは……昨日、歩兵長から頂戴いたしました」
アキラは「へー、いいですね」と返し、緋はクスッと笑った。
「ついでに泣かされたけどな」
「あれは……痛かったです」
「泣かされ??」
アキラが小首を傾げ、緋はアハハハッと笑った。
ビシュラは苦笑しつつ自分の耳に指先で触れた。まだホールを開けたばかりだから、ピアスに触れるとピリリと痛みが走った。
「歩兵長のバカ、力任せにピアスでビシュラの耳朶を突き破ったんだよ。歩兵長はピンと来てないしビシュラはわんわん泣くし、昨夜宿舎はちょっとした騒ぎだったぞ」
「昨夜は大変ご迷惑をおかけしました💧」
悪いのはヴァルトラムの蛮行であってビシュラではないのだけれど。
アキラと天尊の部屋は、貴賓用のゲストルームであり隊員たちが使用する宿舎とは建物自体が異なる。宿舎での騒動にはまったく気がつかなかった。
「ビシュラさんとあの赤い髪の大きな人……ほへいちょー、さん? は恋人なんですよね」
丁度飲み物を口に含んでいたビシュラは、アキラの発言で噎せた。ゴホッゴホッと咳きこんだあと、急いで呼吸を整えた。
「コホンッ。わたしと歩兵長は恋人ではありません」
「え。恋人じゃないのにそんなピアスをくれるんですか? 宝石ですよね、ソレ」
「くれるんだ、歩兵長の金銭感覚はバカになってるから。飲みに行っても言えば割とすぐオゴってくれる。そこだけは使える上官だ。今までは男ばっかりだったが、若くて可愛い新人に強請られたら宝石くらい買ってくれるってことだな」
緋はそう言って冗談みたいに笑った。
ビシュラにとっては冗談ごとではない。上官に物を強請るようなはしたない人物だと思われたくはなかった。
「わ、わたしは強請るなどしておりせん」
「アキラにはビシュラと歩兵長が恋人同士に見えるか?」と緋。
「まあ、はい。少なくとも、そういうプレゼントをしてくれるってことは、ほへいちょーさんはビシュラさんのことが好きなんじゃ……? 違うんですか??」
まさか、とビシュラは真っ先に否定した。
「歩兵長はわたしを揶揄っていらっしゃるのですよ。三本爪飛竜騎兵大隊の方たちからするとわたしはとても世間知らずだそうですから」
(あれはからかってる態度なの?? 高度なからかい方)
話を聞いていたユリイーシャは、口許に手を添えてウフフと笑った。
「私は歩兵隊長様とゆっくりとお話ししたことはございませんが、ビシュラと歩兵隊長様は一見して意外な組み合わせには見えますわね」
緋は親指でアキラを指し示した。
「アタシから見たらアキラと大隊長だって相当なモンだ。大隊長とアキラじゃ父子でも通用する。なのに、何があったか知らないが大隊長のほうがアキラに夢中って感じだ。あの大隊長がだぞ。首から上が別人にすげ替わっていると言われても信じるね」
「フェイさん💦」
「わたしもそう思います」
ビシュラは慌てて繕おうとしたが、アキラ本人はすんなりと認めた。
その落ち着いた態度も動揺のない表情も大人びており、興が削がれた緋はピタッと笑うのをやめた。
「ティエンが何でわたしなんかを選んだのか、自分でも分かりません。貴族だって聞いてるし大隊長って呼ばれてるし、きっと偉い人なんですよね。そんな人がどうしてわたしなんかがイイのか、全然分かりません」
緋は途端につまらなさそうな表情になって肩を竦めた。
「アキラは若い割には物分かりが良すぎる。揶揄い甲斐が無い」
「もう。あまり意地悪を言ってはダメよ、フェイ」
ユリイーシャは口許に手を当ててクスクスと笑う。
カッカッカッ。
性急に床に踵を打ちつける足音に、彼女たちのお喋りは遮られた。
足音のするほう、出入り口のほうへと目線を向けると、丁度天尊が室内に入ってきたところだった。そのうしろには困り顔をした侍女たちが、お待ちください、お待ちください、と追ってきた。
「ユリイーシャ」と顔を見るなり言い放った天尊は、明らかに不快そうだった。
「アキラを茶に誘うのは構わんが定時には帰せッ」
もうそのような時間かと、アキラは窓外へと目線を移した。
確かに空の色は夕暮れから夜に差しかかろうとしていた。初めてのエステで時間の感覚が分からなくなっていたらしい。
