ベスティエンⅡ

熒閂

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#05:Sign of Recurrence

The world in my mind rains. 01 ✤

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 或る日、荒菱館コーリョーカン高校の一教室にて。
 渋撥シブハツ鶴榮ツルエは同じクラスであり、席も前後の配置という近さ。前の席に座っている渋撥の体格で隠れるので、鶴榮はなかなか居心地のよい席だった。
 只今は授業終了後のHRホームルームの真っ最中であり、担任教師が何やら喋っているのをのんびりした気持ちで聞き流していた。渋撥が悪魔のような少女を撃退してから鶴榮の耳に入ってくる被害報告もパタリと已み、退屈な平和を取り戻していた。こうなっては数日前までのピリピリした空気も悪くなかったと思うくらいで。
 鶴榮は欠伸をしながら窓の外へと目をやった。

「…………オイ、ハツ

 鶴榮は渋撥の背中をつついた。渋撥は鬱陶しそうに「何やねん」と鶴榮のほうを振り返った。

「またあの子やで」

 鶴榮は窓の外、校門のほうを指差した。渋撥が鶴榮の指差す方向に目を遣ると、確かにそこには例の少女が立っていた。

「あの子今日も待っとるんやなァ。今日で何日目か数えてるか? 愛やなァ愛🩷 羨ましいこっちゃで」

「何が愛やねんアホか。あんなジャリ、マトモに相手してられるか」

 鶴榮は頬杖を突いて少女を眺めながらニヤニヤしていた。渋撥は不機嫌そうに鼻の頭に皺を寄せ、教室前方へと顔を引き戻した。鶴榮が揶揄ってくるのが非常にうざったい。

曜至ヨージちゃうけど、あの子やったらワシ考えてまうけどな~~」

「ほなオマエも曜至と同じじゃ。ロリコンと名乗れ」

「あの子ほんまカワイイさかいな。ワシの人生で見てきた中で一、二位争うレベルや。しかもカオだけやのォて、オマエみたいな鬼ヅラした男にビビらへんどころか告るなんざ、ハンパなく肝が据わっとる。カワイイ上に度胸のあるなんざ最高やろ♪」

 鶴榮は鼻歌でも漏れそうなくらい上機嫌な声。それが妙に渋撥の癇に障った。だから余計に、今も校門の近くに立っているはずの少女のほうへ目を遣りたくなくなった。

「ジャリがモノ知らんだけや」

ハツは何であの子にそんな冷たいかのー」

 鶴榮は渋撥の後頭部に問いかけたが、返答はなかった。

「なんぼ気のない相手でもこの前のアレは言いすぎやで。フツーなら泣いてもうてんで。オナゴにはもちっと優しゅうしたらなな」

「泣いたら何やねん」

(コイツは自分が無神経やて自覚があれへんさかい始末に負えんな)

 長い付き合いである鶴榮が思うに、渋撥は他者の感情に酷く鈍感だ。自身の感情に変化が乏しいから他者も同様だとでも思っているのか、他者の感情に頓着がない。彼に他者を察する、慮るなどの行為を期待するだけ無駄だ。或る種、マシーンのようなこの男に恋し、恋されたいなど、あの少女は無謀な賭に出たものだ。

「気のない女に優しゅうしたって何になんねん」

「ほんまに気のない女なんか?」

 鶴榮から素早く聞き返され、渋撥は「あ?」と上半身を捻って鶴榮のほうを振り返った。

「ほんまにあの子のことが気にならんのかって訊いてんねん」

 鶴榮は窓の外の少女から渋撥へと顔を引き戻した。不機嫌そうな渋撥と目が合い、可笑しそうにカカカカと笑った。

ハツゥー……。オマエ、気にしてへん振りしとるだけちゃうか?」

 途端に渋撥は極めて不機嫌な形相になった。眉間の皺を深くして鶴榮を無言で睨みつける。普通の者なら此処でご機嫌取りに動くだろうが、渋撥の不機嫌顔など鶴榮はもう慣れっこだ。

「この前、オマエのほうからあの子に声かけたやろ。ほんまに相手したないヤツにはシカトするか睨み利かして終わりのクセにな。あの子を最初に道端で見かけたときかてオマエ、ジッと見とったで」

