自宅、リビングにて

辻森颯流

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自宅、リビングにて〜日付またぐまで起きてただけでワクワクできたあの頃に戻りたい〜

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 今夜、もう何度目だかわからない寝返りを打つ。

 外からは虫の鳴き声が小さく聞こえる。カーテンの隙間から漏れる月明かりが部屋の中を照らすと、いつもと変わらぬ部屋のはずなのになぜか少しロマンティックに見えた。

 時計の秒針の音だけが虚しく響く部屋で、1人呟く。


「寝られねー……」


 わたしはもともと寝つきが悪いほうだが、最近はそれに拍車がかかっている気がする。休みであるのをいいことに昼間は自堕落に生活しているのだから、寝られないのも当然と言えばそうなのだが。

 スマホの待ち受けの時計は、午前2時半過ぎを表示している。仮に明日、7時に起きるとしたら、もう5時間も寝られない。そうなるときっと昼には眠くなって昼寝をする。すると今度は昼に寝過ぎてしまって夜に寝られず……

 明日の夜も寝られなくなるであろう算段をつけたところで、身体を起こした。本格的に寝る努力をしないとこのまま朝を迎えそうだ。大人しくベッドで横になっているうちに眠くなるのが1番理想だが、それが無理となれば少しでも身体を動かして眠気を誘うより他ない。


「散歩でもしてこよう」


 そう思ったのだった。




 ◆◇◆




 わたしの自室は2階にある。まずは1階のキッチンで水でも飲もうと階段近くまで行くと、1階から明かりが漏れているのが見えた。
 今この家にはわたしと、兄の湊人以外はいない。つまり兄もまだ寝ていないのだ。わたしと同じで寝られないのだろうか。

 1階に降りる。自宅、リビングにて、湊人はパソコンとにらめっこをしているところだった。わたしの顔を見て、軽く手を挙げる。夜中にわたしが起きてきたことにさして驚く様子もなく、「寝られないのか」と話しかけてきた。

 わたしも手を挙げ返しながら「なんだかね。このままだと朝を迎えそう」と返した。

 湊人の向かいの椅子に腰掛ける。兄は、コーヒーを片手にパソコンと向き合っていた。テーブルの隅には、「睡眠打破!!」とパッケージに書かれている目薬の箱も置いてある。目をこすりながらも「櫻子も飲むか? コーヒー」と笑顔で話しかけてくる兄を見ていたら、なんだかいたたまれなくなった。明らかに無理して起きている人の姿だ。

 聞かなくてもわかる。湊人は小説の執筆活動をしていたのだろう。専門学校を出てあらゆるコンテストに応募しても叶わなかった小説家の夢を、湊人はいまだに諦めていないのだ。


「今日はバイトだったんだっけ?」


「そうだよ。おかげでこの通りだ」


 湊人は困ったような表情を浮かべながら、パソコンを指さしてみせた。


「……忙しくはなるよね」


「まあせっかく始めたバイトだしな。こうゆう時間もまた一興だ」


 実家暮らしなのをいいことにニート生活を満喫していると思っていたら、兄はしっかりとバイトを始めた。それでも小説を応募する頻度は変わっていないとこの前話していたが、こうやって時間を捻出していたのか。

 わたしは高校生で、今は夏休み中なのだから、いくら自堕落に生活しようと誰かに文句を言われることはない。だが、目の前で兄が、無理してでも時間を作って自分のやりたいことを貫こうとしている様子を見ると、なんだか無性に、


「情けなくなってくるよ……」


「どうした急に。また嫌な夢でも見たのか」


「いや、そうじゃなくて。わたし昼に寝すぎて夜寝られなくなるという典型的な昼夜逆転をしてるからさ」


「そんなの誰しも1回は経験してるよ。それで『ああ、自分はなんて怠惰なやつなんだ』って自分にがっかりするところまでがセットだよ」


 湊人は軽く笑い飛ばすと、パソコンから伸びているイヤホンを外し、席を立つ。キッチンに向かおうとしているので、慌てて止めた。


「あ、コーヒーなら大丈夫。余計に寝られなくなっちゃいそう。ありがとね」


「なんだそっか」


 座ってまたイヤホンをはめ直す湊人を横目に、わたしはキッチンで水を飲んだ。どうやら喉が渇いていたようで、身体の内側に水分が染み渡ってくる。無駄に重かった身体が息を吹き返すような感覚があって、これだけで寝られるような気がしてくるから不思議だ。