「定時には帰せってまるで子守りだな」
「フェイさん💦 大隊長に聞こえてしまいますよ」
緋とビシュラはヒソヒソと陰口。それが聞こえたアキラは苦笑が漏れた。
「あら、もう本日のお仕事は終わられまして? でしたらティエンゾン様もお茶を一杯いかが? 今は丁度冷たいものをご用意しておりましてよ」
「俺は茶の話なんかしてない。アキラを帰せと言っている」
「アキラ様も今お飲み物を召し上がり始めたところですわ」
ああもう、このお姫様とは話が噛み合わない。天尊は憚らずチイッと盛大な舌打ちをした。
アキラはビーチベッドから立ち上がり、イライラしている天尊を、まあまあと宥めた。
天尊はアキラから甘い匂いが漂うことに気づいた。菓子の類とはまた異なる匂い。アキラの頭に鼻をくっつけてスンスンと匂いを嗅いだ。
「何だ、いいニオイがするな」
「たぶん、シャンプーとかのニオイ」
「私とアキラ様は同じ香りのボディオイルにいたしましたの。ティエンゾン様もお気に召しまして?」
「ああ。ソレを聞かなければな」
天尊はまたチッと舌打ちした。
アキラは額を押さえて嘆息を漏らした。天尊の態度はあからさまだ。ユリイーシャがよい意味で鈍感な人物でなければ泣き出してもおかしくはない。
パン。――突如、ユリイーシャが手を打った。
これはお姫様が妙案を閃いたときの合図か何かか。天尊と緋は、また気紛れに何かを思いついたなと察した。
「せっかくエステで磨きをかけたことですし、パーティをしましょう✨」
ユリイーシャは自信満々に妙案を得たりという表情。
ビシュラとアキラは、ユリイーシャの発言についてゆけず「えっ、えっ」と顔を左右に振った。
「ティエンゾン様たちの歓迎パーティがまだでしたね。騎士たちへの労いも兼ねてお父様が本城へ戻られる壮行パーティといたしましょう」
天尊はハッと鼻先で笑った。このお姫様は、パーティが開けさえすればその理由は何でもよい。自分の身に危険が迫っているというのに、何とも暢気かつお気楽で貴族らしい性質の持ち主だ。
「アキラ様のドレスは私が選んで差し上げますわ。ティエンゾン様の為にも可愛らしいものを選ばなくては」
「のった✨」
天尊は直ぐさま承諾した。パーティに付き合う代わりに着飾ったアキラにお目にかかれるのは条件として悪くない。
「フェイとビシュラは必ず参加するのよ。お父様がこの城を出られたらふたりは本格的にお仕事になってしまうでしょう。その前に最後にパーティを楽しみましょう」
ビシュラはフルフルフルッと首を左右に振った。
「滅相もない。わたしは結構です。グローセノルデンさまのパーティだなんて畏れ多く……それに、相応しい着るものも持っておりませんから」
「安心して。フェイもビシュラも私がご用意して差し上げます。三人分もコーディネイトをしていいなんて楽しいわね」
完全にそのつもりでいるユリイーシャはスッとソファから立ち上がった。早速侍女たちにパーティの開催とその為の衣装を申しつけた。
ビシュラは緋にソッと寄り添って小声で耳打ちする。
「わたしのようなものがグローセノルデン大公のパーティに参加してよろしいのでしょうか?」
「必ず参加しろと言ってるのはそのグローセノルデンの姫だ。貴族にとってパーティなんて日常茶飯事だ。そんなに気負うな。それとも、お前がパーティが吐くほど嫌いっていうなら拒否してもいいけどな」
「そッ、そのようなことは。パーティなんて学院の卒業式くらいしか出席したことがなくて。大貴族のグローセノルデン大公のパーティなんて身に余る光栄です✨」
緋がビシュラの顔を見ると、目をキラキラと輝かせていた。
何だ、本当は参加したいのではないか。白銀の古城に綺麗なお姫様に華やかなパーティ。そのようなものに喜ぶ夢見がちな性格は、幼稚だが可愛らしく感じられた。
「じゃあいいじゃないか。お姫様のワガママに付き合ってやれ。パーティが終われば嫌でも仕事だ。そうなったら気合いを入れろよ」
「はいッ」
煌びやかに着飾ることも、絢爛豪華な宴を楽しむことも、男女で熱い視線を交わし合うことも、悪いことではない。むしろ、もっと生と若さを謳歌すべきだ。