「……偶々や」

 鶴榮は頭の後ろで手を組み、椅子の背凭れに寄りかかってキィッと鳴かせた。

「ワシ、オマエ以上にお前のこと分かってんねん。偶々かそうでないかくらい分かるで。まあ、自覚ないみたいやから教えたるけど、オマエは無理矢理あの子に興味ないよに振る舞ってんねん」

 最初に街角で少女を目にしたとき、悪魔と化した少女と出逢ったとき、それから少女と再会したとき、鶴榮は渋撥の反応を見て内心驚いていた。唯一絶対の王として荒涼と広陵たる帝国に君臨し俗世には興味を示さず無表情で無関心で無感動な男が、あの少女にはいつもと異なる行動を取った。とりもなおさず、あの少女が特別だということだ。
 渋撥は苛立ちを正直に表情に表していた。鶴榮が自分以上に自分のことを分かった風な口を利くのが非常に面白くなかった。いつもは心中を言い当てられても代弁してくれた程度のことで腹立ちはしないのに、少女の件については何故だか無性に苛立った。
 鶴榮がしばらく待っても渋撥は睨みつけるばかりで指摘への答合わせはなかった。諦めた鶴榮は「はぁーあ」と盛大な溜息を吐いた。

ハツがカッコ付けなんは今に始まったことちゃうけどな、あんな女のコにあんま可哀想なこと言うたんなよ」

「別にカッコ付けてへん」

「カッコ付けとるさかい、ジャリやから~とか言うてんねやろ。ワシに言わせれば、そんな言うて誤魔化しとるオマエより、覚悟決めてオマエみたいなんに真正面から告ったあの子のほうがよっぽど肝が据わっとるで」

 ガタッ、と渋撥は突然勢いよく椅子から立ち上がった。鶴榮を俯瞰気味に睨みつけて拳を握り締める。
 鶴榮はのんびりと椅子に凭りかかったまま渋撥の拳をチラッと見て、ハンッと鼻で笑った。

「殴りたいんやったら殴れや。まあ、せやさかいオマエはカッコマンって話やけどな。ダッサ」

 教室中の視線が渋撥と鶴榮に集まった。いつ殴り合いが始まるかという緊迫感に教室が包まれ、クラス全員が固唾を呑んで見守る。
 これは熟考した結果ではなく本能的な推知であるが、此処で手を出してしまったら、鶴榮の思いどおりである気がした。鶴榮の指摘をすべて肯定することになるような気がした。
 渋撥は大きく深呼吸をし、珍しく憤怒を自分の中に押しこめ果せた。そして不機嫌極まりない表情で窓に背を向けて自分の椅子に座った。

 その日、渋撥はひとりで裏門から敷地外へと出て行った。少女を回避していることは明らかだったが、鶴榮は渋撥を追及しなかった。渋撥は確かに学業の成績は褒められたものではないが、あれだけの物を言われて何も考えないほど暗愚ではないはずだ。
 彼が考える最悪の事態は、他者の感情に鈍感な王様が、遂には自分の感情も思考も停止してマシーンに成り果てること。神様が何を考えてか化け物じみたギフトを授けたかは知らないが、この世界に生を受けた以上、この世界に生きる者と同じように歩いたっていいはずだ。化け物だって人がましく振る舞ったっていいはずだ。




  § § §




 教室で鶴榮と一触即発の状態になった日から一週間、渋撥が登校してくることはなかった。
 一週間後の平日、鶴榮は渋撥の自宅を訪れた。出席日数や単位との兼ね合いも考え、午前中は学校にいた。学食で腹を満たし、午下の一服を終え、自主的に早退を決めこんだ。途中コンビニエンスストアに寄って欲しいものや必要なものを買いこみ、のらりくらりとやって来た。
 玄関を開けた渋撥は随分と怠そうだったが、鶴榮は別段看病をしてやるつもりなどなかった。渋撥は自室のベッドの上に座り、しんどそうに深い息を吐いた。鶴榮は渋撥の部屋に入るなり床に座りこんだ。