 「本当は外の散歩でもして、少し身体を疲れさせようかと思ってたんだよ」


 再び湊人の前の椅子に腰掛けて話す。


「えー、こんな時間に? さすがに危ないだろ、櫻子だって女の子なんだから」


「だって本当に寝られないんだもん。このままじゃ明日どころか学校始まってからもやばい気がして」


「ああ……そういうことなら」


 湊人はパソコンから目を離さずに言った。


「寝られにときにどうすればいいか、一緒に考えてみるか。これやりながらになっちゃうけど」


 今回ばかりは断る必要もない。どうせ寝られないし、そんな話をしているうちに眠くなりそうだ。逆に、湊人の執筆に差し支えるんじゃないかと、そっちの方が心配だった。



 ◆◇◆



 よく聞くのは、羊の数を数えるという睡眠方だろう、とわたしは言った。

 羊が1匹、羊が2匹……と数えているうちにいつの間にか寝ているという、子供でも知っているあれだ。しかしわたしは、あれの効果を感じたことが今まで一度もない。


「聞いたところによると、あれって日本人には効果が薄いらしいな」


「え、そうなの?」


「そもそも英語圏が発祥で、one sheep、two  sheepって数える呼吸のリズムがいいらしいぞ。あとsleepとsheepの響きが似ているのがいいとか何とか」


 なるほど、道理でわたしがいくら数えたところで脳内羊が数を増すだけになるはずだ。それとこれは羊を数えている時あるあるだと思うのだが、途中から脳死で数えているため何匹目まで数えたか忘れて、同じ数字を何回も繰り返しがちだ。


「じゃあお兄ちゃんはどうしてる? 寝られないとき」


「おれの場合はいっそ振り切って、眠くなるまでこうやってパソコンいじってる時が多いかな。高校に通ってる櫻子と違って、おれは時間に追われるということがないからな!」


 爽やかな笑顔で言っているが、それはつまり自分はニートだから時間になど縛られないという意味だ。そんなポジティブに言われても。

 確かに湊人のバイトは基本は夕方からだから、早起きの必要もないだろう。だが結果的にこうして遅くまで小説を書いているのだから、大変なことに変わりはない。今日1日の怠惰な自分を思い出して、再び自己嫌悪になりそうだ。


「それなら、学校に通ってた時はどうだった? 時間に追われているのに寝られないって場合」


「あー、その時はおれの場合、必殺技があってだな」


 湊人はしたり顔で、この会話をしている中で初めてこちらに目線をよこした。


「おれは脳内RPGをプレイすることでその場を乗り切っていたんだ」


「脳内RPG?」


 自分から聞いておいてなんだが、湊人のこのしたり顔を見ると、反射的に聞かなきゃ良かったという気持ちに駆られる。絶対によくわからないことを言ってくるからだ。そしてやっぱりよくわからないことを言われ、もはや安心感さえ覚えた。


「文字通り、脳内で自分の好きなRPGをプレイするんだ。プレイというか話の内容を再生するだけだから、映画の上映に近いかもしれないな」


 つまり、過去にプレイしたことのあるゲームを脳内でもう一度プレイし直すという単純なものだ。


「やるからには徹底的にやるぞ。オープニングの音声とかコマンド選択の時のピロンって音とかも事細かに再生する。なんだったら本来はない主人公のセリフを考えてみたり、ボイスのないゲームだったら自分で声優さんキャスティングしてみたり」


「そう聞くと確かに、考えがいもあって面白そうだね」


「ちなみにおれのおすすめはドラクエⅤだ。BGMなんかしっかり思い出せば出すほど深みがあって最高だぞ」


 感動的なゲームというものは何回やっても感動できるものだ。脳内再生だからクオリティは下がるかもしれないが、その感動を寝たまま、しかも無料で味わえるとなるとこれはけっこういい案かもしれない。わたしも面白かった小説のワンフレーズを頭の中で反芻することもあるし、楽しさは想像がつく。だが。


「それってさ、寝られるの?」


シンプルに疑問だ。多分楽しさが勝ってしまってわたしなら寝られない。変に気持ちが昂ってしまいそうだ。すると湊人は、


「そう、残念ながらこの作戦の唯一の欠点は、さして眠くならないことなんだ」と別に残念でもなさそうに言ってのけた。


「唯一の欠点が致命的すぎるよ」


「でもな、おれはそれでいいと思ってる」


 湊人は腕を組み、背もたれに大きくもたれかかった。


「けっきょく、寝られないモードに入った日って、もうどう足掻いても寝られないんだよ」


「元も子もないなあ」


「で、おれが思う寝られない時の対策の真髄は『すぐに眠くなる方法』じゃない。『いかにその寝られない夜を有意義に過ごすか』なんだよ」


「わかるようなわからないような」


「寝られない時ってイライラするだろ。あと何分しか寝られないとか、明日はこれをする予定があるのに、とか。そうなったら本当に身も心も休まらなくなってしまう。だったらいっそ心だけでも休めてやるんだよ。まだ寝たくない!って思えるくらいのことをして過ごしていた方がよっぽどいいだろ」