現実に瞼を閉じ、玉響の夢をみる。必ず夜は明け夢は終わり、酒は抜け、愛を其処へ置いてゆき、彼らは武器を握り防備を築くのだから。
戦うことを約された者どもの、束の間の休息――――。
アキラたちはユリイーシャからエステに誘われた。
こう連日、ティータイムにエステにとお誘いを受けるということは、天尊の兄・綾武劍の言うとおり、ユリイーシャはアキラたちと過ごす時間を楽しんでくれているのだろう。
北の僻地の姫様とはいえ、サスガに美容にかけては最高級品ばかりが揃えられている。評判のエステティシャンを城下町より呼び寄せ、稀少な原材料を用いたアロマオイル、花片で満たされたお風呂に、パールパックを惜しみなく費やした。その価値が分かるビシュラは、アキラの世話をするように仰せつかったというだけで、自分のようなものがご相伴にあずかってよいのかと、恐縮し通しだった。
しかしながら、最初は強張っていたビシュラも、エステが終了する頃にはすっかり気の抜けきった弛んだ表情になっていた。
アキラとユリイーシャ、ビシュラ、緋は、スパルームでビーチベッドに横になり、フローラルな香りがする冷たい飲み物で喉を潤す。
「気持ちが良くて力が抜けますね~~」
「わたし、エステなんて初めてです」
「それだけ若ければ必要ないだろ」
「フェイさんだって」
「ご満足いただけたのでしたら嬉しいですわ」
ユリイーシャは、満足げな三人のご婦人を見てニコニコとご満悦の表情だった。
如何に贅を尽くしたエステでも、冬の間中ひとりで過ごしていれば面白味がなくなる。この土地から動けないユリイーシャにとって、同じ体験をして感想を語ってくれる相手がいることは何よりも喜ばしいことだった。
「伺いましたわ、アキラ様」とユリイーシャが口を開いた。
「昨夜、お風呂で倒れられたのですって? お身体は大丈夫ですの?」
アキラはギクッと表情を変えた。
聞いた、と言われて一瞬そのような醜態を誰が話したのかと思ったが、思い当たる人物はひとりしかいなかった。天尊の兄・綾武劍だ。ユリイーシャに会った彼が、そのついでに話したのであろう。もしかしたら意識を失っている間に裸を見られてしまったのではないかと思うと、脳内から消し去りたい出来事だ。
「た、大したことはないです。ちょっとお風呂に浸かりすぎてのぼせちゃっただけで」
「分かりますわ。恋人と一緒に入浴するとついつい長湯してしまいがちになりますものね」
「な、なんでそんなことまで、知って……ッ」
アキラの頬はカーッと真っ赤に染め上がった。
否、尋ねる意味などなかった。犯人は綾武劍で間違いない。
緋は、アキラの初心な反応を見て肩を揺すって笑った。
「ああ、何だ。大隊長と一緒に入っててのぼせたのか。毎日あれだけくっついて風呂までベッタリとは」
「い、いつもはひとりで入ってます! 一緒に入ったのなんて初めて……ッていうか、昨日だってティエンが勝手に!」
「そうか、勝手にか。大隊長はお前に構いたくてしょうがないんだな」
「アキラ様は可愛らしいですもの。ティエンゾン様が構われたくなるお気持ちも分かりますわ、うふふ。私もアキラ様に構いたくって構いたくって」
アキラはユリイーシャのほうへと目線を向けた。目が合うとユリイーシャはニッコリと微笑みかけてきた。
「わたしに構いたいって……?」
「アキラ様は私の妹姫になるのですもの。当然ですわ」
アキラは、この人が姉になると脳内で想像してみてもまったく実感が湧かなかった。ユリイーシャはその場にいるだけで絵画のように麗しく、微笑む容顔は幻想的な女神のようだ。現実よりも御伽の世界のほうが似合う。このような人物が自分と義理の姉妹になるなど現実感がなくて当然だ。
アキラはふと、自分の隣のビーチベッドに腰かけるビシュラの横顔に目を留めた。正確には、その耳許でキラリと輝いたものが気になった。
「ピアス、前からしてましたっけ? ビシュラさん」
「これは……昨日、歩兵長から頂戴いたしました」
アキラは「へー、いいですね」と返し、緋はクスッと笑った。
「ついでに泣かされたけどな」
「あれは……痛かったです」
「泣かされ??」
アキラが小首を傾げ、緋はアハハハッと笑った。