「一週間も出てこおへんさかいどうしとるか思ったが生きとったか。やっぱ生命力だけはハンパちゃうな」

「オマエが死ね」

 鶴榮は持参したコンビニエンスストアの袋をガサガサと漁った。自分の煙草をテーブルの上に出したのち、ペットボトルの水を取り出して渋撥に向かってポイッと投げた。
 コキュッ、と渋撥はペットボトルの蓋を開けて口を付けてゴクゴクと飲む。鶴榮は煙草に火を付け、煙を肺に吸いこんで一息吐いた。

「トンズラこいたさかい神サンにバチでも喰ろうたか」

 鶴榮が白い煙を吐きながら何のことを言っているのかすぐに分かった。渋撥は苦虫を噛み潰したような顔で「イヤミか」と呟いた。

「知恵熱かのー。ちょぉっと働かせたくらいでショートしてまうとは、ハツのオツムはやっぱ人様より出来が悪いみたいやな」

「ただの風邪じゃボケ」

「その歳になって40度近く熱出すなんざフツーの風邪ちゃうで。つまり知恵熱」

「黙れッ💢」

 高熱で体力を奪われた所為か、渋撥の声にいつもほどの迫力はなかった。鶴榮はカカカカと笑って煙を吐いた。

「ちゅーか、オマエこれ以上休んだら日数ほんまヤバイで。日頃の行いが悪いさかいおちおち風邪も引いてられへんな」

「あと何日休んでええんや。数えてへん」

「オマエもううっかりダブれ。自己責任で」

「もう熱は下がった。明日はガッコ行く。せやさかい少し黙れ」

 鶴榮は一頻り笑い、ふうと一息吐いた。

「ほんま早よガッコ来たれよ、ハツ。そろそろ顔見せたらな可哀想やでなァ」

「何がや」

 渋撥は重たい頭を動かして鶴榮のほうへ顔を向けた。鶴榮は肩を竦めて苦笑した。

「あの子な、まだ毎日来とるで。ナメとったわ。ありゃあ度胸もあれば根性もあるわ」

 渋撥はやや三白眼を大きくした。

「あれだけカワイイのが校門におれば嫌でも目立つさかいな、毎日声かけられて大変そうやで。うちのモンはドイツもコイツも女に飢えてるからな。ワシが助けたってもええが、ワシはハツのツレやとツラが割れとるさかい、助けに入って無駄に期待させるのも酷や。ハツも気ィ持たせんな言うてたし――」

 鶴榮が何やら熟々と語っているが、すべて渋撥の耳を滑っていった。あの少女は何を考えてそのようなことをしているのか、渋撥の理解の範疇を超えている。何か約束をしたわけではない、何か条件を出したわけではない。それ以上食い下がれないほど、取りつく島もないほど、付け入る隙もないほど、ただただ決定的な拒絶を突きつけたのに。

「で、一週間じっくり考えてどうするべきか答も出たやろ。そろそろ決着付けろ」

 渋撥は鶴榮の声でハッと我に返り、反射的に「あァ?」と聞き返した。

「決着も何も、最初にハッキリ言うた」

「カッコつけて誤魔化したのは決着とは言わん。同じこと言わすな」

 渋撥は口を真一文字に結んで鶴榮をジロリと睨んだ。

「一週間、あの子のこと一遍も考えへんかったか? 一遍でも考えたならオマエはあの子に気がある。ほんまに興味がないなら二歩で忘れとる。オマエはそういうロクデナシや。むしろ、あの子のことばっか考えとったんちゃうか」

 渋撥は飲みかけのペットボトルを鶴榮目がけてブンッと放り投げた。鶴榮に避けられたペットボトルはバンッと床に叩きつけられた。

「オマエは何考えとるか分からんアホやが、何も考えてへんほんまモンのアホちゃう。何をせなあかんかは、分かってるやろ?」

 渋撥は、鶴榮から言い聞かせるように説かれたのが面白くなく、ぶっす~と口を尖らせた。その図体で反論もできずに拗ねているのはいい気味だ。鶴榮はクックックッと肩を揺らした。
 鶴榮は煙草を唇に挟み、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。液晶画面に表示された時刻を確認して「ああ」と零した。

「時間的にそろそろ来る頃やな」

「は?」

「毎日見てたら大体あの子が校門に来る時間くらい分かるで」

 鶴榮は白い歯を見せてニカッと笑った。

「で、オマエはどうするんや?」

「クソッ」

 渋撥はベッドから飛び起きた。
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