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伯爵令嬢と食客
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「私のこと、抱いてほしいの。フェイロン」
アデル・クラランテがフレイル国の銀花と呼ばれていたころ。
花の盛り18歳のアデルは、怖いもの知らずだった。
名家の令嬢だった母譲りの美貌と、宮廷外交官の父譲りのはつらつさと教養を備えたアデルは、ただそこにいるだけで男性にも女性にも注目され、愛され、大切にされる、社交界きっての高嶺の花だった。
そんななかで、なぜか彼だけは──食客としてクラランテ家に滞在していた異国の青年フェイロンだけは違って、いつもいつもアデルを苛立たせたものだった。
──あの夜だって。
アデルの突然の訪問を受けたフェイロンは、寝台の上でぽかんと瞑目したかと思えば、顔をそむけ口元を押さえて肩を揺らした。
「ふ…………ふふ……くくっ」
だんだん声を抑えられなくなった彼は今や、自分の膝をばんばん叩いて大笑いしている。
「な、な、なんで笑うのよぉ!?」
アデルの決死の夜這い作戦は、フェイロンに大爆笑されて失敗した。
フレイル国の銀花、月の真珠姫。さまざまに美しく形容された自分がこんなにも取り乱してしまうのは、いつだって彼の前だけだった。
「はーっ、ヒィ~ッ、くるっし……あぁお腹痛い……。だぁーって、『抱いてほしいの、フェイロン♡』って。ハァ~ッおっかしい。アデルお嬢様、この一年のうちにずいぶん俗っぽいユーモアを身につけなさいましたねェ」
「俗っぽいってなによ! 笑わないでくださるっ? あなたこそどうして今、この私を前にそんなふざけた顔ができるのかしら!」
「いやァ、いつでも僕につんつん塩対応なアデルお嬢様が、いったいどんな表情で言ってるのかなァって思って、まじまじ眺めてしまいましたー」
「あ、あ、あなたってほんとうに、デリカシーのかけらもない……!」
「対不起。けど、そんなデリカシーのない、しょうもない男に、大切な身を捧げようって言うお嬢様が悪いんですよー?」
──だめだ、このままでは笑い話として流される。
けれどアデルはまだ自分の優位を疑っていなかった。
とりあえずこの部屋の扉の前に陣取ってさえいれば、彼の逃げ道は塞いだも同然だからだ。
「悪く、ないもん。あなたは……そりゃデリカシーはないけど、しょうもない男じゃないし。語学に堪能だし、頭は優秀よ。フレイルの大学を出れば王宮に仕官することもできるだろうってお父様が言うくらいだし……その長い黒髪は、ちょっとこの国では珍しいけど、顔とか、見目だってそこまで悪くないし……」
「おやおや、最後にずいぶん褒めてくださる。明日は雨どころか槍でも降るのだろうか」
「……私、本気なのよ、フェイロン」
本気で抱かれに来たのだ。
いつもの白いリネンワンピースではなく、もっと肌色の透けたとびきりオトナの装いで、フェイロンの寝泊まりする客間に忍び込んだ。
それなのに彼はアデルの姿を見ても、荷造りの手を止めさえしてくれない。
痺れを切らしたアデルはずんずんと客間を横切り、彼の座る寝台に両手をついた。
「だって、もう二度と、会えないんでしょう?」
「わからないさ、そんなの」
「そうよ、わからない。あなたは明日にはここを発って、南の国へ行ってしまうんだから」
「そうそう。かの国には少なくとも1年は滞在しようと思っているんですよねぇ」
「そのあとは?」
「北へ、西へ。世界は広い。まだまだ僕の知らないもの、見るべきものがたくさんある」
「連れてって。私も」
フェイロンはようやく意地悪な笑顔を収めた。
「冗談」
「……そうね。つまらない冗談だわ……だって、どう考えたって、私があなたについていくなんて……無理だもの」
現実を見極められないほど18のアデルは子供ではない。無理なものは無理。そんなことはわかっている。
わかっていても、心がどうしようもないときはある。
好きで好きで仕方ないのに、ずっと素直になれなかったことをいまさら後悔している。こうしている今だってまだ想いは告げられていない。
潔く諦めるか、足掻くか悩んだ挙句。
アデルの出した結論は、最後に目にもの見せてやる、だった。
「私ね、けっこうあなたのこと…………好き、だったのよ。このまま我が家に居座ってくれたら、将来はあなたのことを内縁の夫だと、言いふらしてやろうと……思っていたぐらいには」
「フフ、異国の貴族のお姫様に飼われる未来も、悪くはないですねェ」
「でも、行くんでしょう。私が行かないでって言っても」
「ええ、行きます」
取りつく島もない。旅支度を止めない彼の手に、アデルは自分の手を重ねた。
「わかってる、無理だって。だから、せめて、フェイロンの思い出になりたいの」
──少しでいい、こちらを見て。
「私も、あなたのこと、思い出にするから。……だから、忘れられないように、してほしい……」
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