ビシュラは苦笑しつつ自分の耳に指先で触れた。まだホールを開けたばかりだから、ピアスに触れるとピリリと痛みが走った。
「歩兵長のバカ、力任せにピアスでビシュラの耳朶を突き破ったんだよ。歩兵長はピンと来てないしビシュラはわんわん泣くし、昨夜宿舎はちょっとした騒ぎだったぞ」
「昨夜は大変ご迷惑をおかけしました💧」
悪いのはヴァルトラムの蛮行であってビシュラではないのだけれど。
アキラと天尊の部屋は、貴賓用のゲストルームであり隊員たちが使用する宿舎とは建物自体が異なる。宿舎での騒動にはまったく気がつかなかった。
「ビシュラさんとあの赤い髪の大きな人……ほへいちょー、さん? は恋人なんですよね」
丁度飲み物を口に含んでいたビシュラは、アキラの発言で噎せた。ゴホッゴホッと咳きこんだあと、急いで呼吸を整えた。
「コホンッ。わたしと歩兵長は恋人ではありません」
「え。恋人じゃないのにそんなピアスをくれるんですか? 宝石ですよね、ソレ」
「くれるんだ、歩兵長の金銭感覚はバカになってるから。飲みに行っても言えば割とすぐオゴってくれる。そこだけは使える上官だ。今までは男ばっかりだったが、若くて可愛い新人に強請られたら宝石くらい買ってくれるってことだな」
緋はそう言って冗談みたいに笑った。
ビシュラにとっては冗談ごとではない。上官に物を強請るようなはしたない人物だと思われたくはなかった。
「わ、わたしは強請るなどしておりせん」
「アキラにはビシュラと歩兵長が恋人同士に見えるか?」と緋。
「まあ、はい。少なくとも、そういうプレゼントをしてくれるってことは、ほへいちょーさんはビシュラさんのことが好きなんじゃ……? 違うんですか??」
まさか、とビシュラは真っ先に否定した。
「歩兵長はわたしを揶揄っていらっしゃるのですよ。三本爪飛竜騎兵大隊の方たちからするとわたしはとても世間知らずだそうですから」
(あれはからかってる態度なの?? 高度なからかい方)
話を聞いていたユリイーシャは、口許に手を添えてウフフと笑った。
「私は歩兵隊長様とゆっくりとお話ししたことはございませんが、ビシュラと歩兵隊長様は一見して意外な組み合わせには見えますわね」
緋は親指でアキラを指し示した。
「アタシから見たらアキラと大隊長だって相当なモンだ。大隊長とアキラじゃ父子でも通用する。なのに、何があったか知らないが大隊長のほうがアキラに夢中って感じだ。あの大隊長がだぞ。首から上が別人にすげ替わっていると言われても信じるね」
「フェイさん💦」
「わたしもそう思います」
ビシュラは慌てて繕おうとしたが、アキラ本人はすんなりと認めた。
その落ち着いた態度も動揺のない表情も大人びており、興が削がれた緋はピタッと笑うのをやめた。
「ティエンが何でわたしなんかを選んだのか、自分でも分かりません。貴族だって聞いてるし大隊長って呼ばれてるし、きっと偉い人なんですよね。そんな人がどうしてわたしなんかがイイのか、全然分かりません」
緋は途端につまらなさそうな表情になって肩を竦めた。
「アキラは若い割には物分かりが良すぎる。揶揄い甲斐が無い」
「もう。あまり意地悪を言ってはダメよ、フェイ」
ユリイーシャは口許に手を当ててクスクスと笑う。
カッカッカッ。
性急に床に踵を打ちつける足音に、彼女たちのお喋りは遮られた。
足音のするほう、出入り口のほうへと目線を向けると、丁度天尊が室内に入ってきたところだった。そのうしろには困り顔をした侍女たちが、お待ちください、お待ちください、と追ってきた。
「ユリイーシャ」と顔を見るなり言い放った天尊は、明らかに不快そうだった。
「アキラを茶に誘うのは構わんが定時には帰せッ」
もうそのような時間かと、アキラは窓外へと目線を移した。
確かに空の色は夕暮れから夜に差しかかろうとしていた。初めてのエステで時間の感覚が分からなくなっていたらしい。
「定時には帰せってまるで子守りだな」
「フェイさん💦 大隊長に聞こえてしまいますよ」
緋とビシュラはヒソヒソと陰口。それが聞こえたアキラは苦笑が漏れた。