 確かに、湊人理論も一理ある。どうせ寝られないならば、それで嫌な思いをしているのは更なる時間の無駄だ。延々と羊を数えて頭の中が羊で埋め尽くされたところで、何も得られないのだから。少し論点がずれている感も否めないが、これはこれで使ってみたいと思える案だ。


「あ、ちなみにこれは脳内RPGあるあるなんだけれど」


「うん」


「途中から脳死でプレイしているから、どこまでやったか忘れて、同じシーンを何回も繰り返しがちだ」


「その辺の思考回路はわたしと一緒かい!」


「ちなみにさっき話したドラクエⅤで言えば、おれはストレンジャー号から降りたことすらない」


「◯ボタン連打で辿り着けるところまでしか進めないであんなに語ってたの?!」


 オープニングが良すぎてなあ、なんて言いながら、湊人はまたパソコンに向き直った。

 なんだったんだこの時間は……皮肉なことに、寝られる方法を知るために寝られなくなっている自分がいた。



 ◆◇◆



 時計を見るともう午前3時に近い。気づいたら30分近くも湊人と話していたようだ。

 自然とあくびが出る。お、わたし今眠いぞ。


「なんか、眠くなってきたかも」


「良かった、これをチャンスに寝た方がいいな」


 そう言う湊人は席を立つ気配もない。


「お兄ちゃんは? もう少しやってくの?」


「そうだな、もうちょっと頑張るよ」


 すごいな、と素直に思えた。確かにくだらない話をする兄ではあるが、それでも芯を持って、やりたいことをやっている。おまけに夜に寝られない妹の相手もしてくれたのだと考えたら、これはやはり、ありがたいことなのだろう。


「じゃ、これ以上邪魔しても悪いし、わたし寝るね。お兄ちゃんも無理しないで」


「おう、おやすみ。おれはもう一杯くらいコーヒー飲むかな」


 そう言って立ち上がった時、イヤホンのコードが湊人の足に引っかかり、パソコンのジャックからコードが抜けてしまった。

 その瞬間。

『恐ろしい夜がやってきてしまいました。制限時間以内に、生贄になる人物を選んでください』

 野太い男性の声と、ゴーン、ゴーンという鐘の音が部屋中に響き渡った。


「おっと」


 と、湊人はコードをパソコンに差し直すと、マグカップ片手に平然とキッチンに歩いて行く。

 ……え?

 思考が追いつかない。聞き間違えじゃなければ、今のは間違いなく人狼ゲームのアプリのBGMだ。

 え、人狼のプレイ動画を見ながら小説を書いていた?いやそんなわけあるか!
 飄々とキッチンから戻ってきた湊人にわたしは詰め寄る。


「お兄ちゃん! なにさっきの! 小説は?」


「……ショウ、セツ?」


「初めて聞いた人か! そうじゃなくて、小説書いてたんじゃなかったの?」


「何言ってんだ、おれは今バイト仲間とオンラインで人狼ゲーム中だぞ」


 ホア、と、変な音が口から出てきた。確かに冷静に思い出してみると、湊人は小説を書いているなんて自分からは一言も言っていない。


「……いやでも! バイト始めたおかげでこの通り、とか言ってパソコン指さしてたじゃん。あれってバイト始めたから小説書く時間がなくて、みたいな意味じゃなかったの」


「違うよ、バイト始めなかったらバイト仲間と人狼なんてできないだろ。バイト始めたおかげでこの通り、夜中まで人狼やってるぜって意味だよ」


 クラクラしてきた。わたしの情けなさや兄への尊敬とはなんだったのか。いっそのこと勘違いしたまま寝ていた方がよほど幸せだった。


「なんか、なんだろう、多分おれは悪くないけど、一応ごめん」


 おまけに謝られてしまった。わたしは無言でリビングを後にした。

 ベッドに入ったら、今夜の一連の出来事を「兄が小説を書いていたバージョン」で再生することで、記憶を塗り替えてやるとしよう。
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