最後までして、鳴瀬さん! -甘党編集と金曜22時の恋愛レッスン-

紺原つむぎ

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◾︎本編その後

冷たいビールとあなた

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「鳴ちゃんて、たこ焼き好き?」
「はい?」

 週に一度ある定例会議のあと。編集長に呼び出された鳴瀬は仕事用のスマートフォンを片手に首を傾げた。

「今から買ってこいってことですか?」
「いや違うのよ、ごめんなさいね、ユーモアって伝わらなければただの寒いギャグだわ。あー、私、こういう話ニガテでねー、今のは前置き」
「ああ……なるほど、だいたい把握しました。異動の話、すかね」
「さすなるー! 話が早くて怖いくらいだわ」

 椅子をすすめられ、真向かいではなく斜めに座る。少女漫画誌ガルラブ編集部長である河本沙也加は、きれいにネイルされた爪でタブレットをタップした。

「大阪ね。第二文芸営業部」
「……意外なところですね」
「栄転って思っていいわよー。上がくれって言ってきたの」
「なんでまた自分を」
「『真面目な東京もん』が欲しいんですって。っていうのはきっと冗談で、魔リンをしっかりやりとげてくれたのがとても評価されたってことです。鳴ちゃんが少女漫画つくりたいと思っているのは知っているんだけど、私個人の意見としても“ほかの場所”を見てもらったほうがいいと思っててね。後々のために」
「……後々、すか」
「鳴ちゃん、自分で新しい漫画ブランド、作りたくない?」

 河本編集長は肘置きにもたれてにこりとほほ笑んだ。
  

 上司である河本は、ファッション誌編集から漫画業界へ転向した経歴の持ち主である。洗練されたセンスや新しい人脈で、少女漫画誌の方向性を大幅に路線変更させ、結果、一時は斜陽とまで言われたガルラブの売り上げを数十倍に伸ばした敏腕編集長として、社内外からの評価が高い人物である。

「鳴ちゃんなら作れると思うのよね。編集長めざしちゃってよ」
「簡単に言いますけどねぇ」
「夢を夢のままにしといちゃだめよ」
「っす。それは身に染みてます。身近で、いろいろ見てるもので」
「ああ、そうね。漫画家先生たちこそ熱いわよね、そのへん」

 漫画ひとすじにしか考えていなかった自分が、まさに今、少しずつ変わってきたところだった。
 娯楽であふれたこの時代を漫画が生き抜くためには……自分がずっとこの仕事をしていくために必要な力とはなんだろう、と。
 ――外から見えることもある。
 そう気づいたのは、スランプをのりこえた琴香の仕事ぶりを見ていたからだ。他ジャンルを学ぶ姿勢や、好きを突き詰めること……担当としてではなく、一歩離れたところから見た彼女の仕事に、かなり影響を受けている。
  
 だから、いずれ、とは思っていた。いずれ、ここを出て仕事をするのもいいかもしれない、と。
 まさかその決断がこのタイミングでくるとは、予想できていなかっただけで。

「……――返事、今すぐじゃないとダメですか」
「二、三日中にお願いね。まずは来月から出張扱いになって、4月付で正式に辞令が出る予定です」

 返事もなにも、もうそこまで予定ができているのか。
 何かを言いたくとも、いちサラリーマンに力はないからなぁと、鳴瀬はため息を飲み込んだ。

「……準備しておきます」
「よろしく。あちらは、こことは違った意味で大変だから、たくさん揉まれてきてください。力をつけて、西にも顔を売って、それから帰ってきてね」

 綺麗な笑顔に見送られ、鳴瀬はデスクにもどった。
  
  

 『今日、そっち寄ってもいいですか』

 琴香はスマホを取り上げておや、と首を傾げた。
 (鳴瀬さんからメール。珍しいな、こんな時間に)
 忙しい彼が、週のまんなかを選んで琴香の部屋に来ることは稀だ。おまけについ先週くらいは年始の慌ただしさを引きずって、しばらく会えないかもと言っていたのに。

『突然ごめん。夕飯は二人分お弁当買ってくので気にせず仕事してて』

 ぴこんと兎のスタンプが頭を下げる。
(なにかあったのかなぁ?)
 ある種の予感に首をかしげながらも、今夜は彼に会えるのだという喜びのほうがまさる。会えるなら何曜日だってかまわない。夕飯まで買ってきてくれるということは、それなりに早く来てくれるつもりだろうし。

(……まだ余裕あるし、ちゃんと着替えて、メイクしとこう……! いつもボロボロなかっこじゃ、愛想つかされちゃう……)

 『ありがとうございます、楽しみ!』と返して、一刻も早く自分の仕事を早く終わらせようと琴香はペンを握り直した。



***


  
「大阪、ですか」
「ん、そう」

 焼肉屋さんの美味しいお持ち帰り弁当に、琴香の作った茶碗蒸しを添えて。なかなか豪勢な夕食だ。けれどそれを囲む二人の表情は冴えない。

「しかも来月から出張扱いで、この先も半分くらいは向こうでホテル暮らしっぽくてですね」
「こういう知らせって、前触れなく突然なんですね……」

 食べる手を止めて、琴香はそっと胃のあたりをおさえた。緊張するとおなかが痛くなるのはもはや持病だ。
 昼間の感じから、なにか伝えたいことがあるのかなと思ってはいたけど、こういう話だったとは。

「そう、ですよね。鳴瀬さんだってずーっとガルラブ編集にいるわけじゃないですよね」
「まぁ業界的にも、いつなにがあってもおかしくないところではあるんすけどねー」

 しかし今かぁー、とため息をついて、鳴瀬は焼肉弁当のすみっこをつついている。

「しかも打診というか、ほぼ決定事項っぽくて。俺としても断ろうとは思ってないし……。だから琴香には先に言っておこうと思って」
「それで、今日だったんですね。忙しいのに、気を使ってくださって、ありがとうございます」
「気を使う、というか……」

 鳴瀬は難しい顔をして口を閉ざした。

「――嫌じゃないんすか? 大阪ですよ」

 ちらりとうらめしそうな視線だけ寄こされても、なんと言ったらいいか。琴香はぐっと眉を寄せてうつむいた。

「そ、そりゃ嫌ですけど……でも……そうは言ってられないといいますか」
「正直言うと俺、すっげー嫌っす。あーいやだ、転勤いやだ」

 仕事関係の愚痴を言う彼は珍しい。ビールでちょっと酔ってしまったのかもしれない。飲みかけの缶をそっと自分側に寄せる。

「編集長の前では悪い顔しませんでしたけど。琴香の顔見たらやっぱ嫌になったなぁ……」
「ええっ。ご、ごめんなさい? 大阪の、文芸部ですか……漫画からも編集からも離れることになりますもんね」
「それもあるけど。いま、一番楽しかったのになーって」
「お仕事?」
「それもそうだし、琴香のことも」
「私?」

 箸をとめて、鳴瀬を見やる。彼は頬杖をついてビール缶を琴香の手から奪っていった。

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