「あら、もう本日のお仕事は終わられまして? でしたらティエンゾン様もお茶を一杯いかが? 今は丁度冷たいものをご用意しておりましてよ」
「俺は茶の話なんかしてない。アキラを帰せと言っている」
「アキラ様も今お飲み物を召し上がり始めたところですわ」
ああもう、このお姫様とは話が噛み合わない。天尊は憚らずチイッと盛大な舌打ちをした。
アキラはビーチベッドから立ち上がり、イライラしている天尊を、まあまあと宥めた。
天尊はアキラから甘い匂いが漂うことに気づいた。菓子の類とはまた異なる匂い。アキラの頭に鼻をくっつけてスンスンと匂いを嗅いだ。
「何だ、いいニオイがするな」
「たぶん、シャンプーとかのニオイ」
「私とアキラ様は同じ香りのボディオイルにいたしましたの。ティエンゾン様もお気に召しまして?」
「ああ。ソレを聞かなければな」
天尊はまたチッと舌打ちした。
アキラは額を押さえて嘆息を漏らした。天尊の態度はあからさまだ。ユリイーシャがよい意味で鈍感な人物でなければ泣き出してもおかしくはない。
パン。――突如、ユリイーシャが手を打った。
これはお姫様が妙案を閃いたときの合図か何かか。天尊と緋は、また気紛れに何かを思いついたなと察した。
「せっかくエステで磨きをかけたことですし、パーティをしましょう✨」
ユリイーシャは自信満々に妙案を得たりという表情。
ビシュラとアキラは、ユリイーシャの発言についてゆけず「えっ、えっ」と顔を左右に振った。
「ティエンゾン様たちの歓迎パーティがまだでしたね。騎士たちへの労いも兼ねてお父様が本城へ戻られる壮行パーティといたしましょう」
天尊はハッと鼻先で笑った。このお姫様は、パーティが開けさえすればその理由は何でもよい。自分の身に危険が迫っているというのに、何とも暢気かつお気楽で貴族らしい性質の持ち主だ。
「アキラ様のドレスは私が選んで差し上げますわ。ティエンゾン様の為にも可愛らしいものを選ばなくては」
「のった✨」
天尊は直ぐさま承諾した。パーティに付き合う代わりに着飾ったアキラにお目にかかれるのは条件として悪くない。
「フェイとビシュラは必ず参加するのよ。お父様がこの城を出られたらふたりは本格的にお仕事になってしまうでしょう。その前に最後にパーティを楽しみましょう」
ビシュラはフルフルフルッと首を左右に振った。
「滅相もない。わたしは結構です。グローセノルデンさまのパーティだなんて畏れ多く……それに、相応しい着るものも持っておりませんから」
「安心して。フェイもビシュラも私がご用意して差し上げます。三人分もコーディネイトをしていいなんて楽しいわね」
完全にそのつもりでいるユリイーシャはスッとソファから立ち上がった。早速侍女たちにパーティの開催とその為の衣装を申しつけた。
ビシュラは緋にソッと寄り添って小声で耳打ちする。
「わたしのようなものがグローセノルデン大公のパーティに参加してよろしいのでしょうか?」
「必ず参加しろと言ってるのはそのグローセノルデンの姫だ。貴族にとってパーティなんて日常茶飯事だ。そんなに気負うな。それとも、お前がパーティが吐くほど嫌いっていうなら拒否してもいいけどな」
「そッ、そのようなことは。パーティなんて学院の卒業式くらいしか出席したことがなくて。大貴族のグローセノルデン大公のパーティなんて身に余る光栄です✨」
緋がビシュラの顔を見ると、目をキラキラと輝かせていた。
何だ、本当は参加したいのではないか。白銀の古城に綺麗なお姫様に華やかなパーティ。そのようなものに喜ぶ夢見がちな性格は、幼稚だが可愛らしく感じられた。
「じゃあいいじゃないか。お姫様のワガママに付き合ってやれ。パーティが終われば嫌でも仕事だ。そうなったら気合いを入れろよ」
「はいッ」
煌びやかに着飾ることも、絢爛豪華な宴を楽しむことも、男女で熱い視線を交わし合うことも、悪いことではない。むしろ、もっと生と若さを謳歌すべきだ。
現実に瞼を閉じ、玉響の夢をみる。必ず夜は明け夢は終わり、酒は抜け、愛を其処へ置いてゆき、彼らは武器を握り防備を築くのだから。
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